根本 利通(ねもととしみち)
早瀬晋三『歴史空間としての海域を歩く』(法政大学出版局、2008年10月刊、2,500円)
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本書の目次は次のようになっている。
Ⅰ 調査日誌-香料諸島、スラウェシ島北部
Ⅱ 書評空間
1. 臨床の知を考える
2. 海域世界を考える
3. 森を考える
4. 政治・経済を考える
5. その他
Ⅲ 歴史空間としての海域世界
1. 自律した歴史空間としての海域世界への道
2. 戦前・戦中の東西交渉史、海外発展史
3. 戦後の海洋史観
4. 可視空間と不可視空間
早瀬氏は、フィリピンのミンダナオ島を中心としてインドネシアなど東南アジアの海域世界の歴史の研究者である。存じ上げなかったのだが、インド洋西海域世界の書物を渉猟している時に、その書評者として登場してきたので、その著作を読んでみた次第である。
Ⅰでは調査日誌というフィールドノートを公開している。1997年7月~8月に行われた香料諸島、スラウェシ島北部である。同行のアレックス氏は研究仲間で地元の大学の先生である。このアレックス氏は著者が尋ね歩いているサギール人なのだと思われる。
サギール人というのは、インドネシアのスラウェシ島とフィリピンのミンダナオ島に挟まれた海域に浮かぶサンギヘ-タラウド諸島原住の人たちで、国境を越えて存在し、なおかつどんどん移住していくディアスポラな民族だという。インドネシア側のサギール人にはキリスト教徒が多いが、フィリピン側のサギール人にはムスリムが多いという。それだけでも十分怪しそうな人たちではないか。
フィールドノートといっても、文化人類学者のように一つの村に一年滞在して参与観察するようなものではない。歴史遺跡やサギール人の人たちを訪ね歩く調査旅行の記録である。せいぜい1~2か月の旅行であり、その土地で暮らすわけではない。あくまでも通過していく旅人としての観察である。しかし、アレックス氏というガイドではない同学の研究者という同行者に恵まれ、外国人旅行者ではありながら、全くのよそ者扱いではない。ジャランジャラン(散歩)を繰り返し、やや不安なインドネシア語を駆使して(?)、その町、村の人びとと、あるいは船などの交通機関で乗り合わせた人たちと会話を試みる。
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海域東南アジア
寝苦しい夜も、朝早くのモスクからの朗誦の声で起き、朝食から始め食事は三度しっかり摂る。食物に興味が強いのはフィールドワーカーの必要条件だろう。港や旅行会社などで船、飛行機、レンタカーの情報を集める。古い王国の王宮、モスク、墓の三点セットを訪ねる。ポルトガルやオランダの作った砦を探して山中に分け入る。太平洋戦争中の激戦地もあり、日本軍のトーチカや高射砲も残っている。町ではサギール人を探す。温泉にも入る
狭義の香料諸島であり、丁子の原産地である北マルクのテルナテ島、マレ島、モティ島、マキアン島は兄弟のような火山島だ。最南のマキアン島がジャワ海に近く、王国の力も強かったという。つまりジャワ海を経由してくるインドからの商人が多かったということだ。しかし北方から中国の商人、そしてスペイン人、ポルトガル人がやって来るようになると最北のテルナテ島の戦略的重要性が増し、現在に至っているという。
最南のマキアン島に滞在した時のこと、過疎化で集落は寂れ、公共事業もないと聞く。快適な滞在ができないなら早く帰ろうと船をチャーターしようとする。結局チャーターはできないのだが、定期船が各集落を各駅停車のように回って行くのは、島の人たちの生命線で、もし船が立ち寄らなくなったらその集落は消滅してしまうかもしれないと気づく。
移住者の島であるハルマヘラ島を車に乗って周っている時に、学術書とフィールドノートを同時出版するアイデアを思いつく。「これだけの記録を公表しないのは、もったいない気がする。今回の調査旅行で歴史的イメージがつかめてきた。進行形的に、歴史的イメージの形成を語る必要もあるだろう。…フィールドワークが意味を持つのも、歴史と哲学がその背後にあることが大前提だ。その意味でも、歴史家にとってフィールドワークとはなにかを語る必要があるだろう」(P.60)。 著者はよく山に登る。「ヨーロッパ人が「都をおとした」という記述にお目にかかる。…東南アジアの海域世界では都が簡単におちて、王様はサッサと逃げて、しばらくしたら帰ってきている。逃げた先がこの「山の都」だったようだ。 ヨーロッパ人の残した記録は、自分たちが見られていることがわかっていたら、違ったものになっていたかもしれない」(P.68~9)という。
サギール人の原住地であったシアウ島、タグランダン島に渡る。ササハラ表現にぶつかり、わからなくなる。海上で災いを招かないように、直截的表現を避けるという。海洋民の生活の反映だ。また、流木を利用した造船所が各地にあり、日曜大工のようにだれでもやっているという。
この調査日誌を読んでいると、陸上移動には定期バスを使わずに、車をチャーターしていることが多いのに驚く。数少ない交通手段を独占する後ろめたさは自覚している。ほんとうのフィールドワーカーであれば徹底してやるところを、少しだけ体験する自己満足も自覚している。気力・体力がないと告白しているが、この調査旅行の時の著者は42歳、気力も体力も充実していたはずだ。それが代表的著作に結実したのだろうし、やはり著者が文献派出身であるからだろうか。
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ティドレ島の王宮跡
Ⅱでは「書評空間」という紀伊国屋書店のウェブ書評の文を抜粋して載せている。なかなか厳しい指摘もあるが、マイナーな分野の若手の研究を取り上げていて、気づかされることがありおもしろい。本書には2005~7年の書評の抜粋が載っている。項目別では、「臨床の知」「海域世界」「森」「政治・経済」「その他」となっている。
「臨床」というのはこの場合は「現場」「フィールド」ということだろう。著者の主要な関心である「海域世界」では、国民国家、陸域、温帯、定住農耕民という従来の主流派と見なされる部分から外れた地域の歴史を拾い集めることによって、歴史そのものを再構成しようとする。文献史料には乏しいから「現場を歩く」ことによって見えてくるものが多いのだろう。
書評とはそういう歯切れのいいものであるべきなのかもしれないが、「ホンモノだ」とか「優れた研究者」という言葉が出てくるのが少し気になった。つまりそれを判断する著者の立ち位置の問題だ。そんなに断定的に語ることはできないだろうと思うのである。著者が評価しない研究は固有名詞は挙げられずにまとめて批判的に語られる。それは「上から目線」ということではなく、評者の矜持、自省を伴った自負なのだろうと思うのだが、意図的な姿勢もあるのだろうか。
Ⅲでは、東南アジア海域世界の研究史を概観している。江戸時代、瀬戸内という海域世界には徳川幕府の威光が及ばず、鎖国の時代にルソンなどと密貿易をした商人のことが語られる。戦前・戦中は東洋史の付属物としての南海史、あるいは「帝国」が将来進出すべき地域としての南方研究であった。東南アジア、それも海域世界を自律した世界の歴史として意識されるようになったのは、戦後もしばらく経ってからであったという。
人口密度が低く流動性が激しい遊牧民や海洋民の世界は、定住農耕民の世界と比べ、文献史料にも乏しく見えにくい。陸域世界との接触ではややもすると「馬賊」「海賊」とアウトローとして登場する遊牧民、海洋民の世界を陸域世界の付属物、寄生物としてではなくて、自律した海域世界として捉えなおそうという努力が進められている。不可視な空間の広がりを捉えようということだ。
本書の「はじめに」に 『歴史研究と地域研究のはざまで-フィリピン史の論文を書くとき』(2004年)の続編で、「フィールドワーク編」と「読書編」であるとされている。前編も本書に載っている調査旅行の成果をまとめられた著作である『海域イスラーム社会の歴史』もそう簡単には読めないので、著者の本領はわからないのだが、本書の中で触れられている著者の感想から、構想する歴史観というのは想像できるように思う。
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テルナテ島のオラニエ砦
同じく「はじめに」のなかで、著者は「読むこと」「観ること」だけでは現在の社会を把握することは難しくなっており、「ともに生きる」ことを研究対象から学ぶことの重要性を主張している。著者の想定した読者対象が、学生・大学院生・若手研究者ということで、一種の呼びかけ、励ましを意図した書物なのかもしれない。「新しい学問への挑戦という、きらきらしてまぶしいもの」に対する期待であるという。
アフリカ(タンザニア)でも、若手研究者は従来の参与観察の域を越えて、調査地の村人たちと積極的な村おこしに関わりだしている。それが例えば伝統技術の保存・文化観光の導入、学校・診療所の建設、井戸掘り、水車による発電、販路の開拓だったり多様だが、基本的には開発もしくは発展に関与しようとする姿勢である。「先進国」から来た研究者として、調査地の人びとと長期的に真摯に向き合おうとしている。研究の搾取性も意識されている。
しかし、「共に生きる」というのはそう簡単ではない。本書の書評空間には、青山和佳のフィリピン・ダバオ市での研究の例が挙げられているが、10年を越えたスパンで続いていけるのだろうか。大学院生・若手研究者である間は、現場にどっぷりつかり、現地の人たちと濃厚な人間関係をもつだろう。しかし、その後大学の職を得て、その空間に自分の場所を占めた後の話である。それは意志、意識、意欲の問題だろうと思うのだ。
「書評空間」のなかで森崎和江が「読むこと」「観ること」「共に生きること」を実践し続けてきたことに敬意を表している。いわゆる在野の研究者の方が「共に生きる」ことがより可能なのかもしれない。あるいは自分を「研究者」と位置付けてしまうと、アカデミズムの制約が出てくるのだろうか。モザンビークの独裁政権と外資による土地収奪の進行に反対の論陣を張る研究者は、もはやその制約を乗り越えているように見える。
他人事ではなく、インド洋西海域の世界の人びとの意識を、東アフリカ(スワヒリ海岸)から考えていきたいと思っている。
☆参照文献:
・家島彦一『海域から見た歴史ーインド洋と地中海を結ぶ交流史』(名古屋大学出版会、2006年)
・赤嶺淳編『グローバル社会を歩く-かかわりの人間文化学』(新泉社、2013年)
・Abdul Sheriff "Dhow Cultures of the Indian Ocean""(C.Hurst & Company,2010)
(2014年4月1日)
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