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読書ノート No.113   栗田和明編『流動する移民社会』

根本 利通(ねもととしみち)

 栗田和明編『流動する移民社会―環太平洋地域を巡る人びと』(昭和堂、2016年)

📷  本書の目次は次のようになっている。   発刊にあたって   第1章 移動する者から見た移民コミュニティ(栗田和明)        -広州へのタンザニア人交易人に注目して   第2章 移民とエリート階級の形成(ファーラ―・グラシア)        -中国人富裕層の国外移住   第3章 「リトル・サイゴン」の現在(大橋健一)        -在外ベトナム人コミュニティの成熟と意味転換   第4章 アフリカ系商人の富裕化への軌跡(三島禎子)        -ソニンケ人商人の移動と生活の営み   第5章 移民と帰化(杜国慶)        -日本における帰化人口の分布と時空間変化   第6章 フィリピン人移民と宗教(市川誠)        -オーストラリアと日本の教会にみる   第7章 移動する人の現状と研究視点(栗田和明)        -移民の文化への注視   おわりに

   冒頭の「発刊にあたって」で、編者は移動と定住の対照し、「現今のように人の移動が多数になり、‥頻度が高くなるにしたがって、移動はごく一般的な状態と認識されるようになろう。定住の生活を基点として移動を考察するのではなく、移動している生活そのものへ視点を向ける必要がある」「人の移動の現在の状況から人の移動の普遍性を示し、我々の生活の中に『移動の文化』をみいだせる」と本書の野心的な狙いを明らかにしている。

 第1章は編者が近年追いかけているタンザニア人の東アジア、特に中国の広州に出かける交易人の移動の様子の、前著『アジアで出会ったアフリカ人』からさらに調査を進めたその成果である。前回はどちらかというと広州居住のタンザニア人に軸足が置かれていたが、今回は交易人、それも頻繁に往来する交易人をFT(Frequent Traveler)と名付けて、分析の中心に据える。ムジク、ショマリ、コンゾーなどおなじみの名前が登場する。ムジクは年に20回もタンザニアと広州を往復しているという。そうするとその存在は広州のタンザニア人コミュニティの中で看過できないだろう。居住者が100人程度、年間の訪問者が1万人前後として、その訪問者が平均10日滞在すると、常に300人は滞在している勘定になる。移民コミュニティの外郭にFTの存在を入れることを提案している。

 第2章では、2000年代に入って急増している中国人富裕層の国外、主に米国、カナダ、オーストラリアなどへの移住の動きを分析する。彼らは投資家として大きな資金を投入する。その理由として、子どもの教育、資産を守る、食品の安全や大気汚染、政治的批判などを挙げるが、筆者は富裕エリート層が成熟しつつある証拠で、階級文化が形成され、エリートのライフスタイルの入手と再生産の戦略と分析する。消費天国とかリラックスできるライフスタイルを志向するのだが、資産をすべて中国から持ち出す例は少なく、富を稼ぐ手段は依然中国内にあり、ただ子どもたちにはグローバルエリートの道を歩ませたいとする。果たしてこの戦略が成功するかどうか。魯迅はなんだったんだ!と思ってしまった。

 第3章では、ベトナム人移民社会の、特にサイゴン陥落(1975年)以降の、米国へ移民した人びとの現在を追っている。カリフォルニア州の南部オレンジ郡にあるリトル・サイゴンと、そこに育ったベトナム人2世の世代のアイデンティティを問う。サイゴン陥落後40年経ち、旧南ベトナム国旗、国歌が健在であるが、コミュニティの世代交代も進み、社会的重層化と成熟化が見られるという。「コミュニティを単に自然発生的なものではなく政治経済的な文脈のなかで意識化し、移住先社会へという一方向的なベクトルを超えてトランスナショナルに位置づけ直すこのような動きのなかに、われわれはより動態的な移住者コミュニティの成熟を読み取ることができるだろう」(P.85)と結論づけている。

 第4章は、西アフリカの有名な商業民族であるソニンケ人商人の活躍ぶりを描く。主にアフリカ大陸内を移動しつつ、フランス、中東、東アジアでの彼らの「成功物語」についてのフィールドワークをまとめている。マリ王国のマンサ・ムーサ王を記憶として持つソニンケ人は、「若いうちに異国で苦労して富をため、帰郷して家族・民族に貢献する。大きな経済力とよきムスリムで、社会の中で尊敬される存在になる」という価値観を持つ。「多くの富、さもなくば遠くの墓」という諺にように、故郷に錦を飾れなければ、異郷に果てるという覚悟を持って若者たちは旅立つ。いわゆる冒険家タイプが多いのだが、イスラームという宗教の特性から、宗教人であることと商人は両立し、宗教都市と交易都市とは重なり合う。また世襲制の身分社会からの上昇志向を持つ人たちもいる。

📷 リトル・サイゴンに掲げられた旧南ベトナム国旗  第5章は、1950年から2009年までに日本の官報に告示された帰化許可者462,795人の分析である。帰化というと旧植民地出身者で、戦後国籍を喪失した人たちが多いと思っていたが、1990年代からはニューカマーと呼ばれる中国、ブラジル、フィリピンなどの人たちが過半数だという。詳細な10年毎の帰化者の地域分布地図が載っているが、把握しきれていない。帰化の理由として、もっとも多いのは「日本で生活していくため」、次いで「子どもの国籍」だそうだ。効果として選挙権・参政権を獲得するわけで、筆者は「帰化者が積極的に社会活動に参加して、多文化共生社会の構築に重要な貢献をすると期待できよう」と結んでいる。

 第6章は、フィリピン人の通う日本とオーストラリアの教会の事例の比較し、フィリピン人の宗教生活とその意味の普遍性と多様性に接近を試みる。ただ二つの事例が、1995年東京でのカトリック教会での先人(マテオ)の半年間の調査と、2013年シドニーでのボーン・アゲイン教会(プロテスタント)での筆者の短期間の調査であるから、筆者が認めるように予備的、仮説的なものにならざるをえない。日本とオーストラリアの移民政策の違いによる、両国のフィリピン人居住者の立場の違い。日本語と英語というそれぞれの公用語とのフィリピン人の親和性。民族的な典礼やタガログ語による礼拝の有無などを指摘する。興味を引いたのは東京の教会の果たしていた、経済的・社会的・情緒的・心理的機能である。マテオいはく「折りたたみ椅子の共同体」で、自助団体や共同体居留地に代わるものとしてあったとのことだ。

 第7章は、編者によるまとめと今後の研究方針の表明の章になっている。近年は移動する人びと(編者はTravelersと表現する)が大規模化し、技術的進歩により移動は迅速、簡便、安価になった。国際移動は国内移動の延長で、移民、国際難民を含め、一般化してきた。南→北の移動が最も多いが、北→北、南→南も多く、北→南もあり全方位的になっている。編者は言う、「移民社会への定住者に数倍する数の人びとが、故地、移民社会、ほかの移民社会を結んでいる。…移動者を看過することは適切ではない」。「FTにとってはネイションは相対的な位置。ネイションを結んで移動するものに注目し、国家、文化、地理などを相対化する視点を用い、居住者中心の従来の研究の視点を補完する」。「多くの人が移動の可能性をもち、種々の形態での移動者となる可塑性をもち、すべての民族集団、個人に移動する動機と機会があり、それが発現する」と。

 本書の副題は、「環太平洋地域を巡る人びと」となっているが、必ずしもその地域だけに限定された話題ではない。中国(広州、香港、上海)、日本(東京)、タイ(バンコク)、ベトナム、フィリピン、オーストラリア、米国(カリフォルニア)といったところが話題に上っているが、ベトナム、フィリピンは実際にフィールドワークはなされていない。環太平洋というと考えられるハワイや南太平洋、メキシコ以南の中南米はすっぽりと抜け落ちている。

 第4章では、香港、広州にまで出かけてきているソニンケ人商人が登場しているが、章中の彼らの活躍の場は環太平洋ではない。編者は第1章でタンザニア人という国籍を持った交易人を追っているのに対し、ソニンケの人びとのアイデンティティは国籍にはない。そのことは「おわりに」に編者が記している。このソニンケの人たちの移動、活躍ぶりは非常に面白く、旧フランス領西アフリカを国境などないがごとくに動き回り、商機を探している。過激な冒険は人よりも成功したいという思いであり、自ら稼いだ金銭に対する自負心が強いと筆者は言う。「ソニンケ男性にとっては人生は冒険そのもの」という結論になっているのだが、では、ソニンケ女性にとって人生は?と問いかけたい。第4章で名前が出てくるのは、芸術祭の「主賓」役の女性だけだ。あるいは異郷で果てた「失敗物語」はつまらないのかしらんと思ったりもする。

 やはり研究会などで積み重ねられた研究論文集だから、一般の人には読みやすい本ではない。扱っている対象がかなり面白いのに残念である。例えば第3章の冒頭は「現在、本国以外の世界各地で暮らす在外ベトナム人の数は一説に約300万人とも400万人ともいわれている」とある。本国にいるベトナム人はどのくらいいるのだろうと、私なんぞは思う。ベトナムは人口密度が高いから、5~6000万人かしらんと思って調べると、なんと9000万人を超えているという。そのベトナム人というのは少数民族を含んだ数字なんだろうかとまた思う。私の無知と言われればそれまでだが、研究者あるいはベトナムに詳しい人でない限り、そんなもんじゃないかと思う。

📷 バンコクのアフリカ・レストラン  第3章で述べられている「コミュニティの成熟化」という評価にもやや首を傾げる。具体的には主人公である1973年生まれのN氏の述懐にほとんど頼っていて、1975年にベトナムを離れて初めて、高校を卒業した1991年にベトナムを訪問した時のことをアイデンティティの目醒めとしている。それまでベトナム系の友人とのつきあいはほとんど持たず、「アメリカ的なライフスタイルがクールでかっこいい」と考えていた彼が、それまで両親から聞かされていた「ベトナム」とはまったく異なる圧倒的な「貧しさ」に直接出会った事件である。そして「ベトナム系コミュニティのようなエスニック・コミュニティによって形成される社会の多様性がアメリカという国を強くしているのだと思う」と述べている。これは一つの思想ではあるが、意識化・成熟化といえるのだろうかと思ってしまう。本章では意図的に「ベトナム戦争」を回避しているようだ。米国によるベトナムに対する武器禁輸の全面解禁のニュースが最近踊っていたが、リトル・サイゴンの人たちはどう受け止めたのだろうか?成熟化が意識化ではなく、忘却化でないことを祈りたい。

 第5章の「帰化」という微妙な問題、私たち世代では思想の問題でもあるのだが、筆者はあっさりと統計の数字で処理している。帰化者の地域や年齢の分布で、移動動向の指針になるのだろうか。筆者の名前を見ると、外国籍なのか、帰化者であるのかがわからない。帰化を申請する人たちの心の内面を想像しづらいものがある。多文化共生のためには帰化ではなく、もっと他の方策があるのだと私は思う。自分自身が30年以上、外国に居住していて、地方参政権も市民権も永住権も持たないでいるのだが。

 各章の筆者によりアプローチというか分析方法の相違が目立っているように思う。いわゆるフィールドワークに立脚しているのは第1章、第4章であろう。第2章、第3章、第6章はフィールド調査も行っているがそれが主要なデータではない。第5章は完全に統計数字の分析のみである。私としては、移動し、移住する人たちの気持ち、事情が分かるような記述の方が面白かった。

 「おわりに」で、編者は次のように述べている。「移動が大規模・高頻度になれば、ある時点で具体的に人物が存在している地点の意味は曖昧になる。…移動の方により注目したい」と。移動(交易人など)と居住(移民社会)という区別で言えば、移動する人に注目しているのは第1章、第4章しかないのではないか。いや区別しないで、移民社会も移動する人たちなのだということなのだろうが。

 「旅とは非日常で、帰る所があるもの」という先入観がまずある。移動してそこに住み着き、客死しても、故地はある。巡礼、出稼ぎ、難民しかり、移民はどうだろう?封建制で土地に縛られていた地域、時代は移動が制限され、一般的ではなかったかもしれない。しかし、その時代でも流民(無宿者)として都市に流れ込んだり、ほかの国に移動した人たちは多かったはずだ。遊牧民(モンゴル、トルコ、ベドウィン)にとっては移動は日常で、ユーラシアを席巻していた(アフリカの遊牧民はどうだったのだろう?)。定住農耕民も、天候の変化では頻繁に移動した。アフリカの農耕民でも、植民地時代に当局から「XX族」と名付けられ管理されるまで、頻繁に離合集散、移動していたはずだ。

 定住者あるいは定住生活が大半、日常になったのは、18世紀後半西欧に国民国家が誕生し、さらに国境の概念が20世紀一般化してからではないか。したがって現代の移動は大規模化、迅速化はしているが、移動そのものは以前からそれなりに日常的にあったのではないだろうか。13~15世紀の東アフリカ海岸に存在したスワヒリ都市国家群は、居住民以外に多くの外来者、短期滞在者を抱えていた。それはペルシア、アラビアからモンスーンに乗ってきた風待ちの交易人、それに対し食料だとか象牙などを売りつけようとして内陸部からキャラバンなどを組んでやってきた交易人、そして出稼ぎの労働者、奴隷たちがいた。ちゃんとした統計はないが、居住民以外の方が多かっただろうと思われる。彼らにとっては都市にアイデンティティなどはなく、交易の流れに乗って移動していたのだ。編者には「実証的ではない妄想にすぎない」と言われそうだが。

 蛇足であるが、校正ミスあるいは誤植かなと思った語句が何か所かある。特に気になったのは「最悪感」(P.76)と「多民族」(P.108)である。私はそれぞれ「罪悪感」と「他民族」と読んだのだが、読み直してみて自信がなくなった。もし、ベトナムを再訪したN氏が「最悪感」(という日本語はあるのか?)を感じたとしたら、この章自体の解釈もだいぶ変わってくるだろう。

☆写真は本書のなかから。

☆参照文献:  ・栗田和明『アジアで出会ったアフリカ人―タンザニア人交易人の移動とコミュニティ』(昭和堂、2011年)  ・栗田和明「川を渡ると国外―国際的商売」(『タンザニアを知るための60章』、明石書店、2006年)

(2016年8月1日)

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