根本 利通(ねもととしみち)
タンザニアの第5代目大統領になったCCM(革命党)のジョン・ポンべ・マグフリ(John Pombe Magufuli、56歳)政権が船出した。前任のジャカヤ・キクウェテはJKと略されていたが、マグフリはJPMと呼ばれている。政治の話題ばかりでやや食傷気味になるが、記録として残しておきたい。10月25日に総選挙が行なわれ、30日に当選証書が授与された。11月5日に大統領の宣誓・就任式が外国からの賓客を迎えて、旧国立競技場で盛大に行われた。野党連合(UKAWA)は選挙結果を不服としてボイコットした。米国・英国はザンジバルの選挙の取扱に不満を表するために、特使の格を落としたと言われている。日本はそれに同調したわけではなかろうに、特使の派遣はなかった。国会が休会中だったのにと思う。
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大統領官邸の主、交代
『The Citizen』2015年11月5日号
11月6日に、NEC(中央選管)から、選挙区議席の得票率に応じた各党の比例議席の割り当てが発表された。22政党が総選挙に参加したが、得票率5%以下の政党は配分を受けられずに、CCM64議席、CHADEMA(民主開発党)36議席、CUF(市民統一戦線)10議席の合計110議席となっていた。ちなみに前回(2010年)の比例配分はCCM65、CHADEMA25、CUF10議席で、合計100議席であった。
その比例配分の根拠になるのは、各党の獲得議席ではなく得票数なのだが、それぞれがCCMが8,333,955票、CHADEMAが4,627,923票、CUF1,257,955票と報道されている。比例配分の議席数は選挙区議席(265)の40%ということだから、106議席という計算になるはずだが113議席だという。そして今回配分されたのは110議席で、残る3議席は今回の総選挙では8選挙区で候補者の死亡などにより延期された選挙の結果を待ってするのだという。
マグフリ大統領になって大きな話題となったのは、11月7日の「公務員の外国旅行禁止」である。これはキクウェテ前大統領が元外相であったためか、外遊好きで、元首がわざわざ訪問に及ぶ必要もない外遊を繰り返し、随行員の費用も含めると膨大な支出に上り、野党から批判を浴びたことを意識したのだろう。高級公務員の外遊費用は高い。ある政府外郭団体の長は、就任してから給与が低いことを理由に受け取らず、外遊を繰り返して、その手当だけで優雅に生活していると話題になったことがある。あおりをくらって、日本政府の研修に参加する予定だった高級・中級公務員の出張も延期になった。
またムヒンビリ国立病院を11月8日突然訪問し、そこの病院長代行を更迭し、理事会を停止した事件も話題となった。名目は同じ日に訪問した私立病院の代表であるアガカーン病院と比べて、多くの検査機械が故障していて、患者が数か月も検査を受けられなかったり、私立病院に送られたりしている管理体制のずさんさであった。例えばCTスキャンの機械は、サービス契約会社への修理代滞納のため、故障したまま放置されていた。マグフリは自分のポケットマネーで私立病院に送って翌日検査させるように命じ、財務省はやはり翌日、30億シリングの部品代を支出したという。
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祝福される新首相
『The Citizen』2015年11月20日号
11月17日にドドマで国会が召集された。タンザニアでは1965年から5年毎に国会を勘定しているようで、途中の解散がないので第11国会と言われる。まず、国会議長選挙が行なわれた。この過程で知ったのだが、国会議長は国会議員でなくてもなれるのだ。これは英国・英連邦の議長選出に準じるのだそうだが、英国史に疎い者は知らなかった。第9国会で議長を務め、第10国会ではアンナ・マキンダに議長を譲ったが、昨年の制憲議会ではまた議長として君臨して大失態をさらしたサムエル・シッタが、CCM内の議長候補指名に手を挙げたのにはびっくりした。シッタは今回妻に選挙区を譲り、国会議員ではないのだ。CCM内でも20人近い候補者が出たようだが、結局ジョブ・ユスティノ・ンドゥガイ(55歳)前副議長が第8代目議長に順当に選ばれた。ドドマ州コングワ選挙区の選出の4期目の議員である。ただし、強引な国会運営が懸念されている。
19日に首相指名があり、マジャリワ・カシム・マジャリワ(54歳)が第11代首相に選ばれた。これはマグフリ大統領が首相指名した紙を使者が国会議長に渡し、議長がそれを開封し名前を発表し、国会がそれを認めるという手続きを取る。マジャリワは南部リンディ州の内陸部ルアングワ選挙区選出の国会議員で、今回で2期目。前回(2010年)の選挙で初当選し、今回やっと再選を果たしたばかりで、中央政界ではまだまだ無名だ。今回の首相候補の下馬評のなかにも挙がっていず、私もまったく知らなかった。かなりのサプライズ人事だ。本人も知らず、「自分の名前が読み上げられるのを聞いて涙ぐんだ」と述べていた。
マジャリワの経歴紹介によると、1980年代にリンディ州で小学校教員、ムトワラ教員養成カレッジ経由で1994年ダルエスサラーム大学に入学し、卒業後ストックホルム大学にも留学している。帰国後、2001年教員組合の県、次いで州の書記を務めた後、2006年からリンディ県知事、2010年に国会議員に初当選した。キクウェテ第3次政権で、首相府の地方自治担当副大臣を務めていた。教員経験のある「ムワリム」と呼ばれる首相の誕生である。ただし、経歴の新聞報道にはばらつきがあり、コースト州ルフィジ県、タボラ州ウランボ県知事を歴任したというものもあり、無名の人物らしい。そのうち統一されるだろう。
このマジャリワの抜擢人事を周りがどう評価、反応したか。庶民には一般に好評であるように見られる。それは無名である、悪評(スキャンダル)がないということで、マグフリの選択ということでの期待のように思える。同僚の国会議員である法務長官、野党の議員からも「働き者」と評判がいい。しかし、第10国会でエスクロウ・スキャンダルで叩かれた元法務長官アンドリュー・チェンゲからも「強く有能」と褒められているのは、痛し痒しか。ついでに触れると、同じスキャンダルで罷免されたティバイジュカ元土地相もチェンゲと並んで再選を果たしている。収賄というのは地元選挙区では大きな失点にはならないらしい。
マジャリワの指名を聞いて、事前知識がなかった私は「あぁ、ムスリムを首相にしてバランスを取ったのかな」と思って、周りのタンザニア人に意見を聞いたがほとんどは否定的だった。今回副大統領はムスリムの女性だし、あえてムスリムを条件に首相を選ぶ必要はないという、もっともな意見だった。その後以前の新聞を出して見返していると、なんと11月1日の『Mwananchi』紙の首相候補11名のうちに名が挙がっていた。ただうち7名は写真入りで紹介されていて、マジャリワは名前だけだから有力候補とは見なされていなかったのか、あるいは記者がさる筋の情報を持っていたのか。その記事では、過去10人の首相の出身地を挙げていて、北部4人、湖岸2人、中部、南部、南西部、ザンジバル各1人だから、まだ出ていない西部(タボラ、キゴマ州)が有力と地域バランスを理由にしていた。東部もまだ出していないのだが、それには触れていない。
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大統領の施政方針演説
『Mwananchi』2015年11月21日号
その翌日の11月20日にマグフリ大統領の就任演説があった。優先的に取り組む分野として次のように挙げた。「腐敗・汚職の撲滅」「政府の歳出の削減と地方政府の横領との戦い」「国税庁の効率向上、課税基盤の強化と免税の削減」「鉄道・電力・港湾の戦略的インフラ整備」「官僚主義と公共サービス低下との戦い」「教育・保健・水部門への資金投入」「工業・農業加工業の促進」「国会・司法による監督の強化」「地域統合と経済外交の増進」などなど。ほかにも具体的に「連合」の問題、「農耕民と牧畜民の土地争い」や細かく「麻薬」「教員の住宅不足」などにも触れた。
話題の「公務員の外国旅行の禁止」であるが、2013~15年に支出されたのが3,563億シリングでその内訳は1,831億が航空券代、686億が研修、1,045億が手当だとと明らかにして、次のような比喩を述べている。この費用があれば、400㎞の舗装道路か、1,187台の救急車か、509の診療所か、1,187万の生徒用机か、47,506の教室か、395台のCTスキャンの機械か、118,766の井戸を掘れるか、5,938台のスクールバスか、131,962台の農業普及員用のバイクか、89,075人の大学生の奨学金か、237のサッカー場建設に充てられるとしている。国民の関心のありかを示しているようで面白い。
11月23日には独立記念日(12月9日)式典の中止を声明してびっくりさせた。これも経費節減という大義名分だ。大統領就任式の後のパーティーでアルコール(ビールとワイン)抜きにして、大幅にその費用を削減したのと同じ手法だ。その日は休日ではあるが、国民には環境のために清掃をしようと呼びかけられている。削減した費用は40数億シリングということで、これをダルエスサラームの幹線道路の拡幅に投入するという。ただ、いかんせん独立記念日である。メーデー(労働者の日)とか、サバサバ(国際見本市の日)とかナネナネ(農民の日)という記念日ではない。いわゆるナショナルデーを国民全員で祝わないのも寂しいなぁと第三者は思ったりする。英国の植民地から自由・独立を勝ち取った輝かしい記念日なのに。
さらに11月27日にはマジャリワ首相が国税庁(TRA)を突然訪問し、長官をはじめ5人のトップを停職処分にした。容疑は8,000万シリング以上の価値がある349のコンテナが輸入されたのにもかかわらず、関税は徴収されず、コンテナが行方不明になっていることを査察するということである。5人以外にも地方に転勤になったり、タンザニア港湾局(TPA)の役人3人も停職になった。当然これには大型のビジネスマンが絡んでいるはずで、どこまでメスが入るだろうか。あるいはいつも通りトカゲのしっぽ切りにおわるのか。
今までのところ、マグフリの打つ手は好評のように見える。贅沢をしている特権階級が叩かれるのは庶民はおもしろいだろう。旅行をしないとか、ビールを飲まないとか、式典をやらないというのは、お金を使わないということで、ある意味簡単に実行できる。それで病院のベッドとか学校の机を購入するとなれば、浮いたお金がないといけないが、果たしてあるのだろうか?激しい選挙戦で国庫が空になっていないといいのだが。
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ザンジバル大統領
『Mwananchi』2015年10月31日号
12月1日段階でまだ内閣の発表がない。1995年のムカパ第1次政権の時の組閣は大統領就任の5日後だったとある。2005年のキクウェテ第1次政権の時は14日後だった。さて、今回は11月5日に大統領就任式を行ったから、もう25日が経過したことになる。12月9日の独立記念日までにはという話だが、1ヶ月かかることになる。キクウェテ政権で正副大臣60人と肥大化した内閣をスリムにするためには省庁の統合が必要である。運輸省と建設省を統合してインフラ省に、農業省と牧畜・水産省あるいは水・灌漑省とを統合するという話は有力だ。ただこれは逆に大臣だけでなく高級官僚のポストも減らすわけだから、官僚の抵抗はあるだろうからどこまで押し通せるか。
さて、ザンジバルの件である。11月12日くらいまでは、ザンジバルの選挙結果の行方をめぐる記事は多く、野党CUFの大統領候補であるセイフ・シャリフ・ハマドの写真もよく載っていた。アリ・ハッサン・ムウィニとか、アマニ・カルメとかザンジバルの元大統領たちが調停に乗り出していた。しかし、突破口は開かれなかったようだ。米国国務省が「ザンジバル人の意思を尊重せよ」と圧力をかけていたのが効いているのか、いないのかもわからない。奇妙な静けさの中にある。セイフが先走って勝利宣言を出したのがいけなかったのか。12月12日再選挙説も流れているが、公式声明はない。
ザンジバルの大統領は依然アリ・シェインが居座っているように思われる。すでに任期は終えていて法的な根拠に疑問がもたれている。そのため、11月20日にドドマで行なわれた国会におけるマグフリの施政方針演説に、シェインがザンジバル大統領の資格で同席した際に、野党(UKAWA)議員は大声で反対し、国会議長は退席を命じて、マグフリの演説を聞いたのは与党CCM議員と、UKAWAに参加していない野党議員1名だけだったという。依然として不安要素になっている。
さて、10月末段階で最終結果が発表されていなかった国会議員選挙の選挙区の結果をまとめておきたい、その後補選が行なわれた分もわかる限り加えようと思ったが、発表された補選のスケジュールでは11月中に終わるものが3選挙区、12月にずれ込むのが4挙区、不明が1選挙区(ザンジバル)となっていたから、残り4議席のはずである。はずであると書くのはなかなか正確なところがわかりにくいからだ。補選の結果が新聞に載らない。しかし結果は訊くと知っている人もいる。まず選挙区選出の議席数は前回の239議席から26増えて265議席のはずなのだが、264議席という報道が多い。そして10月25日の投票で確定されたのは257議席のはずなのだが、新聞報道を合計すると259議席になるし、NECやZECのウェブにはアップされていないというような状態であった。
議席数ではザンジバル内のペンバ18議席を独占しただけでなく、ウングジャ7議席、さらに本土で10議席を獲得したCUFが野党のトップになった。これはUKAWA効果といっていいだろう。ダルエスサラーム、タンガ、リンディ、ムトワラなどムスリムの強い海岸部を中心に進出し、CCMの牙城タボラでも元大臣を破って初議席を獲得した。
政党立候補者当選者2010年2005年2000年1995年CCM(革命党) 264 188 185 206 202 186CHADEMA(民主開発党) 186 34 24 5 4 3CUF(市民統一戦線) 137 35 24 19 17 24NCCR(建設改革国民会議) 29 1 4 0 1 16ACT(改革透明性連合) 207 1 - - - -TLP(労働党) 29 0 1 1 4 0UDP(統一民主党) 25 0 1 1 3 3その他の15政党 348 0 0 0 0 0合計 1,225 259 239 232 231 232
CHADEMAは野党の主力としての力量を示し、CUFと統一候補を出した以外の本土のほとんどの選挙区で候補を擁立し、進出を果たしたが、アルーシャ州、キリマンジャロ州の地盤以外では、多くは都市部に留まった。マラ州、カゲラ州でも健闘したが、ムワンザ州、ゲイタ州、シニャンガ州などのほかの湖岸地方では、マグフリの地元でもありCCMに押された。NCCRはキリマンジャロ州で議長が、ムレマTLP議長に圧勝したが、前回4議席を獲得した地盤であるキゴマ州で、エスクロウ・スキャンダルで名を上げたカフリラを始め全滅した。
キゴマ州ではやはりエスクロウ・スキャンダルで活躍し、CHADEMAの若手エースと目されていたが、除名され独立したカブウェが当選し、UKAWAに属さない野党1議席を取った。カブウェの作った新政党ACTは、207人とCHADEMAを上回る候補者を擁立したが、得票率5%を上回ることができず比例代表を確保できなかった。キゴマ州ではドイツからの資金援助がささやかれていた。ムレマのTLP、チェヨのUDPが議席を失った。
上記は手に入った新聞報道と、NECの公開部分を合わせて私が作成したものである。あくまでも暫定の推定値であり、今後より正確な情報が入ったら訂正することもありうるということをご了解いただきたい。なにせ総選挙前に反サイバー法が成立しており、政府の公式統計と違う数字を出すと処罰されることもありうるので、要注意だ。
地方議員というか、県や政令指定都市のような大都市での議員選挙も同時に行われた。前回は野党CHADEMAが取ったムワンザ市は、接戦ではあるがCCMが奪還した。しかし、それ以外の大都市、アルーシャ、モシではCHADEMAが圧勝し、またムベヤ、イリンガ、ダルエスサラームでも野党(UKAWA)側が優勢な結果に終わった。もしUKAWAが分裂しなければ、市会議員の互選で選ばれる市長のいくつかは野党が押さえることになるだろう。
ダルエスサラーム市の例である。ダルエスサラーム市は3つの区に分かれている。イララ、テメケ、キノンドーニである。それぞれの区が市の資格を持っていて、その長は市長と呼ばれる。中心部のイララ区では、52人の議員のうち、CCM22、CHADEMA23、CUF7という結果で、UKAWAが協力すれば過半数だ。北側のキノンドーニ区の47議席の内訳はCCM15、CHADEMA28、CUF8で、ここではCHADEMAだけで過半数を占めた。南側のテメケ区ではCCMが踏みとどまり、46議席のうち29を占め、CHADEMA9、CUF8となっている。このまま行くと、ダルエスサラームの3分の2は野党が占めることになる。
☆参照文献☆
・『The Citizen』2015年11月5~30日号
・『Mwananchi』2015年11月1日、5~8日、10~30日号
・Tume ya Taifa ya Uchaguzi : http://www.nec.go.tz/
・Zanzibar Electoral Commission : http://zec.go.tz/en/
(2015年12月1日)
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