根本 利通(ねもととしみち)
松田素二・平野(野元)美佐編『紛争をおさめる文化―不完全性とブリコラージュの実践』
(京都大学学術出版会、2016年3月)。
本書の目次は次のようになっている。
シリーズ序論 「アフリカ潜在力」の探究―紛争解決と共生の実現にむけて (太田至)
序章 「アフリカ潜在力」の社会・文化的特質 (松田素二)
第1部 伝統的慣習の再創造と「アフリカ潜在力」
第1章 グローバル化のなかの伝統的権威者―ナイジェリア・イボ社会における国際移民と首長位
(松本尚之)
第2章 現代に開かれた伝統という潜在力-カメルーン・パミレケ首長制社会の紛争処理と伝統的権威
(平野(野元)美佐、アンジュ・B・レンジャ=ンニェムズエ)
第3章 ケニア中央高地イゲンベ地方の紛争処理における平等主義と非人格性 (石田慎一郎)
コラム1 日常生活に埋め込まれた紛争と対立のマネージメント法
―エチオピア南部アルシ・オロモ地域における「遮断」と「回避」の効用 (マモ・ヘボ、松田素二訳)
第2部 「アフリカ潜在力」的発想と実践
第4章 アフリカのローカルな会合における「語る力」「聞く力」「交渉する力」
-コンゴのパラヴァー、ボラナのクラン集会、トゥルカナの婚資交渉 (太田至)
第5章 悪い友人と良い敵―サンブル・ポコット・トゥルカナの三者関係における平和と暴力の構築
(ジョン・ホルツマン、楠和樹訳)
第6章 「濃淡の論理」と「線引きの論理」―コンゴ民主共和国ワンバ地域における森の所有をめぐって
(木村大治)
コラム2 経済制裁による包囲網とグローバル化のるつぼのなかで
―ジンバブエのインフォーマルな金属産業にみられるアフリカ潜在力 (ウィルバート・サドンバ、松田素二訳)
第3部 対立を防ぐ智慧と「アフリカ潜在力」
第7章 紛争防止のための潜在力―現代ケニアのコミュニティ・ポリシングの事例から (松田素二)
第8章 共存の作法としての在来知―エチオピア西南部に暮らす農耕民アリと「他者」との出会い
(金子守恵・重田眞義)
第9章 フロンティアとしてのアフリカ、異種結節装置としてのコンヴィヴィアリティ
―不完全性の社会理論に向けて (フランシス・ニャムンジョ、楠和樹・松田素二訳)
終章 紛争解決と社会的和解・共生のための「アフリカ潜在力」に向けて (平野(野元)美佐)
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本書は太田至を代表とする5年間の大型科研「アフリカの潜在力を活用した紛争解決と共生の実現に関する総合的地域研究」の総括・結果報告5巻シリーズの中の第1巻である。総代表者の太田と後継(第2期)科研の代表となった松田が執筆し、「潜在力」の理念を語っている。事例紹介の全9章の対象とする地域(国)にはタンザニアはなく、ナイジェリア、カメルーン、ケニア、コンゴ、エチオピア…と並べても一つの国家内に収まっていない場合もあるし、第9章なんかはアフリカ全体を俯瞰している。2つあるコラムはエチオピアとジンバブエが対象となっている。ルワンダ、南スーダンなどの最近の強烈な「紛争国」はないが、しばしば紛争が繰り返された、あるいは現在も進行形の地域である。
長くなりそうなので、各章の紹介およびコメント(感想)はできるだけ短くしよう。
第1章では、ナイジェリアのイボ人社会の国際移民、特に日本の移民社会の例を挙げて、伝統的権威者「首長位」への渇望を描く。伝統的に「無頭社会」であり、植民地時代に発明された首長にいかほどの価値があるのか、故郷を遠く離れた異郷で成功者は首長の称号をほしがり、故郷に多額の寄付をしたり、あるいは異国の地で移民の王を生み出したりしているという。
第2章は、カメルーン西部州バミレケ首長制社会における伝統的権威者が現在にもつ紛争調停機能を観察する。国家法を中心とするナショナルな紛争処理と慣習法を中心とするローカルな紛争処理が併存していて、1990年代から国家と伝統的権威者である首長が手を組む形になったという。首長は目に見える紛争や目に見えない紛争を地区集会、裁判で裁定し、それで手におえないものは警察に行くか、上級首長の宮廷裁判に持ち込まれる。首長たちの裁定には、ングウという託宣が用いられることがある。都市部に居住する同郷者間の紛争にも故郷の首長の裁定が用いられることもある。いくつかの事例を挙げて筆者はこう結論づける。「『不完全性』は常態で、…不完全な他者と関係を結ぶ必要がある。…伝統という形式をまといながらつねに現代に開かれている彼らの紛争処理はアフリカ潜在力の一つの典型である」(P.88)と。
第3章は、ケニア中央高地イゲンベ地方の一小村において15年に及ぶ長期観察による集団呪詛の解釈である。イゲンべ社会では、当事者対抗性を一時的に保留し、人が人を裁かないかたちで紛争を処理する手法が発達している。筆者はこれを冤罪あるいは強者の正義に帰結する可能性が低くなると評価する。この手法の特徴は、「平等主義」(対称性―相互に畏れ合うと公平性―クラン所属という生得のこと)と「非人格性」(ムイシアロは個人ではなくクランの代表であることによる)にあるという。ほかのケニアの呪術を使った紛争解決の例とも比較して、責任追求対象の当事者の自発的反省・告白と義務遂行を待つ指向性が強く、「イシアロ関係の平等主義はイゲンべ社会における紛争処理の正しさを補強している」(P.121)と評価している。
第6章ではコンゴ民主共和国(旧ザイール)のワンバ地域の土地所有観念と自然保護の論理のずれが取り上げられる。ワンバは加納隆至をリーダーとするボノボ研究の日本の霊長類学の長年のフィールドであった。1980年代末からの旧ザイールのモブツ政権末期から始まった国内騒乱で、一時撤退を余儀なくされたが、2000年代半ばから再び調査が再開されている。筆者はそこで調査を行う文化人類学者である。地元の住民はバントゥー語系の焼畑農耕民であるボンガンドで、農耕だけでなく狩猟・漁撈・採集活動を森のなかに深く入り込んでやってきた。1990年代からボノボとその森を保護する活動が活発化し、現在3つの保護区が設定され、国際NGOとそれと連携するリニージを反映した地元のNGOおよび国家機関が活動している。ボンガンドからすれば昔から自分たちの森だったのに、地図上に境界線を引かれ、密猟者として政府のエコガードによって取り締まられ、森を「取られた」という反感を持つこともあるという。筆者はそのボンガンドの土地所有意識の歴史的経緯を調べ、国家・自然保護運動側の「線引きの論理」に対する地元民の「濃淡の論理」を見出す。
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カメルーンN地区組織の集会風景
第4章では、3つの事例をあげ、西欧近代的な公的制度(警察、裁判所)による「法とは強制を持った規則」とは違う、「他者とのあいだに合意を形成して秩序を創出する」志向を指摘する。コンゴのパラヴァーでは、共同体の一体感、共通の価値観、調和の回復・維持し、人間関係を修復することが究極の目標であり、共同体のメンバーの平等性を再確立するものだという。ボラナのクラン集会では、攻撃性やおおっぴらな怒りを回避し、社会的な葛藤・緊張を緩和する方向性があり、「制度化された赦し」がみられるという。さらにトゥルカナ社会のおける婚資交渉は「真剣勝負」である一方、気前のよさを示すことも重要であるという。3つの事例の集会でみられる「語る力」「聞く力」「交渉する力」を重視し、「他者とは多様で不可知なものであり、自己が操作・管理できるものではないことを前提として、その他者を顔が見える個人として承認するという開放的な姿勢をとり、そのうえで合意形成と共生を志向するのである」(P.160)とし、その共存共生を達成するための人びとの実践を「アフリカ潜在力」と呼ぶと筆者はいう。
第5章は北ケニアにおける、サンブルから見た隣人ポコットとトゥルカナとの関係を観察している。サンブルからするとポコットとは1世紀以上平和であったが、けちで利己的な「悪い友人」であり、一方トゥルカナは頻繁に激しい戦い・略奪を繰り返してきたが、養子に取ったり純粋な友情も築ける「良い敵」と称されている。筆者はこの三者関係の観察から、「お互いを知り、人間として接すれば、おのずと平和は訪れる」という決まり文句に疑問を呈する。多くの場合、相手を知っているからこそ戦うのだ。「暴力を通して構築される平和」と「平和を通して構築される暴力」との比較考察から、筆者は「愛は必ずしも平和を導かない」とのたまう。
第8章ではエチオピアの西南部の少数民族アリの父子の個人史から考えている。エチオピアは西欧列強によって植民地化されなかったが、アリの人びとにとっては19世紀後半にエチオピア帝国によって植民地とされた。北方からやってきたアムハラ語を話す植民者はガマと呼ばれ、封建領主となり、アリの人びとは小作人とされた。1974年の社会主義革命までは、公立の小学校はこの地域にはほとんど存在せず、アリの子どもたちが通うことはなかった。しかしYは息子のGを村のエチオピア正教会聖職者のガマのところに寄宿させ、アムハラ語を学ばせる。息子が「モイニ(もの知らず」にならないようにと父Yは願った。その後、息子Gは小中高校・大学、海外の大学院で学んで博士号を取得し、大学教員となった。この父親Yの選択を「ガマとの関係を暴力的な対立にせず、『モイニ』を恥ずかしいことと捉える。『知る』ことによってその知識を在来化し、他者との関係を続けていくための手立てであり、アリの人びとの幸福は、主体的生活者として自分の将来を選ぶ際に自由であることとと深くつながっている」(P.308)と述べる。
第7章はケニアで2007年12月に発生した選挙後の暴力(PEV)の大都会ナイロビのスラムでの事例研究である。PEVではナイロビでも「スラム」の地区の民族ごとに居住地域が再編され、排他的「部族主義」、警察を信用せず「部族同胞意識」にゆだねる形のむきだしの暴力が吹き荒れた。実はPEV前の2002年に、ケニアは欧米型のコミュニティ・ポリシング(治安維持)を導入しようとして失敗し、PEV後の2012年にもタンザニア起源のニュンバ・クミ(十軒組)を導入して失敗に終わっている。それは国家の警察の下請け体制であったことと、警察とコミュニティ間の深い相互不信が原因だろうという。しかし、PEV期のナイロビ西郊のカンゲミ地区ではキクユ人大家とルオ人・ルィア人店子の協力による自警団はうまく機能したという。その成功した理由を筆者は、コミュニティのセルフヘルプで警察との連携なく、自分たちの生活世界に依拠し、思考し、実践した。明文化された規則や制度的組織をもたず、管理統制の官僚主義がなく、自発的参加を促し、一時的限定的に出現したことを挙げている。それを筆者は「『生活の必要』によって、さまざまな要素を自分の都合のいいように切り貼りするブリコラージュ技法によって、コミュニティの自律性・主体性を保障し、開放性・柔軟性・多元性・雑種性を発展させる。その技法は、異次元に属する多種多様な原理と思想をつなぎ合わせるアフリカ潜在力のインターフェイス機能の精華であり、最も重要な特質である」(P.271)と述べている。
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イゲンベの長老結社の寄り合い©石田慎一郎
第9章はアフリカ民衆の想像力の思想的・哲学的解釈である。アフリカ社会に強制された西洋の近代性と文明を赤ん坊にたとえる。その赤ん坊を養子取りして、いかに社会の中で育てるかを考える。そのためにまず、リアリティを構成するアフリカ民衆の想像力を考える。この題材としてエイモス・チュツオーラの『やし酒のみ』が扱われる。存在が不完全で、ほかの生き物や精霊、化け物などとの境界があいまいな認識の人間の「フロンティア的存在」と呼ばれる。そして「異なる世界を軽やかに駆け抜けたり架橋したり自在に漂泊したりするフロンティア的人間がアフリカ人であり、フロンティア的空間としてのアフリカの持っている潜在力」((P.328)と語る。個人としての成功よりも共同体的な努力、相互の交渉と譲歩、共生的実践(コンヴィヴィアリティ)により価値を置くアフリカ共同体の社会構造・諸制度の動態性・融通性・適応可能性を説く。完全性とは全くの幻想で、不完全な他者との通交で、自らを高めたり補うわけで、不完全性が正常で「諸個人は他者との関係を通して人間になる」といい、このコンヴィヴィアリティが、アフリカのみならず世界全体が必要としている未来のシティズンシップへのカギになると主張している。
シリーズ序論では、この研究プロジェクトの構想を述べている。1990年代以降のアフリカにおける様ざまな紛争と国際社会のの介入の事例を鑑み、「アフリカ人は平和や共生を実現する能力がない受動的な存在である」という西欧近代中心主義的な主流の言説に対する挑戦であるとする。そして「積極的平和」の概念や「自由主義的な平和(リベラル・ピース)」批判も紹介する。さらに、今回のプロジェクトで採った包括的な手法を説明している。
序章では「アフリカ潜在力」の研究の目的が語られる。「ヨーロッパ基準によって500年にわたって歪められてきたアフリカ社会が生み出した紛争と共生のための智慧と制度を『アフリカ潜在力』として評価し、その可能性を見出し、21世紀の人類の共通財産として活用する基盤をつくる」(P.3)と。グローバル基準ではない、アフリカ的原則に依拠した紛争の予防・回避・調停・和解・共生の実例研究である。5年間、ナイロビ、ハラレ、ジュバ、ヤウンデ、アジスアベバと主に日本人とアフリカ人の研究者が議論を繰り返した成果であるという。そこで見出された「アフリカの文化的潜在力」の特性は、「動態性、柔軟性、多元性、雑種性、寛容性、開放性」であるという。
終章はもう一人の編者によるまとめである。ミクロな観点(フィールドワーク)から「アフリカ潜在力」を「創造力」「交渉力」「想像力」を3つの柱でまとめている。そして、「アフリカの多くの地域では、貧富の格差が大きく、宗教、民族が複雑に混ざり合い、…政治権力は腐敗し、警察にも司法にも正義を期待できない。その状況下で人びとが「まともに」暮らしているのは、「アフリカ潜在力」が小さな紛争を日々解決し、共生を実現させているからこそ、なのである。…無数の小さな営みが、アフリカを、そして世界を支えている」(P.364)と結ぶ。
以下、簡単な感想である。第1部に関しては少し警戒して読みだした。「伝統的慣習の再創造と『アフリカ潜在力』」とある。伝統という言葉が伝統的権威者と結びつけられるとき、後退であるという思い込みがある。決して進歩主義者ではないが、伝統というものは守るものではなく紡ぎだすものだというのが基本的信念であるからだ。しかし、第1章は事例としては面白いが他愛もなかった。いはば「名誉村民」とでもいうべきもので、「潜在力」と関連づけるのは無理だろう。第2章もカメルーンという国家機構の末端に位置づけられた伝統的首長というものの存在とその権威の実践の例だが、果たして国家機能の単なる補完物ではないのかが不明である。第3章はややもすると呪術・迷信と片付けられそうな話であり、40世帯の小さな村の共同体でうまく機能しているとしても、ある強大な超能力者が登場したらどうなるだろうかと思わないでもない。
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結婚式のときに踊るトゥルカナの人びと©太田至
第6章は興味深かった。特に国際的正義を持っているかにみえる保護運動・行政側の「線引きの論理」に対置する地元民の「濃淡の論理」が面白かった。狩猟採集民社会は平等主義的であるという通説に対し、「平等性は必然的に不平等性を帰結する」とし、「対等性」という概念を導入し、権利はゆるやかに変化する「濃淡の論理」は、あえて「全体を見ない」という技法で成り立っているという。このあえて「全体を見ない」技法が、「平等性や線引きの持つ暴力性を中和し、息苦しくなっている『近代』の方向性を考えることは必要だ」(P.226)となっていく。果たしてこの論理を保護区の現実の活動にどう反映させていくのかは、まだ課題は多いことだろうが。「平等主義」の解釈で、第3章とのずれも興味深かった。
第4章ではワンバ・ディア・ワンバ氏が出てきて驚いた。私の大学院時代の恩師で、フランス語なまりの聞き取りにくい英語の授業に閉口したことを思い出す。夫人とも知り合いなので、その後、旧ザイールのモブツ打倒の政治運動に身を投じたことも知っている。米国の大学で学んだ割にはがちがちのマルキストだったように思ったし、その誠実な人柄は大言壮語するアフリカの知識人とは違い言行一致なのだろうと思ったものだ。ただ、筆者が引用しているパラヴァーはやや理想化あるいは誇張された面があるのではないかと感じる。それはワンバ氏が米国で人種差別に直面し、故国の腐敗に絶望しながら、まだ当時ニエレレの理想主義の残滓のあったダルエスサラーム大学で教壇に立っていたことに関係するのではないかと、出来の悪かった教え子は忖度するのだが、これには実証的な根拠はない。あとは婚資交渉が決裂するときはどんな時なのかということ、3つの事例は同じ民族のそれも同じ村の共同体とかクラン内の交渉だが、他民族との間にもどれだけ有効なのだろうかと思った。
第8章はしっとりとした個人史である。他者との共存の作法として「知ること」の重要性を感じた。ややもすれば社会主義革命、そしてその政権を打倒した民主化という政治の動きに目を奪われがちであるが、「ガマに笑われて、意味もわからず一緒に笑ってしまった」農村の父親Yの思いを忘れないでいきたい。そして大学教員という知的トップエリートとなった息子Gのその子どもの世代はどう生きていくのだろうかと思う。
第7章は本巻では、また読了した第3巻、第4巻でもほとんど触れられていない大都会の話であり、かなり凄惨な暴力行為の記憶がある事件である。まず「現代ケニア」という言葉が出てくるが、筆者はどこからそれを区切っているのだろうか。1963年の独立からか、あるいは1992年の複数政党制の導入からか、いやそういう年代で区切ることない流動的な「現代ケニア」なのか。2008年のカンゲミ地区で成功した自警団が、今後のケニアでも有効なのか。ケニアはこのPEV期の主要な扇動者と疑われた人物が、2012年には正・副大統領として当選し、西欧近代型の正義を体現する国際司法裁判所と対決している。そして来年に予定されている総選挙で、再度の選出が有望視されていて、その後のたらいまわしも想像されている。筆者は「閉鎖性・固定性・単一性・純粋性という、ともすれば異なるものと競合し排除する西洋近代の特性に対し、アフリカ社会が紛争解決と共生の実現のために生成してきた潜在力の表出型の一つなのである」と高く評価しているが、果たしてそれは来年も有効なのか、また有効だとして、アジアやラテン・アメリカ、ヨーロッパにはありえないことなのかを考えたいと思う。
第9章はひどく読みにくかった。翻訳がこなれていないせいかと思ったけど、原文自体が難解なのだろう。哲学的思考に慣れていない私には到底歯が立たないしろものだ。しかし松田いはく「本シリーズ全体の主張のエッセンス」であるから、立ち向かわないわけにはいかない。チュツオーラの『やし酒のみ』の世界をもとに縦横に論じているといわれても、『やし酒のみ』そのものを高く評価していなかった者としては難しい。つまり、『やし酒のみ』はヨルバの神話、怪奇譚をベースに、「アフリカにはこんなにもおどろおどろしい世界が広がっているんですよ」と近代西欧世界におもねる手品(マジック)のような文学だと思っていたからだ。チュツオーラの作品はもう一つ『薬草まじない』が再刊されたので読んだが、ほかの作品も読んでみようと思う。筆者(ニャムンジョ)自身は自分を「フロンティア的アフリカ人」と見なしているのだろうか。
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村に残った父親Y©金子守恵
学者・研究者の論文集で、一般読者を想定していないからなのか、学術用語のカタカナ英語をそのまま文中に使っているのが目立つ。「ブリコラージュ」「ポリシング」などなど日本語として成熟していない(と私は思う)単語のそのままの使用がかなりある。欧米人の研究、それに呼応したアフリカ人の研究の対応しているためか、日本人研究者も違和感を持たないのだろうが、「コンヴィヴィアリティ」は翻訳文であるにしてもかなり無理だ。明治は遠くなりにけりの感が深い。これが研究者の独善でも怠慢でもなくて、グローバル化の潮流であるのなら、「アフリカ潜在力」探求の努力も一面の限られたものになるというのは杞憂だろうか。つまり論議する人がアフリカ人であれ、欧米人であれあるいは日本人であっても、思考の文脈・論理が英語のそれになっていくのではないかということである。それは「キャパシティ・ビルディング」とか「グッド・ガバナンス」とかの語句を文脈のなかでちりばめて疑問に思わない人たちを想起させる。
本シリーズ(全5巻)のうち、第3巻『開発と共生のはざまで』、第4巻『争わないための生業実践』に続いて、この第1巻(総論)を読んだ。第2巻(武力紛争)と第5巻(自然保護)も読まなくてはいけないと思うのだが、今は予定に入っていない。そこで中間総括のような形で「アフリカ潜在力」について考えてみたい。
本巻の太田、松田の論文を読む限り「アフリカ潜在力」は次のようにまとめられるだろう。西欧近代との出会いの500年間にわたって、搾取され、貶められてきたアフリカにおいて、1990年代から頻発している大規模な武力紛争を解決するために、国連を先頭とした西欧米世界や国際NGOが介入しているがなかなか解決しないのは、「リベラル・ピース」などの西欧近代社会の普遍主義、絶対的な正義基準だけでは通じない部分がある。それに対してアフリカ人の持っている紛争解決・共生の知恵を学ぼう。それは人間・社会の「不完全性」を前提としており、「動態性、柔軟性、多元性、雑種性、寛容性、開放性」という特性を持つ。その「アフリカ潜在力」の広範な解釈・運用が人類社会の未来に大いに役立つに違いないという期待である。
その基本姿勢には異議はない。西欧近代の知性主義、ヒューマニズムだけでは押し切れないものはあるし、その裏返しとなっている西欧社会の暴力性に対抗する文化的な多様性が求められているだろう。ただ、そこにアフリカの持つ「不完全性」だけでは弱いように感じる。アジアとかラテンアメリカがほとんど視野に入ってこない危惧を感じる。アジアといっても東アフリカからは近いアラビア・ペルシア、インドはもとより、東南アジア、中国、日本といった社会も、西洋近代の原理に侵されてしまった亜流の知恵しかもたないというのだろうか。ニャムンジョがいう「西欧近代的理性主義やヒューマニズム(人間中心主義)とはまったく異質なアフリカ世界」のなかの大学での学問研究がコンヴィヴィアルでありうるのか、はたしてアフリカの大学人(知的エリート)の大半がそうだろか?そうは思えないというのが私の30年前の観察だったが、変わってきているのだろうか。世界史は欧米とアフリカだけで成り立っているわけではないのは自明だ。
中国が今後西欧が作り上げた国際基準に対して異議を申し立てられるほど、倫理的・思想的に成熟していくかは別として、わが日本を振り返ってみたい。そもそも「わが日本」というものがあるのか、日本人のアフリカ研究者が伝統的日本社会をどう把握し、その持つ潜在力を自らの体内でどう評価しているのか。私自身を省みて、日本の理解が足らないように思う。チュツオーラの世界は日本には存在しなかったのだろうか。宮本常一、柳田國男などの著作を思い出そうとしてみる。そうしたら平田篤胤を扱った本の書評で「計り知れないものへの関心…私たちは様々な不思議に囲まれて生きている」という文に触れた。八百万の神々のあちこちに存在していた日本社会・人間の感性はどう変化していったのか。水木しげるの漫画を思い出してみる。私自身が占いや呪詛に強い抵抗感があるのは西欧近代主義に飼い慣らされたためなのか。従来の世界史観から離れるのに「自然と共存してきた日本文明の原理を世界史の標準に」などという寝ぼけた日本主義を、アフリカ人が唱えることがないように願う。
全般を通じて反差別の論理・思考が弱いように感じた。本巻の第1章でイボ社会におけるオス(不可触民)の存在に触れられているが、伝統的社会における差別の論理をそのまま「潜在力」に含めていいわけがない。第2期の研究ではジェンダーの問題は検討されるようだが、身体障がい者やアルビノなどに対する差別と戦うような、西欧近代が生み出した人権意識とは一味違うような「潜在力」を提示できるだろうか?また、事例によってはアフリカ伝統社会の「閉鎖性、保守性、非寛容性、暴力性」と受け取られかねないこともあるだろう。そういう観察に対し、研究者は応えられるだろうか?というのは「平和な」タンザニアの新首都ドドマの郊外の農村で、10月1日、土壌調査に来た農業研究所の研究員と運転手3名(うち1名は女性)が数十人の村人に囲まれ、ナタなどで殺された後、車ごと焼き払われたというショッキングな事件は起こったのだ。40数名が逮捕され現在裁判が進行中であるが、真相はまだわからない。報道で知る限り、年配の男女が多く起訴されている。さらに、全般的に歴史学的関心も低いように感じた。
総編者がシリーズ序論のなかで「わたしたちのアフリカ理解を大きく転換させる一助になることを願ってやまない」と抱負を語っている。その「わたしたち」はアフリカ研究者とか、学者一般ではなく、日本人総体を意味していると理解する。そうである場合、研究者たちの学術論文集にとどまっている限りは無理だろう。各研究者の「アフリカ潜在力」理解に大きな差異があるのは、アフリカらしくていい気がする。さて、それを私たちのような一般の読者に伝えようとするのは生半可な努力では済まないだろうと思う。私はダルエスサラームという大都会で30年間以上、かなりあいまいな平和な暮らしをしてきたが、そのなかでの人びとの生業、駆け引きが最近少しずつ変わってきたと感じている。そして日本国内外に住む「日本人総体」が簡単に措定できるのか、40年前とかなり変わってきているのだろうと感じている浦島太郎気分である。
☆写真は本書のなかから。
☆参照文献:
・松田素二「地域研究的想像力に向けて―アフリカ潜在力からの視点」『学術の動向』(日本学術協力財団、2013)
・高橋基樹・大山修一編『開発と共生のはざまで―国家と市場の変動を生きる』(京都大学学術出版会、2016)
・重田眞義・伊谷樹一編『争わないための生業実践―生態資源と人びとの関わり』(京都大学学術出版会、2016)
・エイモス・チュツオーラ、土屋哲訳『やし酒のみ』(岩波文庫、2012)
・『毎日新聞』今週の本棚(2016年10月9日号)
(2016年11月1日)
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