根本 利通(ねもととしみち)
タンザニアは2011年に入り、大変なことがあとから後から出て来ている。
アルーシャの市長選挙をめぐる与野党の対立。野党(CHEDEMA)のデモに警官が襲い掛かり、死者が3名出た。新憲法を要求する野党の要求に、与党は今のところ応えていない。政治的な対立は長かった一党独裁の時代と違い、はっきりとマスコミにも載り、都会ではよく議論されている。地方の農村ではどうなのだろうか?その昔の秘密警察に怯えるようなことはなく、おおっぴらに議論されるようになったのだろうと思っているのだが。
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爆発の傷跡©Citizen
チュニジア、エジプト、リビア、イェメン、バーレーンとアラブ世界の長期独裁政権が崩壊し、あるいは揺らいでいる。タンザニアも独立以来50年間、TANU/CCMが政権を独占しているが、個人による独裁ではないし、民主主義は曲がりなりにも機能していて、野党が存在を主張できるようになっている。従って、状況は違うと思う。中国や北朝鮮、ジンバブウェ、アンゴラなどは、恐れる理由があると思うが。しかし、野党の中で、「チュニジアやエジプトの例は他人事ではない」と煽る勢力のあるのは、いかがなものか。自国の民衆に血を流させようとする運動は、いただけない。
都会の人びとの暮らしの中で、大変なのは延々と続く計画停電だろう。今回の計画停電が、いつごろから始まったかは記憶にない。「どうも計画停電が始まったらしい」と言われ、でも新聞には発表されないまま、ずるずると停電時間が延びていった。最近の我が家は、朝8時~18時の停電の翌日は、夜18時~23時の停電というローテーションである。時々、ローテーションが崩れることもある。
この20年以上、タンザニアでは計画停電が繰り返されている(「ダルエスサラーム通信」第55回など参照)。2006年の大停電もひどかったが、この当時、タンザニアの総発電能力は1日1,149MWで、そのうち火力発電は436MWと言われていた。今年の新聞報道では、総発電能力は1,006MW、内水力発電が561MW、火力(天然ガス+重油)発電が445MWである。総需要は935MW、しかし現在の発電量は、水力180MW+火力280MW=460MWで、総需要の半分にも達していない。NSSF(国民社会保障基金)は、4000億シリングを投資して、今年の12月9日までに、南部のキウィラの石炭を利用して、300MWの発電を起こすと大風呂敷を広げているが。
電力会社(TANESCO)は、2008年の契約不履行を南アの会社Dowansに訴えられ、11月15日の国際司法裁判所の判決で、 1855億シリング(約10億円)の違約金の支払いを命ぜられた。2008年のロワッサ首相の辞職につながったリッチモンド・スキャンダルが、尾を引いている。タンザニアの財政にとっては大変な負担だ。その後、違約金の金額はどういうわけか、940億シリングと約半額になっている。
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避難する人びと©Majira
この負担に対して、野党は口を揃えて、支払いに反対する。公務員とか大学生とか、手当や公費負担を削られる人たちも、デモで「Dowansに払うなら、自分たちの手当を寄越せ」と主張する。与党の中でも支払いに反対する大臣がいる。大統領は口をつぐんで語らない。事件が今は、タンザニアの高裁にあるためか、国会でも議論されず、行政府もコメントしないということか。
Dowansの方は金額について交渉に応じると公表している(新聞報道によれば940億シリングを240億シリングに削減してもいいらしい)のに、一方のTANESCOは交渉の席に就いていない。裁判一本で勝てるとは思えないのだが。そして計画停電が続く中、100MWの発電能力を持つとされるDowansの発電機が空しく眠っている。
2月16日は、マウリディという預言者ムハンマドの誕生日というイスラームの祭日で、タンザニアも国の休日だった。穏やかな休日だったが、その晩大事件が起きた。
私が気がついたのは夜の9時過ぎだが、もっと早くから始まっていたのかもしれない。最初は自動車の衝突事故か、落雷かなと思ったのだが、それにしては大きな地響きを感じ、繰り返されるので家の外に出てみると、郊外が赤く染まっていた。
急いで家の中に戻り、ラジオをひねると、ゴンゴラボト(ダルエスサラーム空港から、さらに西に向かうプグロード沿いの町)の軍の基地で、爆弾が連続爆発しているとのこと。インタビューを受けた国防大臣も「理由が分からない」と報道していた。その後、1時間以上、爆発は続き、収まった。
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飛び散ったロケット©Mwananchi
翌日の報道では、死者は20名以上、怪我人は300人以上、避難した人は4,000人以上ということだ。逃げ出す途中で親とはぐれた子どもたち、避難中に家財を盗まれた家族もある。ロケットで飛び散った不発弾の捜索などで、17日の14時までダルエスサラーム空港は閉鎖され、その日国内外移動予定の人たちに大きな支障が出た。
思い出されるのは、2009年4月29日に起こった、ダルエスサラームの南郊バガラの軍基地での爆発事件である。(「ダルエスサラーム通信」第86回参照)この際も、誤った操作のためなのか、事故で連続爆発となり、30人からの人が亡くなった。その際に「二度とこの悲劇は繰り返さない」と誓われたのにも関わらず、また全く同じような事故が起きた。2年前の事故調査報告が出たという話は聞かない。2年前に国防大臣、軍総司令官だった人間は、現在も同じポストにいる。
しかし、日本のマスコミもひどいものだ。
17日の『朝日』のウェブニュースには「在タンザニア米国大使館は1998年に国際テロ組織アルカイダによる攻撃を受けており、テロの可能性もある。」と出ている。 当地では全くそういう話はなく、軍も「事故」と言っているのに、アルカイーダの名前を挙げ、テロの可能性を示唆するなんて、トンでもない。裏づけ調査もなく、アメリカの情報を垂れ流すなんて、ジャーナリストとは言えない。
タンザニアのことを記事にしたことはいいことと思うが、中身がこれでは、いくら、中東で進行中の事件に追われていたとはいえ、この記事を書いたカイロ駐在の記者、ペンを入れた東京のデスクの興味のレベルが知れてしまう。
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噂の二人©Citizen
さて、その後の爆発事件の報道を追ってみよう。
死者の数は26名まで増えたが、その後40名という報道もあったが、あまり増えていない。1週間後にはほとんどの住民が戻り、生活も正常化したようだ。子どもたちの行方不明は残っているようだ。ゴンゴラボト基地から、5~11kmの範囲に爆弾は飛び散ったらしい。
ダルエスサラームにはゴンゴラボトを含め、市内に5ヶ所の軍の基地があるらしい。全部植民地時代に作られたわけではなく、ゴンゴラボトは1971年が始まりらしいが、当時はまだ郊外の閑散とした土地に作られたのだろうが、その後のダルエスサラーム市の発展で、今はほとんどが住宅地域の中に呑み込まれている。ある基地でもし爆発事件が起これば、我が家も影響を受けそうだ。その基地のさらなる郊外への移転要求も上がっているが、応じる姿勢はないようだ。
2月18日の『Majira』紙に、軍の幹部がインタビューに答えている。2年前のバガラ基地での爆発事件の教訓が活かされていないことを指摘されると、「2年前は昼間で、今回は夜なので類似点はない」と説得力のないことを答えている。また期限の切れた劣化した爆弾とか、管理体制の不備を質問されると「今回の爆発は定期点検の3日後に起こったもので、爆発したのは昨年9月に購入したもので、品質には問題ない」と胸を張る始末であった。
当然、国防大臣と軍総司令官の辞任を求める声は、野党からも民衆からも上がっている。しかし、本人たちも表面に登場せず、与党の方からの反応はない。消息筋として、辞任を否定する声が伝わっている。マスコミの追求の弱さだろうか?さらには、大臣の任命責任者として、さらに軍の最高司令官としてのキクウェテ大統領の責任を追求する声も一部には上がっている。ただ、政治ゲームの道具にされる恐れもある。
3度目は決して起こらないはずなのだが、今のところ、早急に対策が練られたとは伝わってこない。また、時の流れと共に、責任もうやむやにされるのだろうか。
(2011年3月1日)
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