根本 利通(ねもととしみち)
川北稔『世界システム論講義-ヨーロッパと近代世界』 (ちくま学芸文庫、2016年1月刊、初刊は放送大学教育振興会より、2001年)。
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本書の目次は次のようになっている。
第1章 世界システムという考え方
第2章 アジアにあこがれたヨーロッパ人
第3章 キリスト教徒と香料を求めて
第4章 スペイン帝国の成立と世界システムの確立
第5章 「17世紀の危機」
第6章 環大西洋経済圏の成立
第7章 ヨーロッパの生活革命
第8章 砂糖王とタバコ貴族
第9章 奴隷貿易の展開
第10章 だれがアメリカをつくったのか
第11章 「二重革命」の時代
第12章 奴隷解放と産業革命
第13章 ポテト飢饉と「移民の世紀」
第14章 パクス・ブリタニカの表裏
第15章 ヘゲモニー国家の変遷
著者は西洋史、なかんずく英国の近世・近代史が専門で、『砂糖の世界史』など関係の著作(『イギリス史近代史講義』など)も多い。またイマニュエル・ウォーラーステインの『近代世界システム』(1974年)の翻訳者・紹介者としても知られ、本書は2000年の放送大学の講義資料として出版されたものである。本書はいはば、「近代世界システム」の入門・概説書である。
第1章はその導入である。「先進国」と「後進国」という表現は何を意味するかという問いから入る。「一国史観」「単線的発展段階」論は取らないとし、世界システム論の立場で解説する。つまり、それぞれの国がセパレート・コースを走っているわけではないし、北の「工業化」の過程で、南は「低開発化」されたわけで、政治的には統合されていないが、「世界経済」の大規模地域間分業で結ばれているという。それを歴史的に説明したのが本書ということになる。
第2章~第4章は、15世紀末からの大航海時代から、ポルトガル、スペインによる世界分割の流れについてである。15世紀のヨーロッパ封建社会の危機から語りだす。その当時の旧世界の経済圏は地中海、インド洋~ペルシア湾、東アジア、中央アジアで、北西ヨーロッパは辺境に過ぎなかった。15世紀、アジアの方が生産水準は高かったし、火薬・羅針盤・印刷術は中国の発明だい、14世紀には鄭和の大航海などもあった。しかし、中華帝国(明)が帝国の武力独占し、「海禁」政策をとったのに対し、封建社会から絶対王政の移行し、国民国家を形成しつつあった西欧の競合が海外への発展に導いた。
「十字軍と香料」をめざしたポルトガルは、アジアの既存の広域商業ネットワークに参入し、生産せずに寄生した。ヨーロッパ~アジア間交易よりも、アジア内の交易の方が量も利潤も大きかった。西へ向かったスペインも生産せず、金の略奪を行ったが、やがてサトウキビや銀という「世界商品」生産のための、エンコミエンダ制による先住民の酷使、人口激減から、アフリカ人奴隷の輸入に代わっていく。経済的分業体制(世界経済)としてしか存続しえない「近代世界システム」が誕生する。
第5章では世界システムの最初のヘゲモニー国家になったというオランダを取り上げる。17世紀半ばのオランダは、近郊型農業(野菜、花卉、染料)や漁業の黄金時代で、かつ工業生産の優越(毛織物、造船、蒸留酒)から、世界商業の支配権を握り、金融業も優位に立ち、アムステルダムは世界の金融市場となっていた。この時代、グロティウスが『海上の自由』で自由貿易論を唱えたし、ヘゲモニー国家は自由主義を標榜し、リベラルな場所になるので、政治亡命者や芸術家が集まるようになるという。
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1931年の大英帝国
第6~7章では、そのオランダに取って代わってヘゲモニー国家となったイギリスを描く。著者の本拠地である。16世紀にはヨーロッパの西の辺境にある小国に過ぎなかったイギリスが、「商業革命」を通して台頭していく。インドやカリブ海・北アメリカの植民地を獲得したイギリスが、植民地産品(タバコ、砂糖、綿製品、茶)を大量に輸入・再輸出し、輸出品の市場としての植民地を抱え、大商業国家になっていく。いわゆる重商主義戦争でオランダ、そしてフランスに勝利してヘゲモニーを握る。
イギリスでジェントルマン以外の商人階級が台頭し、17~18世紀にはイギリス風ライフスタイルの成立を見る。それまでは傘も紅茶も砂糖もタバコも存在しなかったわけで、「イギリス的生活習慣」の成立は、「帝国」を形成し、「世界システム」のトップに位置したことの結果でるといえる。つまり、世界中の人びとが生産したものを、もっとも安価で手に入れることができるわけで、アフリカ人奴隷とアジア人農民の涙と汗の労働を「ステイタス・シンボル」として享受していたことになる。今でこそ紅茶文化の国だが、17世紀後半にはコーヒーハウスが流行し、そこが情報の集まる場所、海運に対する保険(ロイズなど)や、バブルの語源を生み出していたという。
第8章~第10章は環大西洋世界、そして米国がいかに出来上がったかを描いている。まず1700年前後の北アメリカ東海岸の状況を次のように三区分する。①カリブ海植民地:サトウキビ・プランテーション(黒人奴隷)、②アメリカ南部植民地:タバコ・プランテーション(白人年季奉公人→黒人奴隷)、③ニューイングランド植民地:ヨーマン自営農「無用な植民地」と。そしてこれが21世紀の現在の状況につながっているという。「無用な植民地」とされたアメリカ北部がなぜ世界のヘゲモニーを握るようになったのか。
ウィリアムズ・テーゼに触れる。「三角貿易」の利潤が産業革命の財源となったとするもので、ピューリタニズムの庶民の勤勉な労働と聡明な経営者と科学者と発明家による歴史信奉者に冷水を浴びせた。奴隷貿易そのものの莫大な利益、奴隷制プランテーションの拡大による環大西洋世界市場の成立が、先進国イギリスを創り出し、一方でアフリカ・カリブ海の低開発化を進めた。どういう人間がアメリカ大陸とりわけ米国に渡ったのかということは別の著作『民衆の大英帝国』に詳しい部分である。「社会問題の処理場としての植民地」という切り口で、自由移民、年季奉公人、犯罪者、孤児などに触れる。「禁欲で勤勉な中流のイギリス人が、自由のためにアメリカ植民地をつくったわけでは毛頭ないのである」(P.159)。
第11章では18世紀末のイギリスの産業革命とフランス革命を世界システム論から再検討する。英仏の社会・経済的先行条件にあまり大きな違いはなく、世界システム内の経済余剰のシェア争いでの英国の勝利が決定的だという。イギリスの「ジェントルマン資本主義」は製造業ではなく、貿易・海外投資を追求していた。フランス革命で達成された人類普遍的な価値とされる「基本的人権、自由・平等」も、「平等」が「能力主義」と結びつくと、性差別、高齢者・子どもの排除など新たな差別を生み出していった。例えば人種差別が安価な労働力抽出の手段として使われた。「新型の差別は、フランス革命の理念が、世界各地に浸透するのと同時に、表裏一体をなして、浸透していった。こうして、イギリスが担った世界の商業化、すなわち地球上の全地域を世界システムに組み込むという使命を、いわばフランス革命の論理が支えた。『普遍的な価値観』がなければ、全世界を単一のマーケットに組み込むことは困難であったからである」(P.170) 。従って同時期に大西洋の向こう岸で起こったハイチ革命やラテンアメリカ諸国の独立の波は未完の革命となった。
第12章では産業革命期のイギリスの食革命、「イギリス風朝食の成立」の背景を語り、砂糖と紅茶という世界産品がジェントルマン階級から労働者階級の生活に入ってきたことを示す。19世紀初めの奴隷貿易反対運動の背景も「朝食を無税に」というマンチェスター派と西インド諸島派の対立として解説する。そして奴隷貿易・制度や砂糖の特恵関税の廃止に成功したマンチェスター派が、ブラジルやキューバでの奴隷制砂糖生産は容認したことを挙げて、奴隷貿易廃止運動が「人道主義」によるものだけではないことを示す。
第13章では、1845~9年のアイルランドのポテト飢饉を契機に大量の移民がアメリカ大陸に移動したことを代表例として、19世紀を「移民の世紀」として描きだす。米国・カナダだけではなく、南米、オーストラリア・ニュージーランド、そして南アフリカへ、南欧、東欧、インド、中国、日本から移民が大量に移動していった。中核部が工業化に入った局面での労働力の配置転換で、周辺部への労働力補給で、奴隷貿易と同じ要請であるという。南アフリカの鉱山労働者も同じことだ。また、ヘゲモニー国家の首都にスラムの成立があることは、アムステルダム(17世紀)、ロンドン(19世紀)、ニューヨーク(20世紀)で示され、都市雑業、港湾労働など、ロンドンのイーストエンドでもアイルランド人やユダヤ人の集住が見られ、「周辺諸国」の首都でも人口集中が起こるようになった。「世界の吹き溜まり」現象というのだろうか。
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インド帝国式典(1877年)
第14章で完成した大英帝国が出てくる。1851年「パクス・ブリタニカ」の象徴としてのロンドン万博での水晶宮は、世界の工場としての英国の国力を誇示した。また1877年のインド帝国式典は、ムガール帝国の権威に大英帝国の権威を接ぎ木する役割を果たした。こうして大英帝国は1931年に面積が最大になったが、「公式帝国」以外に、ラテンアメリカ諸国などの非公式の帝国も抱えていたという。
第15章では最後にヘゲモニー国家の変遷を語っている。近代世界システムが地球のほぼ全域を覆い、新たな「周辺」を開拓する余地がなくなり、「アフリカ分割」を契機に、世界が帝国主義とよばれる領土争奪戦に入る。英国が「世界の工場」であった期間はごくわずかで「世界の銀行」として君臨した。工業という面ではドイツと米国の台頭が目覚ましく、英国の跡目を争い、二度の世界大戦を引き起こした。ウォーラーステインは、ソ連も中国も、資本主義的世界システムのなかにある「反システム的な政体」(社会主義政権)であるにすぎなかったという。
第二次世界大戦後のヘゲモニー国家であった米国は、科学技術・農業・貿易・金融などの多くの分野で圧倒的な優位を示した。しかし、ヴェトナム戦争以降次第にそのヘゲモニーを失いつつある。もはや新たな「周辺」はない。宇宙進出というのはコスト的に合わないだろう。となると海底資源だろうか。中国の南シナ海への強引な進出はその表れなのか。例えばインドであるが、情報通信技術の展開で一定の発言力をもっている。著者は「『生産』に基礎を置かず、金融と情報を基礎とする地域が世界システムの中核の一部となるとき、世界システムのあり方は、変わらざるをえなくなるであろう」(P.241)と結んでいる。
著者は「近代世界システム」の紹介者であるから、「まえがき」に次のように述べている。「偏狭な『ヨーロッパ中心史観』はもとより間違いであるが、‥現代アジアの経済発展は‥本質的に近代ヨーロッパが生み出した物質的価値観そのものでしかない。‥アジア独自の価値観といったものは、どこにもみえていない。したがって、このようなタイプの『開発』が、結局、どんな問題に突き当たるかは、ある意味では、ヨーロッパ人が苦い思いを噛みしめつつすでに経験してきていることである」(P.4~5)。これが2000年の表明である。
そして、2015年の「ちくま学芸文庫版へのあとがき」でも似たような趣旨を繰り返している。「本書のような見方に対しては、‥ヨーロッパ中心的だというような、趣旨を取り違えた批判がよくされます。しかし、‥近代世界システムがヨーロッパ的なものであることは、否定のしようがありません」(P.244~5)。では、これからの世界史はどういう形で描かれるのだろうか?近代世界システム論は形を変えてなお有効であるのだろうか。
今年に入って半年だけでも、イスラーム主義過激派によるテロ事件、英国のEU離脱選択、米国におけるトランプ現象、中国の南シナ海に対する強硬姿勢など、さまざまな事件が起こっている。それは近代世界システム論で説明しきれないものがあるように思える。つまり、近代世界システム論も「ヨーロッパ中心史観」の袋小路から抜け出せていないのではないかと感じるのである。中国がその経済力を背景に「海洋の自由」とか「基本的人権の尊重」だとかいう価値観と全く違う価値観を提示できるのか。しかし、中国の志向するものが国家資本主義であるのなら、それは近代世界システム(=世界資本主義)の枠内ということになろう。アフリカとかラテンアメリカがもつ志向が、単なる「周辺」の上昇志向で終わるのか。アフリカの示す可能性(「潜在力」?」が世界史を書き換える可能性をもう少し追求したいと思う。
☆地図、挿絵は本書のなかから。
☆参照文献:
・川北稔『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書、1996年刊)
・川北稔『イギリス近代史講義』(講談社現代新書、2010年10月刊)
・川北稔『民衆の大英帝国』(岩波現代文庫、2008年、初刊1990年)
・柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫、2010年)
・吉本隆明『アフリカ的段階について』(春秋社、2006年、初版1998年)
(2016年8月15日)
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