根本 利通(ねもととしみち)
4月1日に注目の補欠選挙が行われた。前号でも少し触れたが、アルーシャ州アルメル東選挙区の補選である。
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攻めるCHADEMA©Mwananchi
結果からいうと、野党CHADEMA(民主開発党)候補の26歳のジョシュア・ナサリ(Joshua Nassari)が、32,972票を獲得し、ライバルである与党CCM(革命党)候補のシオイ・スマリ(Sioi Sumari)の26,757票を引き離して当選を決めた。この選挙には、他の野党6党からも立候補者はあったが、その6党の候補者の得票合計が309票と、完全に二党の対決になった。他に無効投票数が661票ある。(得票数は『Mwananchi』紙による)
今回の補選は、CCMの議員であったジェレミア・スマリ(元財務副大臣)の死亡に伴うものだった。CCMの後継候補はその息子で、日本風にいうと世襲候補の弔い合戦という、かなり有利な条件であった。そして、ベンジャミン・ムカパ元大統領や、アルーシャ州が地盤のエドワード・ロワッサ元首相など、大物を投入して選挙戦を展開したのに、及ばなかった。ダルエスサラームの庶民に「今回は接戦になるんじゃないか?」と私が訊いても、「どうせ、CCMが盗むさ」という醒めた反応が多かったにもかかわらずである。ザンジバルを除くタンザニア本土の補欠選挙でCCMが敗れたのはこれが初めてという大事件だ。
CCMは候補選出の段階でももたついた。息子シオイがすんなり候補になったわけではなかった。選挙区での予備選でシオイは6人の候補者のうち第1位だったが、得票率では35%に過ぎなかった。翌日ある青年部の評議員から「この結果は認められない。賄賂が横行していた」と批判が出て、CCM本部は「得票率が50%未満だった」ことを理由に、予備選の第1位、第2位による再選挙を命じた。再投票の結果、68%の得票率でシオイが候補者に確定したが、CCMの本部の幹部間の妥協がささやかれた。またシオイが、ロワッサ元首相の女婿であるため、2015年の大統領候補をめぐるCCM内の幹部、特に年配者と青年部との暗闘も噂された。つまり、大統領候補立候補への意欲を鮮明にしているロワッサの反対派が、選挙運動をサボタージュしているということである。
敗戦後、CCM内部の動揺は隠せなかった。まず選挙運動の最高司令官のような存在だったムカパ元大統領が、反撃を試みた。選挙期間中、アルメルの問題として土地問題(これは独立以前からの問題もある)が焦点化され、自身の大統領時代に外国人に土地を売ったことを攻撃された。選挙後、ダルエスサラーム大学でのシンポジウムで、国営企業・公社の民営化政策を失政と批判されたことに対して反論を図った。いわく、「民営化方針自体には誤りがなかったが、資本・市場はともかく、経営に問題があった」と。依然CCM支持と思われる知識人からは「銀行と保険会社は民営化しない方がよかった」という声も上がっていた。
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守るCCM©Mwananchi
さらに、4月16日にCCMのアルーシャ州青年部長であった、オレ・ミルヤがCCMを離党し、CHADAMAに入党するという事件が起こった。一部の青年が同調した。ミルヤは2010年の総選挙で指名を求めて敗れて以来の不満分子にすぎないとCCM幹部は泰然と構えているが、若者層の大量の離脱の先駆けとなるかもしれない。
さて、勝利したCHADEMAの方である。この勝利で所属の国会議員は49人に達した。アルーシャ州、キリマンジャロ州、ムワンザ州を中心とする北部地方に強固な地盤があることを、改めて証明してみせた。2010年の総選挙の際のアルメル東の投票結果は、CCM(故スマリ)34,661票に対し、CHADAMA候補(今回当選したナサリ)は次点だったが、19,123票だった。15,000票以上離されていたわけだが、それを今回6,000票あまり逆にひっくり返した結果になった。
さらに追い討ちをかけるように、CHADEMAは4月20日「首相不信任案」の動議を出そうとした。その週、国会に提出された会計検査院の報告で、多くの大臣、国会議員が、その影響力を使って免税措置を取っていることが明らかになった。その結果、総額10兆シリング(約5000億円)以上の歳入が減ったという。CHADAMAはそこに名前の挙がった8人の大臣の罷免を要求したのだ。大臣は大統領の指名人事だから、議会が罷免することはできない。しかし、首相も大統領の指名だが、国会で同意を得る必要があり、過半数の反対で罷免できる。そうすると首相がいない内閣は潰れる。首相その人に訴追されるような過誤はないが、8人の大臣の監督責任があるというCHADEMAの論理である。今までのタンザニアの政治史の中で、「首相不信任案」というのは聞いたことがないし、おそらく国会の規則にもないだろう。しかし、CHADEMAは抜け穴をついてきたというか…国会議長(CCM)の裁定で、全議員の20%以上の署名があり、14日前に提案されれば、動議として認められることになった。今国会は4月23日閉会なので間に合わないが、次回6月の予算国会には動議として取り扱われる。CHADEMAは75名の署名(20%は70名)を集め、提出した。与党の妨害はあったが、CCM議員も5名署名したとされる。
4月27日、CCMは中央委員会を開き、「内閣の改造をすることを大統領に全権委任する」決議を通した。与党が野党に迫られて、内閣改造するというのも前代未聞である。果たして?名指しされた大臣たちは抵抗しているようだが。
果たしてこの「変化」を求める傾向が2015年の総選挙まで続くのか?CHADAMAが明らかにしているM4C(変化のための運動)の方向性も不鮮明である。おそらくより新自由主義的な経済政策を採用すると思われるが、それで支持層である若年失業層の雇用を創出できるのか?憲法改正の中で、何に重点を置くのか?上述の当選したナサリも、離党したミルヤも元々はCCMから政界入りを目指した。CCMに入ることが唯一政界進出の条件であった時代が変わりつつあることは事実だが、野党の新しい理念・政策は見えてこない。
日本でも長期の自民党政権に飽きが来て、「変化」を求め、政権交代が3年前に起こった。しかし、国民の生活改善は見られていない。CHADEMAがいう大臣・高級官僚の汚職追放、国民生活の向上は民衆の支持は受けられるだろう。しかし、具体的な施策をどう打ち出すのだろう?特に支持基盤を都市部から農村部に広げることが、当面の課題となるのではないか。今回の勝利でも、選挙区の議席239のうち、CHADEMAはやっと25を占めたに過ぎない。一方のCCMは184である。
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CHADEMAの勝利©Mwananchi
2015年の総選挙を占うものとして注目され、熱気あふれ、怪我人まで出したにもかかわらず、投票総数は60,699票に留まった。これは登録選挙人数127,455人に対して、47.62%の投票率に留まる。この低い投票率は何を意味するのか?補欠選挙だからという理由ではないと思われる。ちなみに2010年の総選挙での投票総数は55,698票、投票率43.71%であった。
タンザニアの選挙の投票率は、社会主義の一党制時代から、かなりの高率を示してきた。それは暗黙の「お上」からの強制だっただろうとは想像できる。しかし、1995年からの複数政党制になってからの総選挙でも、議会選挙の投票率は、76.51%(1995年)、72.77%(2000年)、72.52%(2005年)という風に推移してきた。しかし、前回(2010年(の総選挙では、それが一気に39.49%まで下がった。今回の補選でもその傾向は続いている。
その理由をどう分析するか?前回の総選挙の低投票率の原因の一つとして、「暴力への恐れ」が挙げられていた。つまり、野党支持派の若者による脅し、暴力を恐れて、潜在的与党支持層の女性、年配者が投票所に足を運ばなかったという説である。しかし、それだけだろうか?「独立50年も経ったのに、私たちの生活はちっともよくならない」という民衆の不満、特に農村部のそれが野党へ向かわず、政治への諦めにつながっていくとなると、国家の存在が揺らぐだろう。ほかのアフリカ諸国と比べて、今までタンザニアは国家として機能してきたと思う。果たして、これからである。
今回の選挙でも、小さな暴力事件は頻発したようだ。また、この補選と同時に行われたムワンザ州の地方(郡)議員選挙でも、運動中のCHADEMAの国会議員2人が襲撃されて怪我した。すぐ傍にいた警官は見ていただけという。一方で野党のデモ隊には、警官は実弾を発射したことがある。タンザニアの誇る「平和と統一」を乱さずに、平和裡に変革が進むことを願う。
☆今月は「読書ノート」第17回」もあります。
(2012年5月1日)
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