- 相澤
Habari za Dar es Salaam No.151 "Kasheshe Katiba Mpya" ― 新憲法の混乱 ―
根本 利通(ねもととしみち)
昨年(2013年)8月のこの通信で、憲法改正第一次草案の概要と議論の争点、そして今後のロードマップをお伝えした「憲法改正草案」。その後、第二次草案が12月30日に憲法改正委員会(CRC)からキクウェテ大統領に提出された。2014年に入り、予想通りというか、制憲議会は大荒れに荒れ、大幅に作業は遅れた。
各分野というのは、まず野党(42名)、NGO(20名)、労働組合(19名)、障害者(20名)、牧畜業(10名)、漁業(10名)、農業(20名)、宗教(20名)、教育機関(20名)、一般(20名)となっている。それぞれの分野でタンザニア本土代表とザンジバル代表があり、指名議員201名のうち67名がザンジバル代表とで、はっきり3分の1である。さらに国会議員のなかのザンジバル出身者にザンジバル議会議員に加えると、ザンジバル出身者は200名はくだらないと思われ、かなりの高率である。
始まってまず揉めたのは手当の額であった。CRC(ワリオバ調査団)委員30名の手当は1日33万シリングであったそうだが、制憲議員の手当は1日30万シリング(=約18,750円)とされた。それに対して「少な過ぎる。1日70万シリングは欲しい」という声が複数の議員から上がった。1日1名30万シリングも、全員で1日1億8870万シリング(=約1180万円ほど)という巨大な金額になる。これを予定の90日間続けると、169億8300万シリング(=約10億6000万円)である。財源は貧しいタンザニア国民の納税である。ドドマの宿泊費・交通費・食費を調査して、1日の20万シリング手当でおつりがくるという批判が新聞紙上をにぎわした。
ともあれ、2月18日からCAは始まった。最大の焦点は、「二つの政府」か「三つの政府」かということである。つまり現在は、タンザニア連合政府とザンジバル自治政府の「二つの政府」だが、それに加えてタンガニーカ政府を復活させ「三つの政府」にしようというのが、CRCワリオバ調査団の結論(憲法改正草案第二次案)であった。CA開始前から有力野党(CHADEMA、CUF、NCCR)は「三つの政府」支持、対する与党CCMは「二つの政府」つまり現状維持を支持することを鮮明にしていた。
数で劣る主要野党はUKAWA(Umoja wa Katiba ya Wananchi=国民憲法同盟)を結成し、民衆の意志である憲法改正案を守ることを大義名分とした。また、記名投票ではなくて無記名投票を主張し、党議拘束に縛られないようにCCMの分裂を策した。それでも議会運営の規則が決まり、CCMのサムエル・シッタが議長に選ばれ、3月14日から正式の議会が開催となった。
また、CRCは142の機関(うち政府系機関は71、それ以外は宗教、市民団体)の意見を採ったが、三つの政府案を支持したという。これは1991年のニャラリ調査団、1994年のキサンガ調査団の結論でもある。三つの政府維持のコストが高いというが、憲法改正案は議員や大臣の数の削減などを提案している。「ニエレレとカルメの時代とは違い、二つの政府のままではタンガニーカが連合の衣を着てより利益を得ているとザンジバル側は不満を漏らしている」とワリオバは述べた。
3月21日にCAでキクウェテ大統領が演説し、明確に「二つの政府」を支持する意向を表明した。いわく「三つの政府はコストがかかる。加盟国にナショナリズムを引き起こし、現在の連合を脅かす。現在の構成の弱点は三つの政府にしても解決しない。新しい連合政府は自前の収入源がなく、加盟国に頼るのは危険であるし、連合が崩壊する可能性もある」とのこと。またCRCは77万人の意見を集めたが、そのうち連合のことに触れたのは10.4%だけで、89.6%にとっては連合の構成は重要ではなかったから発言しなかったのだとも強調した。従って「三つの政府を国民の多数が望んでいる」という報告の正当性を否定したのだ。
「キクウェテの演説は大統領としてではなく、CCM議長のそれだ」と強い批判が野党側からは起こった。また統計数字の恣意的解釈も批判された。また、CAがCRCの提出した改正案を大幅に修正、もしくは新たに起草する法的権限があるのかどうかも疑問が呈された。しかし、CCMはCAの14の委員会のうちの12の委員会の委員長を取り(残りの二つは大学教員と、CUFの脱党者)、特に要となる起草委員会の長に元法務長官のCCM議員チェンゲを充て、正面突破の姿勢を明らかにした。
こうしたCCMの憲法改正第二次案を力づくで否定する動きに対し、ワリオバCRC委員長は反論を試みた。確かにCRCは3月21日に解散になっているが、キクウェテなどから提起された疑問、批判には応える用意があると述べた。また高名な法学者であるイッサ・シヴジによる「三つの政府」批判に関しては、丁寧に反論し、かつその著書「ニエレレとザンジバルとの連合の問題」で連合協定の法的正当性に疑問を投げかけたシヴジの現在の議論の意図に逆に疑いを表明した。
既報の通り、4月16日にCAから、UKAWAが一斉に退場する事件が起こった。そのきっかけはルクヴィ首相府国務大臣(CCM)が、「三つの政府」になると連合政府は独自の財源が不足し、軍人の給与が払えなくなるからクーデターが起こるかもしれないと、ドドマのメソジスト派の教会で発言したと新聞で報道されたことである。ルクヴィ大臣は「ザンジバルは経済的に自立できないから、連合政府に拠出金を納められずに、タンガニーカ政府と対立することになり、イスラーム国になっていく」とも述べ、教会の主教も連合政府の維持が望ましいと応じたという。
それに対しUKAWAの共同議長の一人であるリプンバCUF議長が、「国務大臣の発言は、人種・民族・宗教対立を煽るものである。この議会でもアラブ人とかペンバ人とか差別の野次がしきりに飛んでいて、ニエレレが残した平等な社会の基礎を揺るがすものである。議会は今やまるで(ルワンダの)インテラハムウェが運営している場所のようになってしまった。このような議会に留まることは無用だ」と述べて退場を宣言した。UKAWAとその共感者、およそ190人が退場したという。翌日(17日)ルクヴィは議会で自分の述べたことを認めたが謝罪せず、逆にザンジバルにおけるUamshoといわれる原理的イスラーム団体とCUFとの関係を攻撃した。
ルクヴィの声明に対してはイスラーム指導者はもちろん、人権NGOからも批判の声が上がり、またカトリック、プロテスタント諸派の指導者たちも「国民の意思を尊重した新憲法を」という声明が出された。CAのシッタ議長はザンジバルに飛び、妥協点を探った。しかし19日にキクウェテのメディアとの単独会見の記事が載り(会見自体は15日でUKAWAの退場の前)、そのなかでキクウェテは「ワリオバCRCの第二次改正案を国民の大多数が支持しているという証拠はない」と言い切り、かつ自身は「二つの政府」を強く支持していることを繰り返した。キクウェテは調停者となる気はないように見えた。
4月23日に民間のTwawezaという団体による世論調査が発表された。タンザニア本土では2月と7月の2回で計3,255世帯、ザンジバルでは2月に455世帯から回答を得たという。第二次改正案への賛成は65%(本土)、62%(ザンジバル)で、反対はそれぞれ20%、19%と似た傾向だった(残りは未定)。特に政府の構成については、ザンジバルでは自治増加(45%)、三つの政府(46%)、一つの政府(2%)、変更なし(5%)、連合解消(2%)だったという。それに対し本土では、一つの政府(28%)、変更なし(25%)、三つの政府(22%)、ザンジバル自治の増加(12%)、連合解消(4%)の順番で、三つの政府支持者がさほど多くないというのが興味を惹く。
8月に再開することになっていたCAに、4月に退場ボイコットしたUKAWA側の議員が復帰するかが焦点で、事前の駆け引きが行なわれた。5月~7月はボイコットしているUKAWA所属の国会議員も、予算国会には出席しているから奇妙なものだった。キクウェテは「二つの政府」支持を公言して調停者とはならず、シッタ議長はUKAWAがボイコットしたままでもCAを再開する意向を表明し、CCMの強行突破が濃厚になってきた。民間組織には、2015年の総選挙後に新憲法を延期しようと言いだすところも出てきた。8月1日に政党登録委員長の判事による調停も実を結ばなかった。
8月5日にCAはUKAWAのボイコットのまま再開した。10月4日までの会期60日である。ワリオバCRC委員長は「コンセンサスのない結論は意味を持たないし、国民の税金の無駄遣いだ」と休会を提案し、UKAWAも同調した。しかし、UKAWAに属する議員でも登録して手当を受け取るものが数名出現した。彼らは「選挙区の人びとを代表している」と胸を張ったが、会議に出席すれば1日30万シリング、出席しなくても登録さえすれば23万シリングと、一般庶民の月収並みの収入が魅力なのだろうという勘繰りも出た。CCM書記長は「ワリオバやUKAWAは相手にしない」と公言した。
人権NGOや法学会によるCAの休会を求める動きに対して、タンザニアの法務長官は自身がCAの議員であるが、「大統領はCAを休会させる権限はない。UKAWAが不在でもCAは進む」と進行を支持する声明を出し、野党の反発を買った。法学会は裁判所にCA休会を提訴しようとしたものの、足並みが乱れ不発に終わったが、あるジャーナリストによるCA休会を求める訴訟は起こされた。CCMの長老などの調停の動きも失敗し、しかし、UKAWAは3分の2条項(タンザニア本土でもザンジバルでもそれぞれ3分の2の賛成が必要)を基に、改正案の阻止に自信を見せた。このころから和解よりも数字、多数派工作が潜行していたのかもしれない。8月末には第二次改正草案は骨抜きならぬ「骨だけになった」と評される状態で、CAは進行する一方で、UKAWAは復帰の意思のないことを公言し、完全に膠着状態に陥った。
9月10日の新聞報道によれば、チェヨは次のように記者会見した。 「新憲法を制定するには時間が足りない。来年の総選挙は現行の1977年憲法の下で行われる。ただし、一部修正が行なわれる」と。その修正は、独立した選挙管理委員会、無所属の候補の容認、大統領の当選は単純多数ではなく過半数での得票を要するし、投票結果に関して裁判所に異議を申し立てることができるなどである。新憲法が成立しないと210億シリングの費用は何だったのか、せめて10月4日の閉会までにさらに39億シリングを使うのは止めようという記事も踊った。
ここでちょっとわき道にそれる。11日の新聞報道で、「無駄になったCA費用210億シリング(=約13億5000万円)があれば」という記事がトップで出た。診療所建設は2億シリングかかるから105ヶ所できた。救急車は8000万シリングだから、262台購入し、全国の133県全部に配置できた。井戸掘り費用は2000万シリングだから、1050の井戸が掘れた。100人乗り50トン積載の渡しのフェリーは28億シリングだから、7隻購入できた。中学校だったら19校建設できた。舗装道路は1kmの建設費用が10億シリングだから、21km建設できたという。タンザニア人の保健、教育、交通に対する要請とそのだいたいの費用感覚が感じられる。
ところがこれで一件落着すると思ったのは甘い読みだった。10日にシッタ議長は、「CAは9月21日までに憲法改正案を提出し、9月26日から投票にかけ、予定通り10月4日に任務を完了する。その間病気治療やメッカ巡礼で国外にいる議員は、在外公館を通じて投票できる方法を考える」と述べた。UKAWAはこれに反発し、ただちに無駄なCAを停止すべきとの声明を出した。それに対しチェヨTCD議長は11日CAのなかで、UKAWAは合意事項を反古にし民衆を惑わすものだと強く非難した。一方の当事者のキクウェテ大統領は沈黙を守った。新聞により報道の内容は微妙に異なるので何ともいえないが、玉虫色の合意だったのだろうか。
ともあれ、9月22日にFaxやEメールによる在外投票を認めるように議会運営規則を改定し、23日にチェンゲ起草委員長から修正案がシッタ議長に手渡され、24日からその説明に入った。ワリオバ調査団の第二次改正案原案と比べて異なるのは主に以下の点である。まず最大の焦点である連合の構成だが、「三つの政府」から現行と同じ「二つの政府」に変わった。三つの政府に3人の大統領が原案だったが、大統領は二人になり、ザンジバル大統領は自動的に第二副大統領、首相が第三副大統領となるとされる。原案にあった議員資格の学歴条項(中卒以上)なくなり、スワヒリ語・英語の読み書きができればいいことになった。連合政府の議員数は原案では75名以内だったが、それが現状に近い360名以内となった。また原案にあった議員のリコール制度がなくなった。大臣の数も原案の15名から現状の30名に戻された。
9月29日から投票が始まった。メッカ巡礼、病気療養などの理由で不在投票する人数は22名と発表された。ポイントは3分の2条項で、ザンジバル側の議員の3分の2の賛成が得られるかどうかは焦点だった。CAの構成を見てみよう。議員総勢629名のうち、本土出身議員は410名、ザンジバル出身議員は219名である。本土ではCCMが圧倒的に優勢だから可決は間違いない。問題はザンジバル側で3分の2の146の賛成票が出るかどうかだ。UKAWAに応じてボイコットしている議員は130~140名とされ、その票は反対票と見なされることは議長が表明していた。投票者数の3分の2なら簡単だったろうに、そういう議論は報道を読む限りなかったようだ。
初日、反対票を投じたザンジバル出身の指名グループ201の女性は脅迫を受けたらしい。そのために公開投票ではなくて秘密投票を選んだ議員もザンジバル側から40名ほど出たという。脅迫以外に、与党による反対派と見られる議員に対する買収のうわさも流れた。10月1日にはザンジバルのオスマン法務長官が反対票を投じた。オスマンは起草委員会のメンバ-であったが、タンザニア全体の土地所有制度をザンジバルにも及ぼそうとすることなどを含め反対していて、委員会を辞任していた。この日一部の条項に反対票を投じると、CCMザンジバル議員から猛攻撃を受け、議会の警吏に守られて議場を退出せざるを得なかった。
10月2日最終結果が発表され、629名のうち489名が投票したとされた。本土側は335名投票でうち賛成票332~4票、反対票1~3票とされた。反対票は全面反対か、一部の条項に反対かで区別されているらしい。さて、問題のザンジバル側である。投票総数は154票、しなかったのはは65名と発表された(1名減った)。うち賛成票は146~148票、反対票は5~8票とされた。ザンジバル側でも3分の2を2票上回って可決されたと議長が告げた瞬間、議場の広間で踊りだす議員が出て、その後あとからあとから議員が参入して歓喜したという写真が多く翌日の紙面を飾った。
記述のなかで「された」という表現を多用したのは、新聞報道では数字などつじつまが合わないことが多かったからだ。不在者投票は22名とされたが、名前は23名挙げられている。ザンジバル側で反対票を投じた8名の名前は挙がっているが、秘密投票でも反対票は1票あったらしいが合算されていない。不在投票、秘密投票の結果は闇の中だろう。また一部の条項に反対した票も、いざとなれば賛成票に勘定する戦略だったのだろうかと疑い出せばきりがない。ザンジバルのCUFの創立メンバーの一人であり、昨年セイフ・ハマドと対立されて除名されたハマド・ラシッド・ムハメッドが、ザンジバル側議員の多数派工作に尽力したと公言している。
ほとんどを連合政府の構成という問題の攻防の記述に費やしてしまったが、それ以外の課題はどうなったのだろうか。私自身、法律の知識に疎いし、1977年憲法、改正草案第一次案、第二次案、最終の修正案のスワヒリ語版を並べてもなかなか理解できない。英字紙の記事から解読するしかないので、不十分点が出そうだが…。まず二重の市民権は保留となった。土地の所有権は本土の法令がザンジバルに波及し、今まで本土人はザンジバルに土地を所有できなかったができるようになる。障害者の権利は新たな法律で保障されるだろう。指導者・政治家の倫理綱領についてはきわめて曖昧になり、外国に保有する銀行口座など腐敗・汚職の構造に歯止めをかけることは憲法上は難しくなった。イスラームのカディー法廷を家族とか相続など一部に限って再導入することは保留となった。
その後の展開である。10月7日に反対票を投じたザンジバル法務長官オスマンが罷免された。オスマンは修正案全体に反対したわけではなく、ザンジバル憲法(1984年)と修正案との矛盾を指摘したのだ。それはザンジバルが主権国家であるのか、ザンジバルの大統領が元首であるのか、タンザニア連合政府大統領がザンジバル内の行政区分を変更できるのか、ザンジバル最高裁の決定が最終判断なのか、歳入の最終管理の権限はザンジバルの財務省にあるのか否か、といったさまざまな分野で、二つの憲法の矛盾がある。ワリオバ調査団はその整合性を目指したが、修正案に沿えばザンジバル憲法を改正しないという。CCMのザンジバル議員は「問題ない」あるいは「今は言えない」と語るのみである。
ともあれ、修正案が可決され、喜ぶCCM国会議員からは来年10月の総選挙での大統領出馬の意欲を表明する者が続出した。しかし、その前に今年の12月に地方選挙があり、憲法修正案の国民投票をいつやるかが次の焦点となった。キクウェテとTCDとの合意では、それは総選挙後の2016年の早い時期に、新大統領、新国会の体制になってから行なわれると思われていたが、ピンダ首相は早くも2日にキクウェテ大統領の在職時に終えてしまいたい意向を漏らした。なんでも憲法改正法のなかに、大統領に改正案が提出されてから84日以内に国民投票をしないといけないという規定があるというのだ。提出は10月8日ドドマで、大統領、ザンジバル大統領の二人を迎えて行なわれた。
すぐにも国民投票にかけるというのは、9月8日の合意に反するという野党の批判はもちろん出た。さらに国家選挙管理委員会(NEC)の委員長から、「選挙人登録簿の改訂が済んでいないうちに選挙はできない。直近の補欠選挙を古い名簿で実施して非難を浴びている。現在の名簿のままで実施したら、新有権者およそ230万人が投票できないので無理だ」というクレームが出た。新名簿は2015年5月に完成の予定だという。キクウェテは「漁民、農民、牧畜民から国民のあらゆる階層の希望を汲み取ったこんな憲法は世界中にどこにもないから、堂々と国民投票に臨もう」と胸を張っている。(10月下旬の段階で、国民投票は2015年4月実施説が有力である)。
さらにCAに割り当てられた費用であるが、UKAWA側が4月16日からボイコットしていたので、30万シリング×130~140人×70日間=27~29億シリングが余っただろうと思われる。30万シリングのうち日当が23万、出席手当が7万シリングで、週末は議会が開かれていないし、UKAWA所属でも一部会議に参加した議員もいるので単純には言えないが。しかし財務省はその費用を支出したというし、CA側は残っていないという、莫大な使途不明金が発生した模様である。
TCDと大統領との9月8日の合意では、地方選挙は2015年2月に延期するということだったという。これは最大野党CHADEMA議長のボウェの発言なので、真実は不明だ。ボウェは「われわれの大統領の言うことは読めない。もう諦めた」と大統領の調停に期待しない姿勢を示した。UKAWAを構成する主要3野党は、「民衆の意思」という大義名分を掲げてCAをボイコットしてきたわけだが、今後も統一戦線を組み、来年の総選挙では各選挙区に1名だけの候補者で臨もうとしている。果たしてその姿勢を最後まで貫けるか、候補者選出の段階で、分裂選挙になれば、CCMはUKAWA側の党利党略を難じるに違いないと思うのである。
10月14日のタボラでの没後15周年のニエレレデ-の追悼式典で、キクウェテは「二つの政府がニエレレの信念であった。ニエレレは1993年のG55グループに強く反対した(「憲法改正草案」参照)。二つの政府の仕組みを守ることはニエレレとカルメの功績に対する敬意を表することである」と演説したと伝えられる。確かにニエレレが現在生きていたら「三つの政府」案には反対しただろうと思う。ただその理念はどこにあるのか?現在の政府・与党が守ろうとしたのとは違うような気がする。
ニエレレ没後15年経った。今なお「ニエレレがいたら…ニエレレだったら…」という声が消えないのは、歯止めとなる理想がある幸運なのか、あるいは過去の幻影にすがらざるを得ない時代の変遷なのか。東京都議会のセクハラ野次をはるかに凌駕する露骨な人種差別的な野次が跋扈したCA報道を読みつつ、ため息をつくばかりである。民主主義への道は遼遠である。次なるタンザニア国民の判断・選択に注目したい。
☆まとまらない冗長な記録となってしまったが、筆者のための備忘録という意味合いで、ご容赦いただきたい。
☆参照文献☆ ・『The Citizen』2013年12月30~31日、2014年2月8日、22~23日、3月18~19日、22日、25~26日、28日 4月17日、19~20日、24日、8月1~3日、5~10日、13~14日、18日、20~24日、28~29日、31日 9月5日、7~14日、17~18日、21~28日、30日、10月1~6日、9~13、15日、23日、25日号 ・『Mwananchi』2013年12月30日、31日、2014年2月8日、26日、3月18~19日、22~23日、25~26日、31日 4月14日、16~19日、24~25日、8月1日、5日、8~23日、26~31日、9月1~7日、9~13日、16~17日、20~21日 9月23~30日、10月1~4日、7~10日、12~16日、21日、23日、25日号 ・『Daily News』2014年3月24日、9月10~12日、10月2日号 ・『The East African』2014年10月4~10日号 ・『Rasimu ya Katiba ya Jamuhuri ya Muungano wa Tanzania』
(2014年11月1日)