根本 利通(ねもととしみち)
タンザニアの交通といっても陸上、水上、航空交通があるし、また物流をも含めると運輸という考えになる。本当は輸送、特にタンザニア海岸部から内陸国(ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、コンゴ、ザンビア、マラウィ)の物流の問題を考えたかったのだが力及ばずで、今回は陸上交通のそれも中央鉄道(TRL)についてのみの最近のニュースである。
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大雨季には冠水する線路
『Mwananchi』2014年2月25日号
中央鉄道の衰退、低迷は久しい。詳しくは「タンザニアの鉄道」を参照してほしいのだが、そこに載せた「タンザニア鉄道地図」にはTAZARA部分を除き、2009年のTRLの営業区間としてA~Gまで表示されている。しかし、現在も運行しているのは、A(中央本線・キゴマ線)、D(ムワンザ線)、E(ムパンダ線)だけである。これはタンザニア国内の交通・物流だけではなく、内陸国であるウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、コンゴ(民主共和国)の問題でもある。モンバサ港からケニアの国内を通って物資が運ばれるウガンダとルワンダにとっては補充的だが、ブルンジとコンゴ(民)東部にとっては死活的な要素がある。
タンザニア中央鉄道はドイツ植民地時代の1905年から始まったダルエスサラーム~キゴマ線の建設に遡る。キゴマまで線路が開通したのが、1914年の第1次世界大戦勃発直前でもう100年になる。余談だが、その時に運ばれたタンガニーカ湖運航の汽船Liemba号も健在である。その後、宗主国は英国に変わり、ケニア、ウガンダと共同の東アフリカ鉄道として運行され、独立後もその体制が続いていた。1977年の第一次東アフリカ共同体の解体の際に、社会主義タンザニアの公社(TRC)となり、2007年いったん民営化されTanzania Railway Limited(TRL)となり、インドの会社(RITES)に51%の株を売却し、経営を委託する契約を結んだがうまくいかずに、4年後に政府は契約を破棄して株を買い戻した。現在はインフラは公社(RAHCO)が保有し、実際の運行は企業(TRL)に分かれて運営されている。
中央鉄道が不振な理由は、道路の整備が進み、乗客輸送でバス、貨物輸送でトラックに押されたこと、機関車・貨車・客車の老朽化、公社化による非能率・腐敗した経営などが挙げられる。施設設備でいうと、大雨季に主にドドマ~モロゴロ間(特にKilosa/Gulwe間)で線路が冠水し、不通になってしまうことは毎年のように起こった。その線路の改修、洪水対策の日本政府の資金援助がつき、一昨年から調査が行なわれて、中央鉄道復活への明るい希望が出てきた。
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貨物列車の出発を祝うブルンジ大統領
『The Citizen』2015年3月26日号
今年3月25日~26日に東アフリカ各国+コンゴ(民)首脳が集まって、物流に関する会議が行なわれた。メインの議題は中央鉄道への投資によるの復活、活性化である。ケニアのモンバサからの北部回廊に対抗できるように、タンザニア政府は3500億シリング(=約230億円)を中央鉄道に投資するという。全長1,700kmの中央鉄道は、昨年わずか45万トンの貨物しか運んでいないという。これは最盛期の1975年の数字146万トン、いったん盛り返した2002年の145万トンの3分の1にも足りない。この間、物流は飛躍的に増大していて、鉄道による輸送量は需要のほぼ10%に過ぎないという。
また一つのコンテナを日本からモンバサもしくはダルエスサラーム港まで運ぶ主要日数は14日間だが、ダルエスサラームからコンゴ(民)のタンガニーカ湖畔のカレミエ港までは20日間かかる。これは単純な鉄道の能力不足だけではなく、ダルエスサラーム港の機能、途中の道路に20か所もある検問所や、非関税障壁が時間とコストを増やしているのだ。25日にはブルンジ、コンゴ(民)、ウガンダ行き、26日にはルワンダ行き直通貨物列車の出発を、それぞれブルンジとルワンダの大統領がダルエスサラーム駅に赴いて旗を振る儀式が行なわれた。このルワンダ、ブルンジ向けの貨物列車は、とりあえず現存の中央鉄道を改修して、タボラから北上するムワンザ線が幹線道路と交差するイサカ駅まで運び、そこからは舗装が完成している幹線道路でトラック輸送をする。将来的には、ルワンダ、ブルンジまで鉄道を延伸するという計画である。さらに支線のムパンダ線をタンガニーカ湖畔のカレマまで延長し、コンゴ(民)への輸送を短縮する計画もある。
上記は貨物列車の話であるが、新しい旅客列車も投入された。4月2日の新聞では「まるで飛行機のような」ダルエスサラーム~キゴマ間の新列車の運行開始を伝えている。それによると韓国から新たに286億シリング(約19億円)で購入された客車22両には、扇風機、携帯電話やコンピューター用の電源やインターネットのサービスがあるデラックス列車であるという。従来、ダルエスサラーム~キゴマ間は所要36時間(で走ることはめったになかったが)だったが、この列車は30時間で走るという。当座は週1便(従来の列車と合わせて週3便)の往復で、隔週キゴマ行き、ムワンザ行きとして運行されるという。
新客車もすぐ汚される(いたずら書きをされる)、壊されるんじゃないかとすぐ心配してしまう。従来の列車は行商人のように多くの乗客が多くの荷物を持ち込んでいたが、3等と2等の座席の乗客は20Kg、2等寝台客は40kgまでという制限が設けられ、大きなスーツケースは禁止という注意がダルエスサラームの駅には貼ってある。また日本のコンサルタントが行なっているモロゴロ~ドドマ間の線路の洪水・保線対策もまだ調査段階で、工事は始まっていないので大丈夫かいなと思う。でもこの新乗客列車がまだきれいで動いているうちに乗ってみたいなと思いもする。
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まるで飛行機のような新列車の運行
『Mwananchi』2015年4月2日号
5月17日の『The Citizen』紙に、「デラックス列車の旅」という特集記事が載った。副題には、「ダルエスサラームからキゴマまでの長い旅が、こんなに満喫できたことはかつてなかった」と付されている。その列車は機関車+客車16両編成だったようだ。3等座席8両、2等座席2両、2等寝台5両、食堂車1両。2等寝台のダルエスサラーム~キゴマ間の運賃は79,400シリング(=約$40)、従来の列車のそれが55,400シリング、1等寝台が75,700シリングだったから、1等並ということだ。夕食は5,000シリング、ビールは3,000シリング、ソーダは1,000シリングとのこと。看護師も同乗し、簡単な医療サービスもあるという。以前の列車とは比べ物にならない「快適さ」だろう。ただ、2等寝台が6人のコンパートメントなのがちょっと窮屈だ。やはり4人乗りの1等寝台コンパートメーントが、30時間乗るならほしいなと思う。日本からわざわざTAZARAに乗りに来る鉄道マニアが毎年いる。このキゴマへの中央鉄道も海外からの鉄道マニアを惹きつけられるよう、頑張って維持していってほしいと思う。
しかし、少し明るいニュースがある一方で、TRL幹部の腐敗・汚職のニュースもある。昨年11月に話題となったのはインドから購入した72両の客車・貨車のうち、83億シリング(約5億5千万円)で購入された25両の貨車が不良品だったとして、その視察・購入契約のためにインドに行った副総裁、財務局長など6名が停職になったことだ。この事件は調査後さらに展開し、4月17日の報道によれば、客車274両、貨車25両が総額593億シリングと最初伝えられていたが、実際には2300億シリング(約156億円)で、契約で3分割払いになっているのに、全車両が到着する前に全額支払われていたことが発覚したという。その結果、総裁、技師長、経理・監査の両局長などさらに5名が停職となった。これだけ幹部職員が停職になるとTRLはちゃんと機能しているのか心配になる。2月に日本に視察に行ったもう一人の副総裁以下の幹部が無傷であることを祈るばかりだ。
昨年10月には給与の遅配への抗議と最低賃金月30万シリングを要求する労働者のストライキもあった。また今年3月にはインフラ保有公社のRAHCOが7年間も使用料を払っていないと、TRLを提訴する構えを見せたという報道もあった。滞納額1,940億シリング(約130億円)というからすさまじい。しかし、TRLは「それはRITESが踏み倒したもので、歴史的なものだ」と他人事のように言う。そこで公社であるRAHCOは政府からの助成金に頼ることになるのだが、2010/11会計年度から4年間の政府助成は、RAHCO予算の平均15%に過ぎず、今年度(2014/5)にいたっては3カ月を残して、7%の助成の状態だという。政府運輸省次官は「政府だってお金がないんだ。資金が入ったら支出するさ」とうそぶく始末。TRLの復活はBRN(ただちに大きな成果を!)運動の重点対象なのだが、難問山積みなのだ。
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新列車の車内(2等座席)
(2015年5月)
『Mwananchi』紙には、「TRLよ、学ぶことはたくさんある。間違いをくりかえすな」という特集を、4月下旬の2週間にわたって組まれてしまった。国立運輸カレッジ校長、トラック運転手協会議長、TRL広報官、TRL労働組合書記長、TRCとTRLの時代を通してのイティギ駅長、ダルエスサラーム大学商学部教授などへのインタビューから構成されていて、TRCとTRLのそれぞれの時代の回顧と反省であった。
1980年代はTRCは効率的で信頼に足る輸送手段であり、商売人たちは大いに利用していた(これには1975年、1984年に乗ったことのある私には異論がある)。1990年代に入り、新たな投資・改革が必要になったが、それが行なわれず、モシ、タンガ方面は道路状況がよくなったので、バスやトラックに客・貨物を奪われた。公社時代の当時の従業員採用には縁故主義が跋扈し、家族・近縁者・知人で固められ、公共の財産の盗難・破壊が起こっても経営陣が処罰することが難しく、「おばあさんの畑」のようでやり放題の状態だった。特にダルエスサラーム~ドドマ間の不通のため、その間をトラック輸送に振り替えたところ、顧客は最終目的地までトラック輸送するようになり、TRCには打撃となった。
TRL時代の問題はインドの会社RITESに非難が浴びせられる。いはく、ほとんど投資をせずにローンに頼っていた、タンザニア人の給与を値上げしない一方、自分たちの給与を所得税を払わずにインドに送金しようとした、沿線8㎞毎に置かれていた保線小屋を廃止し、従業員を7千人から3千人まで削減した。これに対し、タンザニア政府の対応は怠慢としかいいようがなく、当然、タンザニア人労働者は2009年に大規模なストライキを決行している。この結果、貨物輸送量は2007年の57万トンから2011年には26万トンまで減少した。
タンザニア内のもう一つの鉄道TAZARAについても少し触れておこう。2014年7月に、タンザニアとザンビアが別個にそれぞれの国内列車を運行するというニュースが出た。実際にしばらく(半年ほど)近く別個に運行していたようだ。しかし、元の建設者であり、現在も最大の援助者である中国が共同運行の維持を希望し、支援を惜しまないことを表明したことが影響したのだろうか、昨年末から再び急行列車はダルエスサラームからニューカピリンポシまでの直通列車に戻っている。中国としては、1970年代の「南南協力」のシンボルであり、中国の名前をアフリカ大陸で高めたTAZARAの維持には協力を惜しまないであろうと想像される。ましてやザンビアの銅鉱山にも多額の投資をし、積み出すダルエスサラームの新港予定地のバガモヨ港の建設も請け負う中国にとっては重要な路線だろう。
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ダルエスサラーム駅停車中の新列車
(2015年5月)
しかし、TRLほどでもないが、1975年に開通したTAZARAも40年経過し、老朽化が目立っている。最盛期には、貨物は120万トン台(1980年代)、乗客は200万人を超えていた(1990年代)が、近年は貨物が30万トン以下(2013年はなんと4万トンのみ)、乗客も30万人台と落ち込んでいる。今年の1月には5カ月の給料遅配に労働者のストライキが起こった。「シロアリ」なんて揶揄する報道も出たし、政府も頭が痛いだろう。タンザニア、ザンビア両政府は8千万ドルの投入を約束しているが、実際に支出されたのは今のところ、労働者の給料分の600万ドルだけだという。中国は支援の姿勢を見せているが、いつまでも自立できないのは格好が悪いだろう。
物流ではないが、2012年10月から始まったTRL運営のダルエスサラーム市内列車( 「ダルエスサラームの市内交通」参照)も、一昨年の大雨季には線路が冠水して止まったことはあったものの、何とか運行が続いているようだ。運行を開始した時の運輸大臣の名を採って「ムワケンベ列車」と呼ばれている。道路の渋滞がますます悪化し、とくに大幹線道路であるモロゴロ・ロードにおけるバス専用レーン(BRT)の建設が3年経っても終了せず、多くの車両がモロゴロ・ロードを避けて迂回するため、渋滞に拍車をかけている。そのため渋滞知らずのムワケンベ列車は人気で、今年のひどい大雨季にも止まらずに運行していた。今年のTRLの遊休線路を活用した街中から空港へのアクセス鉄道案も発表されている。
市内列車はやはり道路の補完という役割で、ダルエスサラームの交通の渋滞は世銀のプロジェクトであるバスの専用レーン(BRT)の完成の遅れが痛い。何度か遅れたが、総選挙前でもあり、今年の8月には使用が開始されるということで、その高速バス運営会社の入札が行なわれているようだ。この現状、問題点、見込みについては稿をあらためることとしたい。
☆参照新聞・文献☆
・『The Citizen』2014年6月20日、7月15日、8月4日、12月9日、22日、2015年2月10日、3月11日、25~27日、29日、30日
4月2日、12日、17日、18日、5月7日、17日号
・『Mwananchi』2014年2月25日、12月9日、2015年1月11日、29日、3月11日、26日、4月2日、17日、18日、23日、30日号
・『The Daily News』2015年4月2日号
・African Development Bank Group『Tanzania Transport Sector Review』(Sep,2013)
(2015年6月1日)
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