根本 利通(ねもととしみち)
植村和秀『ナショナリズム入門』(講談社現代新書、2014年5月刊)。
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本書の目次は次のようになっている。
はじめに-ナショナリズムを見た日
第1章 ネイションの作り方
第2章 ネイションの自明性―日本の形
第3章 ネイションの多義性―ドイツの変形
第4章 人間集団単位のネイション形成(1)―ドイツと東欧
第5章 人間集団単位のネイション形成(2)―ユーゴスラヴィアの滅亡
第6章 地域単位のネイション形成(1)―アメリカ大陸の状況
第7章 地域単位のネイション形成(2)―ヨーロッパの西と南
第8章 ネイション形成のせめぎ合い―重複と複雑化
第9章 ナショナリズムのせめぎ合い―東アジアの未来
第10章 政治的仕組みとネイション
おわりに
2008年2月にミュンヘンでセルビア人の集会に遭遇した経験を「ナショナリズムを見た日」として語りだす。ユーゴスラヴィア崩壊の最終過程で、コソヴォがセルビアから独立宣言を出した直後のことだ。さてナショナリズムとは何かという話になるのだが、それを日本語に翻訳すると国家主義、国民主義、民族主義、国粋主義などさまざまに考えられるが、すべてを代表できる言葉はく、本書ではネイションと表記するという。
第1章では、ナショナリズムを定義する。「土地を持ち、その土地の上に文化的なものや国家的なもので歴史的に形成され、ネイションへの意識と意欲が目覚めてネイションとして広く強く認知されたもの」(P.36)。これはドイツの歴史家マイネッケのネイション論に基づいている。
第2~3章で、そのネイションのあり方がわかりやすい日本とそうでないドイツを比較する。日本は日本列島という土地に、遅くとも6世紀ころには日本という国家が成立し、その歴史が連続してあるので、国民と民族と国家が一致するという理解が一般にされやすい。もちろん例外はあるのだが、日本のナショナリストはそういう理解で自明のものとして、明治維新以来日本ネイションを捉えてきた。「アイヌ民族なんていまはもういない」と言って物議をかもした札幌市議の認識もそうだろう。
一方、ドイツのネイションの形はなかなか定まらず、歴史のなかで変化してきた。18世紀の神聖ローマ帝国から、19世紀前半のドイツ連邦を経て、19世紀後半にプロイセンを中心としたドイツ帝国が成立するが、それはハプスブルグ帝国を除外した、つまり帝国の外に多くのドイツ人を残したままのドイツの形成だった。その後、第一次世界大戦の敗北、ヒトラーの登場と敗北、冷戦下の分裂と再統一と領土は大きく変化してきた。従って自明の形はなかった。
著者はネイション形成を人間集団単位と地域単位に分けている。第4~5章では人間集団単位の例としてドイツと東欧の例を挙げる。東欧ではロシア、ハプスブルグ、オスマンという巨大な帝国が存在し、その領内には多様な人間集団が存在した。ビスマルクが作り上げたドイツ帝国内に6,500万人のドイツ人が住み、帝国外に3,000万人のドイツ人が住んでいたという。そして第1次と第2次の世界大戦とその後において、ヒトラーとスターリンによって、東欧のドイツ人とユダヤ人はほとんど消滅させられ、暴力的な形で人間集団単位のネイションが成立させられたという。
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1990年のドイツ再統一とその翌年のソ連の崩壊後に起こったユーゴスラヴィアの滅亡を、20世紀前半東欧におけるドイツ人問題の縮小再生版であるセルビア人問題として捉える。ユーゴスラヴィアで多数派であったセルビア人が、各ネイション分離の流れのなかで少数派に追いやられ、セルビア・ナショナリズムを鼓吹して権力を握ったミロシェヴィッチ大統領のもとで、「民族浄化」を行なったと悪役にされて敗北する過程を追う。この負の歴史の教訓から、ネイションへのこだわりをなくすという選択肢もありうると思われるが著者は採らない。
第6~7章では地域単位のネイション形成の例として、アメリカ大陸とヨーロッパのなかのイタリア、フランス、英国を挙げている。地域単位で形成されたネイションは近代国家との相性がいいという。カナダのなかのケベックというネイションはそのなかでエスニックな異分子のように見えるが、シビックなものとエスニックなものの二分法を否定する。社会構成文化という自由民主主義国家にとって重要基盤というものをカナダ、アメリカ合州国について考える。しかしシビックなナショナリズムを理念としたアメリカの現実としては地域住民の選別が裏側にある。中南米の国々については、その国家が旧スペイン領時代の行政単位であったとのみ触れられている。
第7章の西欧国家はなじみがあるせいかわかりやすい。都市国家の伝統を受け継いだイタリアの地域的多様性とか、イングランドによる統一国家である英国とか。フランスの場合は政府による中央集権政策で、地域単位のネイション形成が推進されたという。特に革命による共和国形成後は、「自由と祖国」というイメージがフランスから切り離せないものと見なされ、「革命・共和国・自由・文明の敵」が設定されたという。好例として海外県であったアルジェリアの例が語られる。
第8~9章では、いわゆる西欧北米以外の国に触れる。ロシア帝国~ソ連を経由して現在のロシア連邦に至るロシア・ナショナリズムを「巨大さ」へのこだわりと表する。その好敵手であったトルコは、イスラームやパン・トルコ主義へのこだわりを捨て「小ささ」を目指したとする。さらにアラブのナショナリズムについては、イスラームへのこだわりの強さや部族的なものとの重なり、複雑さを語る。
第9章では外部からのネイションの認知という話で、認知されたエストニアと認知が微妙な台湾に触れる。そして中国ネイションと中華民族に話が展開する。「民族」という言葉が日本語起源であることは有名な話だが、そこから中華民族という言葉が生まれ、中国ネイションと混用されることになる。漢族を中心とした中華民族が旧清帝国の版図を占めることになり、モンゴル、チベット、ウィグルなどの人びとが組み込まれ、ネイション形成を否定されている現状がある。成長する中国ネイションの活力を高めるためには、民主主義の仕組みを取り入れていくことが不可欠であるというが、民主主義に絶対的な価値、保証を置いているわけではない。ネイションのエゴイズムを破局に転じさせないような決意も仕組みも、東アジアにはまだないと著者は主張する。
第10章では次のようにまとめている。近代国家がネイションと接合され、「われわれの」国家になれば、それは国民国家と呼ばれる。その国家においてナショナリズムや民主主義はアクセル役だが、自由主義はブレーキ役になる。ネイションを豊かに多様化しようという動きと、強力で一体化したものにしようという動きがせめぎ合うことになる。そしてそのなかでネイションの主導権をめぐる争いが強まっていく。
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1950年にインドのネルーが「アジアのどこの国でも、その国のナショナリズムの要望が何であるかを認識する必要がある」と訴えたという。この訴えは主に欧米人、もっと言えば当時まだ植民地宗主国であった国の人たちに向けられたものだろう。その後半世紀以上が経過し、ヨーロッパにより区切られた国境線にそって独立した国家が、ネイションを形成する努力が続いている。その「ナショナリズムは、あくまで人間が作るものであり、人間が生み出してきたものです。それゆえ、人間が善く育てねばならないものではないか」(P.278)と著者は言う。
本書にはラテンアメリカ、東アジアを除くアジアへの言及が乏しい。さらに、アフリカ大陸におけるネイションにはほとんど触れられていない。アラブのネイションとして言及されたエジプトは別として、南スーダン内戦についてかすかに触れられているのみである。これはアフリカのネイションは形成途上でまだ論じるに足りないという意図なのか、あるいは著者の手許にある資料が少なくて慎重を期したのだろうか。しかし、ほとんどのアフリカ諸国は独立後半世紀を経過し、植民地分割で国境線を引かれてから1世紀以上経つ。その与えられた形である領土国家が、どういうネイションの力で支配されるのか、西欧的な近代国民国家に成長するのか、せざるをえないのか、あるいは違う形がありうるとしたら何なのか。
2015年1月7日にパリで悲惨な襲撃テロ事件が起こった。その後の展開ではフランスのナショナリズムというのを見る思いがする。襲撃を免れた諷刺画作家が記者会見で次のように述べていたらしい。「表現の自由は、表現の自由だ。『自由だ。だけれど……』なんて留保をつける必要はない」。テロに対する批判、言論の自由の保証という大義が圧倒的だ。それに対してイスラームの人たちからの異議申し立ては当然ある。しかし、これは宗教対立の問題ではないだろう。言論の自由と言って、差別する、侮辱する自由もあるのか?ユダヤ人に対する攻撃は法律で許されないとして、アラブ人に対するそれは許されるのか?ムスリムが起こす事件はテロ事件とされ、クリスチャンが起こすそれは襲撃事件と表記されるのはなぜか?それは二重基準ではないのか?日本で起こりつつあるヘイトスピーチの横行を取り締まろうとする根拠は何なのか?自由と平等が衝突する時、自由を優先するのがフランスの文化ナショナリズムなのだろうか?形としてはフランス人がフランス人に殺された事件だ。
著者は次のように明快に規定している。「ネイションと関係のないこだわりを、ナショナリズムとは呼びません。例えば、特定のネイションとは関係なく、イスラームという世界宗教に肯定的にこだわる場合、それはイスラーム主義とは呼ばれても、イスラーム・ナショナリズムとは呼べないのです。関係者は似たような雰囲気になることはありますが、こだわりの対象で区別をすればいいのです」(P.11)。しかし、今回の事件はキリスト教西欧世界とイスラーム世界という宗教対立・文明の衝突のように見せているが、そうではないだろう。やはり同じ1月にケニアで発行されている週刊英字紙に、タンザニアの大統領と思しき人の諷刺画が載り、タンザニアがその新聞の輸入を禁止する事態が起こった。これはナショナリズムの問題のように見えて、実は違うのではないか。
本書の帯には次のようにある。「21世紀最大の難問―クリミア・尖閣・竹島…衝突は、なぜ起きるのか?」。これは販売用の惹句であるが、編集者が著者に依頼した執筆目的でもあったのだろう。それは「おわりに」のなかで著者が述べていることでもうかがうことができる。本書はかなり丁寧に定義付けをしつつ、わかりやすく書こうとされている。おそらく基は大学のゼミのの討議資料や授業の内容であったのだろうかと想像する。しかし、その割には私の頭のなかにすっきりとは入ってこなかった。ナショナリズムの問題は複雑だし、人それぞれに先入固定観念があるからかもしれない。誤読がありそうな気がする。
おまけである。「おわりに」のなかで映画『ハンナ・アーレント』に触れられているので、見てみた。アーレントは高名な政治思想家で、ユダヤ系ドイツ人だったがアメリカに亡命を余儀なくされた人たちの一人である。「イェルサレムのアイヒマン」裁判の傍聴の報告で、アイヒマンに「悪の凡庸さ」を見、ユダヤ人共同体の弱さも指摘し、ユダヤ・ナショナリズムの憤激を買ったが、「人間」観察にこだわって妥協しなかったという。著者は「ネイションの一員というこだわりが、人間を見失わせる危険を持つことへの警告が発せられている」と感じる。しかし、アーレントのいう「人間」のなかにアフリカ人は数えられているのだろうか?彼女の主著『全体主義の起源』のなかに「大陸全体にうごめく住民としての黒人を見たときのヨーロッパ人を襲った根源的な恐怖は、‥それはこの黒人もやはり人間であるという事実を前にしての戦慄であり、この戦慄から直ちに生まれたのが、このような「人間」は断じて自分たちの同類であってはならないという決意だった」(『闇の奥の奥』P.158~9)とあるという。アーレントの西洋文明論・帝国主義論はアフリカ人を「人間」のなかから除外して立てられているのだとしたら、本書におけるナショナリズム論の空白部分が不安である。そういえば最も強固なナショナリズムと思えるシオニズムへの言及はなかったなと読後に感じた。
☆写真は本書のなかから。
☆参照文献:
・『朝日新聞』デジタル(2015年1月14日)
・『Mwananchi』2015年1月24日号
・藤永茂『闇の奥の奥―コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷』(2006年、三交社)
・DVD マルガレーテ・フォン・トロッタ監督『ハンナ・アーレント』(2012年)
・芝健介『ホロコースト』(中公新書、2008年)
(2015年3月1日)
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