根本 利通(ねもととしみち)
今年(2011年)は、タンガニーカ独立50周年である。その「独立50周年記念タンザニア出版物シリーズ」(と、私が勝手に呼んでいるだけだが)の1冊である、上田元著『山の民の地域システム』(東北大学出版会、2011年)を紹介したい。
上田さんとは、1995年来の知り合いである。ほぼ毎年、だいたい夏にタンザニアを訪れて、調査されている。最初にお会いした時は若々しい好青年であったが、今や堂々たる気鋭の学者の風格である。
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まず、本書の構成を見てみよう。
1章 山地社会経済の地域システム
2章 地域システムの拡大とモノの流れ
3章 地域システムと経済自由化の場所選択性
4章 山麓の流動性と周辺性
5章 低地平原の食糧生産と灌漑
6章 山腹の乳牛飼養と牛乳家内加工
7章 山腹の造林と参加型管理
8章 まとめと展望
調査のフィールドは、タンザニア北部アルーシャ州のメル山麓の農村である。私自身は行ったことがないが、我が社の運転手が上田さんと一緒に行っているので、村の様子を漏れ聞くこともある。
本書の副題に「タンザニア農村の場所・世帯・共同性」とある。あまり見慣れないタイトルであるが、上田さんのこの書に関するメインテーマとして、場所選択性、世帯選択性と共に、社会経済的共同性の問題が議論されている。
第1章では「山地社会経済」というものが、紹介される。アンデス山地や、ケニア山、さらにタンザニアのメル山のお隣に聳えるキリマンジャロ山の周辺の人々を研究した先行例が挙げられる。その地域のシステムに対するマクロ経済的インパクトの波及効果と、そこに住む人々の生計戦略を明らかにするという本書の目的が概説されている。
第2章では調査の対象とされたアルーシャ州アルメル県の概要が紹介される。アルーシャ州はタンザニア本土の21州の中で、経済的には相対的先進州である。マサイ・ステップという広大な半乾燥地帯の中に浮かぶ島のように、メル山という高山があり、その東南山麓は湿潤な農耕適地になっている。アルーシャ市(県)という都市部を除くアルメル県では、住民はメル人というバントゥー系の農耕民が多数派で、次いでアルーシャ人が多く、チャガ人などもある程度居住している。17世紀といわれるメル人の入植から、ドイツ、イギリスによる植民地支配による大規模農園などの設立にいたる略史も見る。
その中では、著者が観察の対象に選んだ6つの村について述べられる。標高の高い方からいうと、ソンゴロ村、アケリ村(山腹と分類)、ムランガリニ村、ングルドト村(山麓)、マロロニ村、ムブグニ村(低地平原)である。この6つの村を中心とした、人口移動、交通、物流(トウモロコシ、インゲンマメ、家畜受委託、飼葉)のシステムについて、概観される。
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アルーシャ市から見たメル山©上田元
第3章では伝統的にこの地域の代表的商品作物であったコーヒーに焦点を当て、その低落していく様子が述べられる。低落というよりは、激減、壊滅に近い状況のようだ。これはアルメル県に限らず、キリマンジャロ・コーヒーの生産地であったキリマンジャロ州全体にも共通する。この原因はさまざまに述べられているので触れないが、アルメル県の中の村でもその位置によって少しだけ状況は違うようだ。かつてのコーヒーの主産地であった、アルーシャ市近郊の山麓上部~山腹下部での衰退が激しく、山腹上部やアルーシャから遠距離のキリマンジャロ州に近い地域での落ち込みは緩やかだという。
人々は必然的に、ほとんど崩壊に近いようなコーヒーに代わるような生計の手段を考えることになる。それはその地域(アルーシャ市からの距離、標高など)によって異なるのだが、主食生産、蔬菜生産、家畜飼養、林業、そして非農業的活動など、様々な生計戦略が採られることになる。
第4章では、山麓部の村ングルドト村に焦点を当てる。上田さんが、1995年最初に調査対象に選んだ村だ。山腹でも低地平原でもなく、山麓のアクセスのいいこの村が、「山の民の地域システム」において中心的役割を果たしているのではないかという期待があったらしいが、それは調査が進むにつれ、裏切られることになる。
ングルドト村は、1960年代後半まではヨーロッパ人の入植者の大農園やインド系商人の森林伐採地中心であったのが、1970年代初めに一部の草分け農民が入植し、1970年代半ばにはウジャマー政策の進展に伴い、政府による無償配分によって小農が入植した新開村である。従って、メル人以外にもチャガ人をはじめとする多民族構成の村になっている。そのため、土地の売買にもメル人クランの規制が働かず、かなり流動的な社会となっている。またコーヒー生産も遅れて始まったこともあり、協同組合の弱さもあるのか、コーヒーの生産は低位に停滞しているという。
第5章は低地平原にあるムブグニ村における変容を紹介する。ムブグニ村は上田さんのいう地域システムの最南端に位置する。降水量が700mm以下の半乾燥地帯であるこの低地平原は、元来マサイ人による遊牧、アルーシャ人、メル人といった農耕民による放牧地として利用されてきた。農耕は、在来型の小規模灌漑による自給農業だったという。それが1980年代後半からの食糧作物流通の自由化、そして、1990年代に入って鉱業の自由化に伴うタンザナイト・ブームが隣のマニヤラ州メレラニ鉱山を繁栄させるに及んで大きく変容する。つまり、メレラニ鉱山労働者へのトウモロコシ、蔬菜、キャッサバなどの食糧作物需要が膨張したのだ。
従来の自給的な農業に変わり、広域的な食糧流通システムが形成される。そのために従来の小規模灌漑を拡充する形での水利組合の運営が活発化する。上田さんはムブグニ・マドゥカニ水利組合の調査を行う。その配水の優先順位は、蔬菜、トウモロコシ、キャッサバなどになっている。広域市場を意識した商品作物などが優先され、バナナなどの従来の主食は後回しになっている。限られた水利をめぐる対立、また水利組合員が男性に限られるなどのジェンダー的対立も指摘される。
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ソンゴロ村の人々©上田元
第6章では山腹の村における畜産(乳牛飼養)を語る。山腹上部のソンゴロ村は、ここ数年、上田さんの調査の中心地になっているようである。ソンゴロ村の調査区ンコアサクヤ村区のンコアは「ウシの道」を意味する言葉だそうで、放牧のためにウシが移動していたらしい。放牧地が減少し、現在はほとんど舎飼にになっているようだが、乳牛飼養はメル人のにとっては伝統的な生業であった。ウジャマー時代の国営乳業公社(TDL)が、1994年に破綻した後も、小農経営によるインフォーマルな酪農経営は生き残ってきた。
しかし、アルーシャ市から遠いソンゴロ村までは、乳業会社の集荷のための車は、回って来ない。そのため、村内、あるいは隣村の個人の業者が、各農家から集荷し、手押し車で山を降ろし、幹線道路まで運んでいる。1990年代に入ってさらに変化があり、村内で乳製品(チーズとバター)の家内加工が始まっている。これは経済自由化以降、増えてきた外国人観光客の需要に応えているのである。つまりアルーシャを中心としたタンザニア北部は、セレンゲティ、ンゴロンゴロ、キリマンジャロという観光資源を抱え、年々訪れる観光客数は増加している。その需要があるのだが、家内加工を始めた農家の夫が公務員として働いていて、情報・技術研修などの機会が得られことがきっかけとなっているようだ。従来のコーヒー販売収入を大きく上回る収入を得ている。
第7章では山腹の村、ソンゴロ村での林業の様子を記す。上田さんは、2007年「緑が濃くなっている」と実感している。ソンゴロ村のような山腹上部の村では、アルーシャ市からの距離からして、蔬菜や牛乳生産には相対的に不利であるが、針葉樹を中心とした林業活動という選択肢がある。所有地が広い世帯にとっては、造林活動は材木価格の近年の上昇傾向から魅力的な生計手段となっている。
しかし、所有地が狭く、煮炊き用の薪すらままならない世帯は、隣接する森林プランテーション、森林保護区から、それを採取することになる。タンザニアにおいて1990年代から広まってきた「参加型森林管理」への模索は、このソンゴロ村でも見られた。しかし、これはなかなかうまくいかず、環境保護派の国際NGOの圧力などから、森林プランテーションから薪材の採取禁止、さらには森林保護区の一部をアルーシャ国立公園に編入するという、参加型とは相容れないトップダウンの指令と衝突することになった。村の住人にとって、管理に参加する経済的なインセンティブが必要かという議論、また国内のNGOの脆弱さにも触れられている。
第8章ではまとめと今後の展望を語っている。上田さんは本書の中で、地域システムというものを明らかにし、その観点から地域の住人が「集約化や多様化の手段を単に外部から導入したのではなく、それを支えるべく場所のネットワークを変化させてきた」という。親族の移動などによって作り出された社会的ネットワークの役割は縮小傾向にあるともいう。
本書で行われたようなボトムアップ型シミュレーションを、資源・環境・土地利用の「参加型」管理に応用しようとする試みは、具体的に進展しつつあるという。しかし、そういった在来知ではない、外来知の利用も慎重に取捨選択の必要があるであろう。また社会経済共同性の検討にもまだ余地はあるとする。
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乳牛の飼養(ソンゴロ村)©上田元
さて、紹介部分が長くなってしまった。私のコメント、感想を付したい。正直、読み進むのに苦労した。上田さんが今まで発表された論文はいただいていたし、フィールドの話もうかがっていたので、ある程度は想像がつくと思っていたのに、かなり苦戦した。正統的な学術書であり、厳密な語句の定義や引用が繰り返されるので仕方ないのかもしれないが。従って、私自身が著者の論理の展開・分析についていけなかった(理解できなかった)部分も多々あると思われるので、上述の紹介、これからのコメントについても、誤りがありうるので、最初に謝っておきたい。
まず、「アルーシャ州というのはタンザニア本土内では相対的先進州」という認識は持っていたたが、気候のいい湿潤な農耕適地と漠然と思っていた。「放牧に向いた半乾燥地帯にぽつんと浮かぶ島のような農耕地」ということを知った。
この本を読む限り、アルーシャ州のコーヒー産地としての将来について、暗澹たる気持ちになる。フェアトレードなどという手段では解決し切れないようなレベルだろう。しかし、コーヒー生産そのものが将来性がないわけではなく、世界の市場の需要は増大しつつあると思われるから、流通とマーケッティングの問題のようにも思える。少なくとも従来の単一商品作物のような植民地遺制からは脱却しつつあるのだろうと理解したい。
チーズ生産などの酪農については、外国人観光客の多い立地が影響しているのだろう。1990年代以降、タンザニアには観光客が確実に増えている。1995年の29万人から2007年の72万人まで、約2.5倍になっている。その外国人観光客の内、セレンゲティ、ンゴロンゴロ、キリマンジャロ、アルーシャ、タランギーレの北部の5ヶ所が80%ほどを占めている。その需要は大きいだろう。ただ、それを活用できるのが、公務員という立場を利用できた人たちだけではなく、協同組合のような広がりが持てればと思う。
また、牛乳の飲用に関しては、流通の問題だろうと思う。私が最初にタンザニアに来た1975年、ダルエスサラームの街角などでは、テトラパックの牛乳がよく売られていた。日本ではあまり牛乳を飲まない私も、よく飲んだ。ウジャマーの時代だったから、アルーシャに本拠のあるTDLの製品で、そこにはかなりの期間、日本の協力隊員が派遣されていた。TDLが潰れたのが痛かった。
私たちの子どもたちが赤ん坊のころは、近所の牛を飼っている家(多い)から、毎朝搾り立ての牛乳を買っていた。キリマンジャロ州のルカニ村に滞在すると、毎朝牛乳を出してくれる。先日、タンガ州のアマニ自然保護区に行った際、保護区の周辺では酪農が盛んで、毎朝夕、搾り立ての牛乳が集荷所に運ばれて来ていた。Tanga Freshとしてダルエスサラームで売られている。そこには、ドイツの植民地支配の痕跡や、現在のスイスのNGOの支援の現実はある。が、こういう現実を見てもらえれば、あるガイドブックにある「タンザニアに限らずこの地域の国ではミルクを飲用する習慣はあまりない」という微笑ましい誤解は避けられるだろう。
第7章で述べられている林業とアルーシャ国立公園の関係は、お隣のキリマンジャロ国立公園の例と並べて興味深い。「人間を抜きにして自然を守ろう」という形で、キリマンジャロ山の山腹の村の入会地だった森林保護区がキリマンジャロ国立公園に編入されてしまう事件が、やはり数年前に起こった。それに対し「森を守るのはそこにいる住人だ」と、行政の上からの管理を押し返そうとする住民たちの動きを、タンザニア・ポレポレクラブは伝えている。そこに住む人たちが未来を見通せるだけの情報を得られ、かつ自分たちの将来を自らで決められる条件が整うことを願う。
総じて気楽に読める本ではない。しかし、各章の冒頭にときどき姿を現す上田さんのメル山麓の人々との付き合いが年々深まっていく様子が垣間見られるようで楽しかった。研究者の調査の成果が、そのままその地域の住民の福利とか開発に結びつく必要はないと思う。「開発」を意識すると、その地域の現状分析を誤る可能性もあるだろうし、またその当時の社会情勢あるいは流行に知らずしらずのうちに流されていることもありうる。でも、上田さんの調査はそうはならないだろうし、地域の変容を的確に知らせ続けてくれるだろうと期待したい。
(写真は本書より、上田元撮影)
☆参照文献☆
池野旬『アフリカ農村と貧困削減』(京都大学学術出版会、2010年)
辻村英之『おいしいコーヒーの経済論』(太田出版、2009年)
東京農業大学タンザニア100の素顔編集委員会編『タンザニア100の素顔ーもうひとつのガイドブック』(東京農業大学出版会、2011年)
古沢紘造「森林破壊と人々の暮らしータンザニアの事例から」(草野孝久編『村落開発と環境保全ー住民の目線で考える』古今書院、2008年)
タンザニア・ポレポレクラブ・ウェブサイト「アフリカに緑を!」
(2011年11月1日)
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