根本 利通(ねもととしみち)
重田眞義・伊谷樹一編『争わないための生業実践―生態資源と人びとの関わり』
(京都大学学術出版会、2016年3月)。
本書の目次は次のようになっている。
序章 生態と生業の新たな関係 (伊谷樹一)
第1部 外部社会との接触
第1章 富者として農村に生きる牧畜民―タンザニア・ルクワ湖畔におけるスクマとワンダの共存 (泉直亮)
第2章 民族の対立と共存のプロセス-タンザニア・キロンベロ谷の事例 (加藤太)
第3章 コーラナッツがつなぐ森とサバンナの人びと-ガーナ・カカオ生産の裏側で (桐越仁美)
第2部 生業構造の変容
第4章 農牧複合と土地争い-社会と技術の両アプローチを実践した対立の克服 (山本佳奈)
第5章 バナナを基盤とする農耕社会の柔軟性―ウガンダ中部、ガンダの事例から (佐藤靖明)
第6章 半乾燥地域の林業を支える火との付き合い方―タンザニア南部、ベナの農村の事例から (近藤史)
第7章 平準化構造の功罪―ザンビア・ベンバ社会のピースワーク (吉村友希・大山修一)
第3部 生態資源と生業
第8章 マルーラ酒が守るサバンナの農地林―ナミビア北部、オヴァンボ社会の事例 (藤岡悠一郎)
第9章 多様性をうみだす潜在力―カメルーン東南部、熱帯雨林における焼畑を基盤とした農業実践
(四方篝)
第10章 水資源の活用と環境の再生―小型水力発電をめぐって (黒崎龍悟)
終章 争わないための作法―生業と生態をめぐる潜在力 (重田眞義)
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本書は太田至を代表とする5年間の大型科研「アフリカの潜在力を活用した紛争解決と共生の実現に関する総合的地域研究」の総集・結果報告5巻シリーズの中の第4巻である。事例紹介の全10章の対象とする地域(国)はタンザニアが5章を占めるほかは、ガーナ、ウガンダ、ザンビア、ナミビア、カメルーンが各1章となっている。前回紹介した第3巻に引き続き、タンザニアの比重が多くなっている。それぞれの筆者の方々の顔も浮かぶので、親しく読ませてもらった。
第1章はタンザニア南西部ルクワ州のルクワ湖畔の農村を対象としている。スクマ人はもともとヴィクトリア湖南岸地域に居住する農牧民であり、タンザニア最大の民族グループである。1970年代から南部地方に「フロンティア」を求めてウシ群を連れて移住を開始し始めた。当時はまだタンザニア(アフリカ)にも豊富な「内なるフロンティア」が存在したのだ。ルクワ湖畔にも1980年代にスクマの牧夫たちが到来する。地域によっては地元の農耕民と衝突し、スクマの移住を拒否した郡もあるという。
しかし、筆者の調査する村では大勢はうまく共生しているらしい。地元民ワンダの利用しない季節湿地やアカシア林という周辺地域に住み込み、数千頭に及ぶウシ群を飼い、大規模に水田を開拓するスクマと、それにウシや労働力雇用、そして飢饉の年の「富者の責務」を求めるワンダとの駆け引きの事例を挙げている。平準化の雰囲気が強く残る農村における富者としてのスクマの存在。「親密な関係を培いつつ、先住者の社会に同化せずに、最適な地理的・社会的距離を保持する。この微妙な距離感こそ、対立激化を避け、共生を維持する重要な潜在力なのだ」(P.47~8)と結ぶ。
第2章も同じく、移住農牧民スクマと地元の農耕民の共生がテーマである。タンザニア東南部モロゴロ州のキロンベロ平原が舞台となっている。地元の農耕民ポゴロは、ほかの民族の出身者を同化しながら、山麓の集落に住み、扇状地での稲作を行い、流通の自由化に伴いコメの価格が上がると、さらに氾濫原に近い草原にトラクタを使って新田を拡大していく。一方、この村に1988年に最初にスクマの家族が到着し、草原に住み着き、ウシを放牧し、牛耕による稲作を広げていく。最初はお互いに干渉しない生活圏、生業だったが、ポゴロによる新田拡大がスクマの放牧している草原におよび、小競り合いのあと、2006年12月に大きな衝突事件が起こってしまう。しかし、同時期にサイクロンによる氾濫原の増水が例年より早く始まり、トラクタによる耕起が不可能になり、手鍬では間に合わないとスクマのウシに耕起を依頼したポゴロがいたことから、関係は好転に向かった。
実はここまでは同じ筆者が、掛谷誠・伊谷樹一編『アフリカ地域研究と農村開発』(2011)で報告していることであるが、本書にはその後の展開が記されている。サイクロンは天祐だったが、スクマとポゴロの長老たちが仲裁に入り、全村会議がお開催され、修復に向かったという。さらに国。県による氾濫原を自然保護区に指定する土地利用計画が、スクマの放牧地だけでなく、ポゴロの新田にも規制が及ぶとわかると、両者は共闘関係に入る。和解後も生業、生活スタイルは変わらず、両者のアイデンティティは維持されし、経済的にも相互扶助関係になる。筆者はこの共生関係を少数派・新参者であるスクマの他民族への配慮に長けた民族性に由来するという。「隣り合って暮らす農耕民の生業や生活様式をよく理解し、彼らと同化しないまま、その環境に応じてフレキシブルに接点・距離を保つことで自身の立場と生業を維持してきた。…民族間の衝突を回避するための潜在力」(P.81)という。
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移住先のルクワ湖畔で大牛群を飼養するスクマ©泉直亮
第4章はタンザニア南西部ムベヤ州ボジ高原における土地争いを対象としている。ただし、これは外来の移住牧畜民と地元の農耕民の対立ではなく、村の中の住民の対立である。『残された小さな森』で描かれた世界である。伝統的な男子均等相続によって土地が細分化された若者たちが、従来放牧地にされていた季節湿地でトウモロコシ工作を始め、ウシの所有者と対立する。牛耕が一般的な耕作法であるが、ウシの所有者は村の世帯の2割ほどでしかない。季節湿地の多くを耕作地に開放した例、放牧地に戻した例、村の行政組織の査定で必要度の高い世帯に優先配分した例などが挙げられている。ボジ高原はコーヒー産地で人口密度が高く、土地不足は否めない。そこで時間をかけて対話・交渉し、村あるいは県の行政機関も関与して、暴力事件は起こさずに争いを回避できた。現在は対立はほとんど生じていないという。
土地の絶対的不足のなか、なぜ対立・紛争を回避できたか。筆者は社会と技術の両アプローチを実践したからという。社会というのは住民全員が納得するまでの議論と、資源分配に関しての公平なルール作りに地方行政機能が有効に働いたということ。技術というのは、品種改良・新作物の導入、道路・流通網の整備、ポンプ灌漑などの農業の機械化、そして農業外所得という生業の多様化(兼業化)を指しているようだ。これを「村の潜在的争い回避の能力」と読み取っている。
第6章はタンザニア南部ンジョンベ州での商業的林業が紹介されている。『タンザニア南部高地における在来農業の創造的展開と互助労働システム』に2000~2007年までの詳しい経過報告が載っている。筆者が3年ぶりに調査地キファニャ村を訪問した時、10年前は「はげ山」であった村の丘陵が一面の若木の植林地に変貌していたという。これは2000年代に始まったタンザニアの経済成長に伴う建設ブームによる建材としての木材需要のためであった。当地のベナの人びとは英国植民地時代から木こりとしての技術を磨き、ウジャマー政策による集村化に対応して、モリシマアカシアを利用した「造林焼畑」を創出してきた。それが建材需要に応じたパツラマツの植林に重心が傾いてきていた。チェーンソーとテーブルソーの導入による製材の機械化や野火に対する対策も進み、若者が村を離れなくなるどころか、都市から雇用を求めて流入するようになっている。村では家屋の建設、家具の購入を可能にするほどの現金収入があるようだ。
筆者の家計調査によれば、明らかに林業景気が村全体を潤し、キファニャ村はタンザニアのなかでも有数の木材産地として認知されている。そのなかで村人の平均をはるかに上回り数百エーカーの植林地を持つ大規模林業世帯も現れている。その土地の背景は村の共有地の割譲であり、村の行政官を務めていた人間がそのなかにいる。当然、格差に対する不満、妬みが見られても不思議ないところだが、現在のところ大きな不満の声は聞かれないという。林業に対する最大の脅威である野火に対する防火ネットワークを支える人たちのつながりを必要とする大規模林業家は社会的な孤立を恐れ、私財の公共事業への投資、雇用の創出を図る。「平準化機構は村レベルではほどほどの生活を支える機能を持ち、地域の経済発展を先駆する機能を持つ範囲内で格差が許容されている」という掛谷誠・伊谷樹一の暫定的な結論(2011年)を引用しながらこういう。「平準化と経済格差が併存する社会がつくられていたのである」(P.212)と。
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集落の酒場で談笑するスクマとポゴロ©加藤太
第10章ではタンザニア南部高原での地産地消型の小水力発電の試みを観察する。本シリーズの第3巻『開発と共生のはざまで』の第3章でも似たようなことが報告されている。対象の地域はンジョンベ州のルデワ県。起伏が多く降水量も多いので、小規模水力発電には向いているのだが、それでも乾季の水量の減少対策が必要だ。5つの事例を挙げ、農民・大工・教員などが自力で、身近に入手できる素材・廃材を利用して発電していったことを示す。地域のカトリック教会が1970年代から小水力発電を始めていて、その経験も役立った。住民たちは水源地の汚染、劣化に気づき、水源地への植林を始めた。
下流域で始まったカトリック教会と外国NGOによるちょっと大きな小水力発電プロジェクトの電線が、マヴァーラ村中心部に届くと、村評議会は水源地の植林や河畔での生業活動を禁止し、恩恵を受けていない周辺部住民が不満を持つという状況が出現する。筆者はそこで、近代技術以外に環境、経験を援用することに思いを致す。世界の国々の課題となっている自然と人の距離について考えながら、「巨大な電力系統に取り込まれた経験がなく、自然とのつながりを今も強く持ち続けているアフリカ農村社会こそ、自然エネルギー社会の実現にもっとも近い位置にいるといってよいだろう」(P.328)と述べている。
タンザニア外に目を転じよう。ここからは私の知識も想像力も圧倒的に足りない。第5章はウガンダで、東アフリカのバナナ文化の村を観察している。タンザニアのウガンダと国境を接するカゲラ州の村に行った時に、さまざまな種類のバナナとそのなかに混じったロブスタ種コーヒーの畑のなかを歩いたが、あのような風景なのだろうか。そのカゲラ州のハヤ人のバナナを主とした混栽システムをキバンジャと呼んでいたが、ガンダ人の村でも同じような呼称らしい。キリマンジャロ山麓のチャガ人の村ではキハンバと呼ばれているものだろう。そのバナナを基盤とした文化が、東アフリカ大湖地方の稠密な人口とその上に立つ王国の権力構造を支えた。英国との協定から土地の私有化が早く始まり、かなり永続的は所有・相続が行われている。しかし、土地の狭隘化のため土地の境界争いも頻繁になり、親族間以外の共同作業もめったに行われず、逆に近年葬儀のための互助グループが生まれつつあるという。バナナという「融通が利く」作物を主に、多様な主食作物を受け入れてきた柔軟性を持つ文化が、世帯間の軋轢や経済格差をどう緩和していくのだろうかと結ぶ。
第7章はザンビア北部のベンバ社会のピースワークを考察している。ピースワークというには耳慣れない用語だが、「出来高払いの仕事」ということで植民地時代から使われていたらしい。この地域の農村には掛谷誠・杉山祐子の調査の蓄積があり、そのなかで「平準化機構」という概念が見出されているが、「情の経済」との違いが実は私にはよくわかっていない。ザンビアは伝統的に銅モノカルチュアの国であったが、農業近代化のための種子、化学肥料に対する政策の変遷に農民のトウモロコシ栽培は振り回される。それでも出現している大規模なトウモロコシ畑(ファーム)を所有する富裕者は、開墾時にピースワークを村のほかの世帯に依頼する。食料を自給できない世帯はこのピースワークによって、現金・食料を入手でき、富裕者は妬みを避けられるという平準化機構が作用している。しかし一方でこのピースワークが「雇用者が作業者の労働力を搾取し、少数の富裕層と多数の貧困層の分化に進む新たな火種となっていくのか、現在のベンバの農村における人びとの共生関係は岐路に立っている」(P.239)と筆者は不安を挙げている。
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テーブルソーを用いたパツラマツの製材©近藤史
第8章は南部アフリカのナミビア北部のオヴァンボランドのマルーラ酒が社会のなかで果たす役割を述べている。半乾燥地帯の農地林にマルーラとドゥームヤシの樹の残されていて、マルーラの樹からつくられる酒は「王の酒」と呼ばれ、植民地時代から特別扱いされ、つくられるとヘッドマンという上から任命された「伝統的指導者」に貢納されていた。独立闘争の中で畑地の囲い込みが行われ、マルーラの樹も世帯によってはないような偏在が起こった。しかし、マルーラ酒造りは各世帯の女たちの共同作業として続けられ、できると酒宴が開かれたり、手伝ってくれた世帯へ贈与されたりする。「マルーラ酒は地域の共有資源であり、そうした認識が現在も畑の樹木を維持する要因になっている。マルーラ酒の共同作業や共飲は、人びとに「共」の社会的な意味を喚起させる機会となっている」(P.262)と、人と林が共存できる道を模索している。
第9章は中央アフリカのカメルーンのそれもコンゴ盆地の縁の熱帯雨林の焼畑の考察である。地元のバントゥー語系のバンガンドゥ農耕民は、プランテン・バナナを主要な主食とし、キャッサバ、ヤム、ヤウテアなどのほかの主食に、ラッカセイ、オクラ、トウガラシなどを混作する森林休閑型焼畑を10年前後で展開している。そこに商品作物としてのカカオの生産も入ってくる。森林の植生の旺盛な回復力のため、作物の栽培期間と二次植生が回復する休閑期間が明瞭に線引きできないが、その間に多様な副産物が収穫できる。筆者が「伐らない焼畑」と名づけたものがうみだす多様性は目を見張る。焼畑は、労働生産性やリスク回避の点から、湿潤熱帯という環境に適するとし、森林破壊の元凶という見方を否定する。熱帯雨林の作物生産は、旺盛に再生してくる二次植生とのせめぎあいで、植生遷移にうまく農作物を組み込むが重要で、「無理に森を制御しようとするのではなく、森に適度の刺激を与えつつ、そのダイナミクスの一部を利用すること」(P.295)を提起している。
第3章は西アフリカのガーナから近隣のナイジェリア、ニジェールなどとのコーラナッツの交易ビジネスを観察している。コーラナッツは南部の森林地帯で生産され、北部のサバンナ地帯のムスリムに嗜好品として愛好されている。18世紀以前からその交易は存在していたが、主にハウサ商人によって担われ、南部ガーナのアカン人の産地から北部ガーナの諸民族の仲介を経て、消費地に届けられる。コラノキはガーナの基幹産業=収入源としてのカカオ生産のためのカカオノキの庇陰樹として重宝されるが、その副産物のコーラナッツの生産も少額ながら日々の生活費を補う貴重な現金収入源となっている。筆者はそのビジネスの交易ネットワークを調査し、そこに関与する様ざまな民族の活動を見る。「コーラナッツ・ビジネスをめぐる民族の連鎖は、それ自体が信頼のネットワークであるといえる。古くから培われてきたコーラナッツ交易による人びとの結びつきは、…、西アフリカにおける南北の民族の共生を可能にしてきたのである」(P.116)と結論づけている。
この第4巻の表題は『争わないための生業実践』となっている。それはアフリカ諸国の中ではかなり例外的に、内戦、クーデター、軍事政権などを経験したことがないタンザニアのフィールドワーカーが執筆した章が半数を占めるからか。序章では編者(伊谷)が、本巻のポイントを3つ挙げ、①農耕と牧畜の土地競合、②経済状況の変化、③人と植生の関係性に注目する。終章ではもう一人の編者(重田)がまとめているのだが、まずアフリカの人と自然の関係が大きな誤解を持たれてきたかを、「パラダイス・ドグマ」「したたか・ドクマ」「クライス・ドグマ」という3つの典型的な考え方に分類してか分析する。そしてアフリカ農村における平準化機構を 「アフリカ農村における平準化とは、資源の単なる平均化ではなく、何か外在的な基準で達成することの不可能な相互関係的に作用する諸力によって達成されるダイナミクスである」(P.345)と述べるのだが、これはやや難解である。そして「『アフリカ潜在力』と考えてきたのは、グローバル化するアフリカ農村のの中で、人と人、人と自然が共存できる新たな関係を可能にする力であった。‥すべての相互関係は、お互いの存在が相手の価値を高めるという点で、共生的関係の中でも相利共生的な性格を帯びている」(P.352)と結ぶ。
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ルデワ県の小水力発電©黒崎龍悟
第1章、第2章は外来のスクマ農牧民と在住の農耕民の土地争いで、スクマが少数者で富者であることも共通している。第1章の舞台は知らないが、第2章の舞台には最近も含めて2回行ったことがあり、ポゴロとスクマの人たちの暮らしも見たことがある。4年前の政府によるラムサール協定順守の自然保護区制定の動きにより、スクマの数十万頭のウシは追い出されたままになっているらしい。自然保護といいつつ、その先には多国籍企業による商業的大農園経営、農薬散布・F1種子などが見え隠れしている(「キロンベロ谷」参照)。スクマとワンバやポゴロとの微妙な距離をとりつつ共存を図る知恵というのが、外部からの第三者に対してどこまで有効であるのだろうかという危惧はある。また第4章でも語られている長老たちあるいは行政機構の末端である村評議会による調停というのが、当分有効であるかというのも留保したい。
第6章と第7章は商業的林業と農業の発展によって農村内の格差が拡大しつつある状況で、経済的有力者が貧困者を一時的に雇用して、富を平準化して嫉妬・妬み・不満を抑えつつ、さらに格差を拡大していく様子を描いている。掛谷・伊谷の暫定的結論の範囲内であればいいが、それ以上の市場経済化が進んだらどうなるのだろうか。第5章のウガンダの例を読むと、植民地化以前から格差が存在していたであろうガンダ社会では、相互扶助活動が比較的少なく、畑の境界争いなど世帯間の小さな争いが絶えず、そのために新たな互助組織を作る傾向にあるように見える。それを「柔軟性がもたらす持続性」と評しているが、果たして市場経済化・都市化がより進んだ段階でも有効であるのだろうかと首を傾げる。
全巻を通じて、その風土の歴史的考察が少ない。19世紀、つまり植民地化以前に丁寧に触れているのは第3章以外にはない。これは人類学的手法がメインになっているからかもしれないが、私の関心からいうとやや物足りない気がした。第8章でも植民地化以前の王制、ドイツの植民地、南アのアパルトヘイト・ホームランド政策、そして独立という変遷がさらっと描かれているが、その過程で「伝統的指導者」というのがどう変化していき、それが「共」の範囲にどう影響したかに興味があるのだが。「潜在力」というからには、それがずっと潜在してきたのか、顕在していたのが外部の要因によって抑圧されているのかも気になる。
そういう意味からは第3章が面白かった。ただ、コーラナッツ交易ルートの民族の連鎖を「信頼のネットワーク」を評するのは、やや甘い見方ではないかと思う。半乾燥サヘル地域に住む人たちの冷徹な商売の判断ではないかと、かつて走ったニジェールからマリの交易路の乾いた風土とそこで接した厳しそうな人たちの容貌を思い出す。西アフリカのサヘル地帯の東西に広がる交易圏の世界は、インド洋世界の交易圏と重なる部分があったのだろうか。あるいはモンゴリアからずっとユーラシア大陸を東西に貫く遊牧民の世界とサヘルの世界はつながるのだろうか、という個人的な興味はここで展開している余裕はなくなった。
「アフリカ潜在力」の考察はますます混とんとしてきた。紛争と言っても、夫婦間、隣の世帯間との諍いから、多国籍を巻き込んだ武力紛争まで規模は大きく異なる。アフリカとその背後に見え隠れする西欧(+北米)だけではなく、アジアを視野に入れているのは少ないように感じる。このシリーズの第1巻であり代表者と次の5年間の科研の代表者が「潜在力」の定義を述べているであろう第1巻を読んでから、私の考えをまとめようと思う。
☆参照文献:
・高橋基樹・大山修一編『開発と共生のはざまで』(京都大学学術出版会、2016年)
・掛谷誠・伊谷樹一編『アフリカ地域研究と農村開発』(京都大学学術出版会、2011年)
・近藤史『タンザニア南部高地における在来農業の創造的展開と互助労働システム』(松香堂、2011年)
・山本佳奈『残された小さな森―タンザニア 季節湿地をめぐる住民の対立』(昭和堂、2013年)
・高根務『ガーナ―混乱と希望の国』(アジア経済研究所、2003年)
・高根務・山田肖子編『ガーナを知るための47章』(明石書店、2011年)
・島田義仁『黒アフリカ・イスラーム文明論』(創成社、2010年)
(2016年9月15日)
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