根本 利通(ねもととしみち)
佐野通夫『アフリカの街角から-ジンバブエの首都ハラレで暮らす』(社会評論社、1998年5月刊、2,200円)
今年になってケニアの総選挙で、ケニア独立後の白人農園収用の結果、ケニア最大の地主となったといわれる西欧社会で覚えのめでたい独立の父の息子が大統領になった。その一方で、ある程度共通した植民地化、独立の過程をたどったジンバブウェでは、独立の英雄と言われた大統領が、西欧世界から罵詈雑言を浴び、経済制裁を受けるなか、総選挙を迎えた。この違いは何なのだろうかと思い、両国の土地問題、白人に奪われた土地を奪い返す闘いに関する書物を少し読みだした。(日本語文献である)
本書はひょんなきっかけで数年前、著者の佐野さんから贈呈され、通読した後、しばらく忘れていた。しかし、吉國さんの『燃えるジンバブウェ』を読んでから、その当時のジンバブウェを記した史料として読み直した次第である。
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本書の目次は次のようになっている。
プロローグ アフリカに行ってきました
あれこれハラレ便り
1.首都ハラレの大学にやってきました
2.隣の学校から子どもの声が聞こえます
3.伝統の共同体意識と差別を考える
4.ヨーロッパ思考とアフリカ思考
5.ウェット・クリスマス前後
6.天候はダイナミックに変わります
7.その話を職員にしたらおもしろいといいます
8.きょろきょろしなくても歩けます
9.子どものときの田舎の風景を思い出しました
10.アフリカ人の季節感ではもう冬です
11.ドーバー海峡をユーロスターで往復
12.東アフリカの周辺国をまわってきました
本書は1994年8月~95年8月にかけて、ジンバブウェの首都ハラレにあるジンバブウェ大学教育学部に客員研究員として滞在した著者が、日本にいる友人に対してジンバブウェの人びとの暮らしや考え方を伝えたくて送った毎月の便りをまとめたものである。したがって各章のタイトルには一貫性はないが、著者の興味のありかとか、ハラレになじんでいく様子がほのかに垣間見られると思う。
エッセイのようなものだから、内容の紹介を避けて、著者が一貫してこだわっていると思われるものに触れてみたい。「教育・言語政策による文化の植民地性」ということだろう。著者は「日本の朝鮮植民地支配と教育、また国家支配と教育の関係を明らかにする」を主要課題としている研究者である。
まず自分が所属した大学の中で、英語が公用語、授業用語で、著者を交えては英語で話すが、教職員同士が話す場合はショナ語で話す現実に会う。そこで「植民地期日本人は現実に自分のまわりで語られる朝鮮語の使用をどう思っていたんだろうな」(P.52)と感じる。そして大学の教員、学生たちも英語教育が現実的だという意見を聞き、子どもたちの負担とか、民族意識に思いをいたす。
さらに「英語は国際語だから必要だ」という意見に対し、「国際的」な場面で必要な人間だけが英語を習えば十分であって、すべての国民に英語教育を行うのは白人を喜ばせるだけだ…わざわざ英語を使って白人に奉仕して、それで馬鹿にされていたらしょうもない、…文化の植民地性なのだ…」と述べている(P.53)。
ジンバブウェ大学で行われた「特殊教育会議」での「障害」児の「教育」を受ける「権利」についての議論を聞いて、アフリカ社会、共同体における「障害」認識という点から捉えられないかなという感想を持つ。「前近代」の方が「近代」よりも良いとばかりはいえないのは認めつつ、社会の生産力との関係で人間がどう位置付けられているのか、何故「障害」とされるのかという考察がほしいと感じる(P.66)。
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女子高校の音楽の授業
裕福な白人の「植民地意識」が抜けていない事例は繰り返される。解放後の在朝鮮日本人は恐怖にあえいだのに、この国の白人はそうではないと不思議に思う。ジンバブウェ人も「全ての」、「文化」はヨーロッパから来るものだと信じ込まされているのではないかと心配してしまう。(P.85)
私は1984~86年の間、ダルエスサラーム大学大学院に留学したことがある。英語での授業、文献調査のスピードについていけずに中退したのだが、当時の先生や同級生にその英語力の貧弱さ、アフリカ史(タンザニア史を専攻していた)の知識の蓄積の乏しさにあきれられた。
それは紛れもない事実だったから否定することは出来なかったが、言葉の問題は同級生にこう主張したことがある。「日本は明治維新以来、西欧の科学用語を日本語に翻訳して採り入れ、学問は小学校から大学まで日本語で教え学んできた。日本語で考えてきたから、欧米とは違う独自の思考・発明が生まれた。タンザニアもせっかくスワヒリ語という国語で皆わかりあえるのだから、大学の授業までスワヒリ語でやった方がいいんじゃないのか?英語でやっている限り英米人にはいつまでも敵わないし、深く沈澱した劣等感もなくならないんじゃないか」と。
若き日の、そして日本とタンザニアの状況を少し知っただけの傲慢とも言える考えだったが、今も基本的には考えは変わっていない。タンザニアはアフリカ諸国のなかでは数少ないアフリカ言語の国語化に成功した国なのに、依然中等教育以上は英語で行われ、英語に投資する(自分の子どもに幼い時から英語教育を施す)傾向が都市部では強まりつつある。階層格差拡大あるいは移動のための道具になっている。日本でも小学校から英語を教えるとか、授業を日本人の教師・学生同士が英語でやる大学も出現しているようだ。
自分の思考を形成する少年期に、何語で考えるかは重要だと思う。タンザニア人の知識人は中学校で英語の出来る子どもたちが高校、大学と進学して国のリーダーとなっていく。現在議論されている憲法改正草案には、大統領・大臣・国会議長は大卒であることと記されている。人種・民族・宗教・性別による差別を断固として否定することを国是としてきた国なのに、学歴に対する差別には鈍感である。というより、英語で思考することに何ら疑問を持たない人たちのなかで物事が決まって行っているのだろう。グギ・ワ・ジオンゴが「精神の非植民地化」と言いだしてからまだ30年も経っていないのに。
でも、これはタンザニアとかジンバブウェといった他国のことをおせっかいに心配している場合ではないのかもしれない。日本と日本人の精神・文化状況はどうなのだろうか?戦後、アメリカ合州国の価値観・文化に蹂躙されてしまい、世間的には保守的あるいは右翼と見なされている人びとでも精神的には従属構造なのではないか疑ってしまう。ましては一般の人びとにおいては反省なくマスコミに流されているようにも見える。
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ウェザのHUT
日本人によるアフリカ関係の新聞記事・書物も俎上に載せられている。
松本仁一「新しい南アで」(朝日新聞連載)
大賀敏子『心にしみるケニア』
川端正久『アフリカの政治を読む』である。
松本は朝日新聞記者で、南ア、ジンバブウェなどの報道で知られる。大賀は環境省キャリアで、ケニア、タンザニアに派遣されていた。川端はアフリカ政治学の第一人者で、社会主義時代のタンザニアに滞在して調査し、現在は南ア中心に研究されている。
たまたまであるが、わたしはこの3人の著者全員にお会いして話をしたことがある。共通するのは眼前の現実の重視、言いかえれば歴史的背景に対する省察がやや弱いということだろうか(川端は少し違うが)。ジャーナリストは今現在の状況(事件・問題点)をよりセンセーショナルに取り上げるのが仕事のようなもので、平和でうまくいっている豊かな民衆の暮らしでは記事にならない。また、短期間(1~2年)滞在すると、その国についてある程度のことがわかったように錯覚することがある。大賀の著書はその勘違いの代表例だろう。「岩波新書の信頼をブチ壊した」と評したアフリカニストがいたことを思い出す。
本書に引用されている川端の著書は読んでいないと思うが、タンザニアの独立運動史をまとめた大著『アフリカ人の覚醒』には感銘・刺激を受けた。川端はウガンダとの戦争の直後で経済的に疲弊していたタンザニアに滞在し、そのなかでの生活に疲れたからどうしてもタンザニアの現代政治をシニカルに眺めたのではないかと疑っている。最近の論文でのニエレレやウジャマー社会主義に対する評価にもそれが表れているように感じられる。タンザニアに暮らしながら、タンザニアの人びととの会話をせずに、ひたすら古文書に向かっている研究者の姿を彷彿とさせる。
1995年に著者はダルエスサラームに来ている。扉写真はダルエスサラームの目抜き通りであるサモラ・アヴェニューでココやしのジュースを飲まんとしている著者である。タンザニアのお札に漁民が網を引く絵があることに感動した話が載っている。ニエレレが引退し、社会主義が「経済構造調整」政策に追いやられていく移行の時代のことである。現在のタンザニアのお札には働く人の姿はなくなり、歴史的な建物や大学のホール、建築プラント、高層ビルになっている。
7月31日に行われたジンバブウェの総選挙では、暴虐・独裁と国際社会で非難されている89歳のムガベが再選された。独立以来もう33年になり、これから5年間の任期となる。前回(2008年)の選挙では第1回目投票では野党候補にリードを許したのが、今回は地滑り的ともいえる大差での勝利であった。国際社会といっても英米を中心とした社会なのだが、その批判・攻撃が野党候補に「英国のペット=傀儡」とレッテルを貼ることになり、マイナスに作用したのかもしれない。南部アフリカを中心としたアフリカ諸国はムガベの正統性に疑義をはさんでいない。
著者は「あとがき」にこう記している。「この本はプロローグがあって、エピローグのない本です。エピローグは読者のみなさんに書いていただく本です」。私はローデシア時代の1976年と独立後の1985年の2回しかジンバブウェに行ったことがない。したがって現在のジンバブウェの現実には疎く、どうしても独立ジンバブウェのその後、英国植民地支配の未清算という風に書きこんでしまう。はたして著者、佐野さんが再びジンバブウェの地に降り立ったら、どういうエピローグを綴るのだろうか。
☆参照文献:
・川端正久「アフリカ独立50周年を考える」(『地域研究』Vol9No.1、京都大学地域研究統合情報センター、2009年)
・吉國恒雄『燃えるジンバブウェ』(晃洋書房、2008年)
・グギ・ワ・ジオンゴ著、宮本正興・楠瀬佳子訳『精神の非植民地化』(第三書館、2010年増補新版)
(2013年10月1日)
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