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Habari za Dar es Salaam No.130   "Babu wa Loliondo (2)" ― ロリオンドのバブー-後日談―

根本 利通(ねもととしみち)

 もう2年前になるが、ダルエスサラーム通信第109回で、エイズ、がん、糖尿病、高血圧などに効く万能薬を作ったというロリオンドのバブーの話題を伝えたことがある。その時は「こんな流行もある」という程度の興味だった。が、2011年6月に発行された政府統計局の小パンフレット「数字で見るタンザニア2010年」の巻頭に特集記事で「バブーの魔法のカップ」が4ページにわたって載っていたのにはびっくりした(統計局のそのパンフは毎年発行されているが、過去にもまた2011年版にも特集記事はない)。

📷 ロリオンドのバブー、その後 『The Citizen』2012年11月24日号  さらに2012年11月24日の新聞のトップ記事にもなっていたので、あの事件はタンザニアにとっても大きな事件だったというのを再確認した次第である。考えたらわが社のスタッフも、タンザニア人13人のうち6人(行きたかったのはほかにも2人いたが)行ったことだし、近隣諸国の大統領の母とか、大臣とかも行った。毎週のようにロリオンド(サムンゲ村)へのチャーターバスを出して儲けていた隣国のバス公社もあったという。東南部アフリカを巻き込んで大きな話題となったあれはなんだったんだろうと、考えてみた。

 まず、11月24日号の『The Citizen』の記事を読んでみる。第一面の見出しは「バブーのカップの果実」となっていて、カップで薬を配っているバブーの写真(2011年)の横に、最近の写真が3枚。バブーの新築した家、所有している2台の車、さらに水道管の束。つまり、これらが果実だということだ。

 土壁の一部屋だけの家から、三部屋あるレンガ造りの窓に格子のはまった家に変わった(ただし土壁の家も維持している)。衛星放送受信のためのサテライト・ディシュやソーラーパネルもある。所有している車はランクルとトラックで、それぞれ6000万シリング(=300万円)、1400万シリング(=70万円)したそうだ。31人の若者を助手として雇用し、平均月15万シリングの給与を払っているという。

 このニュースだけを読むと、ひと儲けしたバブーへの皮肉、やっかみ記事かと思ってしまう。しかし、現在患者さんたちの数は激減した。最盛期には1日1万人(本当かな?)いた患者さんが、現在は週50人くらいだという。バブーが建設しようとしている診療所のプロジェクトも中断しているらしい。バブーに対し、「嘘つき」「詐欺師」という言葉が医者、NGO、宗教者から投げつけられた。タンザニア保健省が成分を分析すると言っていたバブーの使っている薬草(土地の名前でMrigariga)の有効性の有無の報告も出ていないように思う。

 ただ、バブー(本名Ambilikile Masapila)は淡々と語っている。「神から与えられた使命をこなすだけ。治療が効かなかった人たちは神を信じなかったからだ。助かった人たちも大勢いる。今来る患者が少ないのは神の怒りだ」と。一方でバブーの治療で治った元患者たちが、新しい患者さんを連れてきているという。サムンゲの村人たちもバブーのおかげで村の通信状況(携帯電話)や道路がよくなったことを感謝している。また、具体的にはバブーの購入した製粉機は役に立っているらしい。

📷 2011年春バブの魔法のカップを求めて押し寄せる人たち Tanzania in Figures 2010  2011年4月にロリオンドまで出かけたわが社のスタッフに訊いてみた。オフィス・スタッフAさん(当時52歳)は膝が痛かった。彼が言いだしっぺである。それまで病院で西洋医学の治療を受けてだめで、次は伝統医に薬草治療を受けていたけどはかばかしく改善しなかった。そこでロリオンドに行こうと言いだしたのだ。ロリオンドに押し寄せた人たちのなかには、病院で回復が見込めず、抜け出してバブーの魔法のカップを求めに来た人たちも多かった。そしてそのなかには瀕死の重病患者もいて、長蛇の列で待つうちに亡くなったり、カップをもらって喜んで帰途についた途上で亡くなった人もいるらしい。

 もう一人のオフィススタッフBさん(当時49歳)は高血圧が悩みである。やはりダルエスの病院で治療を受けていたが、改善が見られないので参加した。「薬を服んだ後は、少しよくなった気がしたな。治ったと思うのは信仰の力だろう」という。現在は病院に通って高血圧の薬を服み続けている。

 運転手のCさん(当時45歳)は娘さんを連れて参加した。Cさん自身は以前の事故の後遺症で視界が狭いという運転手としては欠陥を持っていた。小学生の娘さんはせきが止まらないと言っていた。薬をもらって帰ってきた後しばらくは、本人も娘さんもよくなったと喜んでいたが、昨年事故を起こし会社を辞めることになった。

 もう一人の運転手のDさん(当時46歳)は、「自分は病気ではない。皆の運転手で行っただけだ」と言う。会社のランクルで、Aさん、Bさん、Cさんを乗せて、皆でガソリン代を割り勘して行ったのだ。でもDさんもサムンゲ村に着いたら、当然のようにバブーのカップを飲んだ。

 実際には日程の都合がつかずに行かなかったスタッフもいたし、割り勘にしてもダルエスサラームからケニア国境近い辺境のロリオンドまでいくガソリン代が高いから断念したスタッフもいた。しかし、上記の会社の車で行った4人組以外に、知り合いの車を借りて年老いた父親、母親をを連れて行ったスタッフ2人もいた。この2人は運転手仲間で親しく、Eさん(当時46歳)は高血圧でかつ腰が悪い父親とそれ以外の家族、Fさん(当時46歳)は膝が悪い母親を連れていった。

 総じて感想を聞いたわが社の5人(Cさんはいない)はバブーのことを悪くは言っていなかった。ただ異口同音に、「効かなかったな。効いた、治ったという人たちは、皆そう信じたのだろう。でも、バブーはお金持ちになったし、とんでもない田舎の村で道路も悪かったのが補修されたし、水も通ったり、ゲストハウスができたり、村は潤ったさ。あんなことでもない限り、国がお金をつぎ込むことなんかないし、よかったんじゃないか」という言い方だった。

 Aさんが村でカップの順番を待つ間に聞いた話である。バブーはサムンゲ村では3代目の牧師だそうだ。初代、2代目の牧師は村に住みだして、あまりの辺境の不便さ、食料の不足(家畜も少なく、細々とした農耕に頼っている)に根を上げて、早々に逃げ帰ったという。バブーは南部のムベヤ地方の出身だが、土地の女性と結婚し、退職後も住みついている。私はそこで初めて気がついたのだが、サムンゲ村はソンジョ人の村なのだ。広大なマサイ・ステップのなかにぽつんと島のように残された要塞のような村を、ナトロン湖からセレンゲティのロボ地区に抜けるときに眺めたことがある。ソンジョ人は伝統的な精霊信仰を持っていて、バブーが着任した時にはクリスチャンはほんの少数だったという。そのなかでバブーは教化活動をしてきたのだろう。ソンジョ人は長いマサイ人との抗争のなかで多くの土地・人間を失い、追い込まれていた。そのなかに溶け込んだのだろうか。

📷 呪術に対する人びとの恐怖を伝える 『The Citizen』2012年10月28日号  このロリオンドのバブーの話に絡んで思い出したのが、呪術あるいは魔女狩り騒ぎである。昨年(2012年)5月末~6月初めに、日本にいる知人3人から「タンザニアの魔女狩り」について問い合わせのメールをもらった。時事通信が配信したニュースが日本で流れたらしい。非常にマイナーなニュースだったようだが、タンザニアに生活したことのあるOBだから、小さなニュースでも気がついたのだろう。

 その時事通信のニュースの元の取材・発信元はAFPのようである。見出しに「毎年500人が「魔女狩り」で殺害」とあり、かなりショッキングだ。文章を見ると「タンザニアで2005年から2011年にかけて、高齢の女性を主とする約3000人が「魔術」を使ったと疑われ、集団暴行を受けているとの報告書が発表された。毎年平均500人が魔女だと疑われて殺害されており、特に目の赤い高齢女性が標的となっている」という。

 私は「また日本のマスコミはアフリカのことを興味本位に取り上げている」といったんは無視したのだけど、やはりアフリカ(この場合はタンザニア)に根っこがあるのかもしれないと気になりだした。時事通信のニュースのもとになったデータは2012年5月に出た『タンザニア人権報告2012』に載っている。タンザニア本土の法律人権センター(LHRC)とザンジバルの人権法律センター(ZLSC)の共同編集で、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドの援助を受けているらしい。

 その第2章「人権と自由」の第1節「生命の権利」の第4項に「魔術に対する殺人」がある。それによるとタンザニアには2002年制定の「魔術法」(Witchcraft Act)があり、それによる「魔術」の定義は、道具を使ったり。オカルト的な力や知識を持っていると称して、人を呪ったり、魔法をかける行為とされている。そして霊的な力を持ち他人に呪いをかけることのできる魔法使い、呪術医に対する伝統的な民間信仰に基づたそういった行為は処罰の対象になるとする。

 これと関連して、2009~10年話題になったアルビノ襲撃、殺人事件もこの「人権報告」に載っている。アルビノの人たちを殺すのはその体の一部を切り取るためで、アルビノは人間ではなく幽霊だから、その体は人を金持ちにする霊力があるという信仰のためだという。「迷信」というのはたやすいが、そのために多くのアルビノの子どもたちが怯えて暮らしている。こういった魔術関係の事件が多いのは、大湖地方や南のザンビア国境にあるルクワ州だという。アルビノ保護のNGOの代表は、依然呪術医、特に大湖地方のそれから脅迫を受けていると述べているが。

 2012年10月の新聞のトップにも「呪術はいまや国の治安を脅かす」という記事が載った。その記事は、上記の「人権報告」とアメリカの機関が2008年に実施したサブサハラ諸国19カ国の宗教調査を基に、知識人のコメントを加えて構成されている。タンザニアではキリスト教もイスラームも熱心に信仰されているが、一方で伝統的な精霊信仰、祖先崇拝も強く残り、調査対象の19カ国のなかではセネガル、マリに次いで「迷信度」では3番目だという。その背景として、知識人はタンザニアの貧困、特に医療や教育サービスに地方の人びとが簡単にアクセスできないことを挙げている。そして伝統的医療、呪術が商業化されて、「手早く金持ちになる」ための小道具として人体の一部分が利用されているのだという。そういう一般化が可能かどうかは不明だが、大湖地方(マラ州、ムワンザ州、シニャンガ州、カゲラ州)などでは金鉱山の開発が進み、欧米系の金山の周辺ではタンザニア人の零細資本、個人によるゴールドラッシュが続いている。一獲千金の夢を追う人たち。そこに魔法使いの活躍する舞台があるのだろうか?

📷 『やし酒飲み』  2012年11月にコンゴ東部の反乱軍M23がゴマの町を占領した。それを伝える「朝日新聞」のニュースに次のように載っていた(11月28日付)。「支配しているのは政府系民兵組織「マイマイ」。……幹部は「我々に銃弾は通用しない」と言った。マイマイは「水水」を意味し、魔法の水の力で銃弾では死なないのだという。

 コンゴ東部にスワヒリ語が通用する(キングワナ方言といわれている)ことは知っていたが、この「マイマイ」は知らなかったらびっくりした。「マジマジ」と同じだ。1905~07年、当時のドイツ領東アフリカで、反植民地闘争であったマジマジの乱が100年後に蘇っているのか。というより、こういう民間信仰は意外と根深いのかもしれない。西欧的な近代人なら「迷信」「滑稽」と切り捨てるところだろうが。近代化されてしまった日本人の心の奥底には、日本的な信仰、感情が隠されていて、なにか危機の時の反応には思わず出てくるのではないか。

 チュツオーラの『やし酒飲み』をほぼ40年ぶりに再読してみた。ナイジェリアの作家で、植民地時代から創作し、神秘的神話的怪奇的な世界を描き「アフリカ文学の傑作」と謳われた作品である。学生時代に読んだときはヨーロッパ人のアフリカ趣味・偏見に迎合した作品で、現代に生きるアフリカの人びとの悩みなどとは無縁だとほとんど無視してしまった。

 作品の世界は呪術師の世界である。主人公の「わたし」は呪術師だし、その妻は予言者のようでもある。「神様」「死神」「頭ガイ骨一家」「ドラム・ソング・ダンス」「笑の神」「幽霊島」「不帰の天の町」「白い木の誠実な母」「赤い町の赤い住民」「幻の人質」と後から後から経由して「死の町」にやし酒造りを訪ねていく。現と夢、幻が連続した世界、生者と死者の境目、人間と精霊、幽霊、神の境目も明らかではないように見える。「死を売る」「恐怖を貸す」などが行われている。

 『やし酒飲み』の舞台はナイジェリアのヨルバ人の創作あるいは神話の世界である。それをそのまま、東アフリカの人びとの精神世界に適用していいのかどうかは疑問がある。ただ、Jujuという言葉が一般化しているように共通項はあるのかもしれないと思う。チュツオーラの作品の世界が、ヨルバの神話世界を歪めているという批判もあるようだが、最後は飢饉の克服という形で、希望をのぞかせて終わっている。

 魔女狩りではなく、水汲みに行っていた農村部の女性が、おそらく臓器売買などの目的で殺害された事件が、最近でも大湖地方のマラ州で伝えられている。老人、障がい者、アルビノ、女性などにやさしい社会ではなくて、貧しい社会のなかでのさらに弱者に対する差別が根源なのではないかと私などは考えてしまう。そう考えることは一般化しすぎるのか。精霊信仰、伝統的医療、祈祷、呪術、魔術…。タンザニアに住んで今年でもう29年目になるが、年々わからないことが増えていくような気がする。

☆参照文献☆ ・『The Citizen』2012年10月28日号、11月24日号、12月7日号、2013年1月9日号 ・National Bureau of Statistics 『Tanzania in Figures 2010』(June 2011) ・Legal and Human Rights Centre『Tanzania Human Rights Report 2011』(2012) ・和田正平「タンザニア北部における呪術師の勢力と地縁集団」(『アフリカ研究』No.12、1972年) ・エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』(原著1952年、土屋哲訳1970年、岩波文庫版2012年)

(2013年2月1日)

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