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Habari za Dar es Salaam No.175   "Tetemeko la Ardhi, Kagera" ― カゲラ地震 ―

根本 利通(ねもととしみち)

 9月10日(土)12時27分、タンザニアの北西端のウガンダとの国境のカゲラ州で地震が起こった。米国の地震研究所の発表によれば、マグニチュード5.7。震源地は州都ブコバから北西43km、南緯1度3分、東経31度56分のンスンガ(Nsunga)村で、国境にかなり近い地域である。震源の深さは10kmとのことだ。

📷 第一報 『Mwananchi』2016年9月11日号  9月11日の速報では死者10人、怪我人100人、倒壊した家は40軒と伝えられた。マグフリ大統領はザンビア大統領の就任宣誓式の出席をキャンセルした。その日にマジャリワ首相がブコバに飛び、競技場で共同葬儀が営まれた際には16の棺桶があり、怪我人は252人に増えていた。共同葬儀の数時間後には、強い余震もあったようで、タンザニア地質研究所は「予測不能」とコメントしていた。6月にお世話になったブコバの町の知人に妻が連絡したが、「ちょっと揺れて家にひびは入ったけど、家族は無事」とのことでほっとした。(ただその知人の村の家はかなり被害が大きかったと後で聞いた)。

 9月15日の段階で死者は17名、怪我人は250名以上、崩壊した家屋は840軒、さらに被害を受けた家屋は1,200軒以上と伝えられていた。カゲラ州知事によれば、緊急の食料、医療援助などの人道的援助に23億シリング(約1億1千万円)必要であるが、政府首相府の「災害対策局」には予算・備蓄がなく義援金に頼らざるをえず、14億シリング集まったと報道されてた。

 この14億シリングの義援金というのは、13日にダルエスサラームで外交団や実業家を招いて行われた会合で集まったものだ。首相の呼びかけに対し、中国大使館がさっと1億シリングの小切手を提示したという。またクウェート政府は5億シリング相当の救援物資をすでにブコバに送っているという。それ以外にもレジナルド・メンギやモハメッド・デウジといった政府と関係の深い実業家たち、ビール会社、中国商業組合がそれぞれ1億シリング前後、独立電力会社、ペプシ、Puma石油が5千万シリングの寄付を約束した。石油小売業連盟は被害の大きかった中学校2校の再建支援、セメント会社がセメントの寄贈を約束した。外務省職員は1千万シリングの寄付という。

 9月17日にはダルエスサラーム市内で、ムウィニ第2代大統領を先頭としたチャリティー・ウォークが行われた。マヒガ外相や2年前のエスクロウ・スキャンダルで土地相を辞任に追い込まれたカゲラ州選出のティバイジュカ議員も参加し、5億シリングを募金を達成したという。寄付は枚挙にいとまがないが、ウガンダのムセベニ大統領が20万ドルの現金、ケニアのケニヤッタ大統領が1億1500万シリングの建築資材の提供したことがニュースになっていた。これはポケットマネーなのか、国庫からなのかと不思議に思ってしまう。

📷 被災地 『Mwananchi』2016年9月14日号  カゲラ州で最も被害の大きかったインフンゴとニャカトの中学校では、多くの教室、寮、教員宿舎が被害を受け、使えずに臨時休校になっているという。特にミッションによって90年前に建てられたインフンゴ中学校はひどいらしい。それぞれ700人あまりの生徒は帰省させられているが、遠隔地の生徒数十名は交通費がなくて、まだ学校敷地内にとどまっているという。もうそろそろ小雨季に入るが、遅れていることで助かっているという心細い状態らしい。安心して授業を受けられる状態に戻すのにはかなり時間がかかるだろうし、影響を受けた1,400人の生徒は一時的に転校せざるをえないだろうという。

 当初、タンザニア史上最大の地震という報道もあり、そのタンザニアというのはいつからなのか、あるいは観測史上なのかと疑問に思った。が、9月18日の新聞記事によれば、1910年のカタビ州のムパンダでM7.3が観測されていたらしい。さらに1919年にルクワ州マタイでM7.2、1964年にマニヤラ州ドンゴベシでM6.5、1990年にもルクワ州ンンコヴェでM6.5の地震があったことになっている。1990年には私はタンザニアにいたはずだが、あまり話題になった記憶がない。ただ1995年のタンガニーカ湖のコンゴ(DRC)側ののカレミエで起こったM6.8の地震は、対岸のマハレまで津波となってきたと聞いた。被害者の多さ、つまり都市に近いところか、農村部で起こったかの違いだろうか。この記事には、タンザニアのみならず、ケニア、ウガンダ、コンゴという大地溝帯で地震が起こっていることを示している。オルドイニョ・レンガイ山でも最近小噴火が起こったと聞くし、地殻変動が活発になっているのだろうか。

 世界の大地震についても、チリ(1960年)、アラスカ(1964年)、スマトラ沖(2004年)などが並べられていた。また中国と日本の地震の死者数の統計もあった。これは大統領が「技術の先進国でも…」と言って例に挙げたのだが、中国の四川大地震(2008年)や日本の東日本大地震(2011年)や関東大震災(1923年)が引用されていた。地震大国(先進国?)として日本の援助にも期待されているようだ。大使館の担当者が下見に行ったら、同じ地区でも壊れた建物と健在な建物が混在していて、建築方法の差かなぁという感じだったという。新聞には「日本が被害を受けた学校を全部直す」ととんでもないことを書かれていたが、被害の大きかった学校のいくつかには関与するらしい。日本が関与した学校が再度倒壊することは許されないだろうから、鉄筋を入れるんだろうか。日本が地震の専門家を派遣して調査するという報道もあった。

 各国からの支援、例えばインドのモディ首相から5億4500万シリングとか、タンザニア国内の企業や基金からの寄付が続々と報じられたが、2週間ほど経ったころから、正確な統計・情報が伝わらないという不満が漏れるようになった。例えば死者数は17名説と19名説が混じっているし、損壊家屋数が16,667、被災者数も126,315人と大きい数字のものも流れた。一方でブコバ市内は手が届くが、被災地に近い農村部では救援物資がなかなか届かないという声も出た。赤十字とか教会系のNGOは活発に動き、政府機関が経験不足でコーディネートできないのが却ってよかったという皮肉にもとれる論調も出た。しかし、被災者に直接救援物資を届けようとしたロータリークラブは、県に届けるように指導されたという記事も出た。

📷 元大統領を先頭とした義援金ウォーク 『Mwananchi』2016年9月18日号  それにしても、当初インフンゴ中学校の再建に40億シリング(約1億9千万円)かかるという報道があり、えらく高い見積もりだなぁと思っていたが、そのうち1桁増えて、インフンゴ、ニャカト2校の再建には600億シリング(約29億円)と州知事が言い出したそうで、どんな学校を作るんだろうかといぶかしく思ってしまった。1桁、誰かが間違っているのだろう。

 10月に入っても、義援金・物資のニュースは続いた。石油小売業連盟が学校再建のためにした寄付は4億480万シリングだった(1日付)。10月前半、ダルエスサラームで世界大会を開いていたインド系のシーア派イスラームのボホラ派が、5万ドルの寄付(15日付)、STAMICO(鉱山公社)が2000万シリング(15日付)という具合にである。

 一方、9月28日に信じられないようなスキャンダルが報道された。カゲラ州のNo.2である州書記(RAS)とブコバ県(市)のNo.3(DED)が馘首・逮捕され、州主任会計が停職になった。容疑は共謀して義援金をかすめ取ろうとしたことだという。CRDB銀行のブコバ支店に設置された「カゲラ被災委員会(Kamati ya Maafa Kagera)」に寄付金などは送られることになっており、Mペサなどの携帯電話から簡単にできる送金で一般市民も義援金を送っていた。容疑者たちはCRDBの支店長と組んで、まったく同名の口座を開設し、義援金詐取を図ったとされる。馘首・停職になった翌日(9月29日)にはもう4人の容疑者はブコバ地裁に出頭させられた。

 信じられないと思ったのは、あまりにも幼稚なすぐばれそうな手口と、この時期においてという感嘆である。マグフリが大統領になって1年弱の間に、汚職・怠惰を理由に馘首された政府・公社の高官は100人にも及ぼうとする。その綱紀粛正・厳正化が国民の喝采を買っているなかで、こんな詐欺行為はしばらく自制だろうと思うのだが、深く染みついた体質・慣習なのだろうか。莫大な国を挙げての義援金が本来の用途に使われることを祈るしかない。

📷 スキャンダルの容疑者たち 『Mwananchi』2016年9月30日号  地震から1か月経過した10月11日号の『Mwananchi』紙に8ページの特集が組まれた。3人の記者の現地取材のようだ。そのなかに地震で夫を失った2人の妻の話がある。結婚4年のアニサ・イマニさん(23歳)はカラグウェ県で雑貨店経営の夫を失った。昼食後店に戻った夫は地震で店を飛び出して逃げようとして突然倒れたという。子ども2人と6か月の胎児が残された。夫は自分の家を建築中であったが、当分先のことになった。また国税による店の税金の取り立て、子どもの教育資金などの不安はあるが、カラグウェ県知事やカラグウェ選出国会議員、首相府大臣も弔問し、県の被災委員会からの弔慰金も銀行口座に入れたという。

 もう一人のジャスター・ジャスティニアンさん(25歳)の話は、夫が息を引き取る瞬間に立ち会っているから生々しい。前日故郷の村から戻った夫と子ども二人(やはり3か月の胎児もいる)と昼の団欒を楽しんでいた時に地震に襲われ、皆で外に逃げ出したが、6歳の娘の手を引いて連れだそうとした夫は倒れてきた壁の下敷きになったという。隣人に救いを求めたが、隣人たちもそれぞれ自分のことで大変で、やっと救いが来てがれきをどかした時には夫はもう虫の息で「子どもたちを頼む」とささやいたという。夫は病院で亡くなり、娘は病院で治療を受け回復したという。弔慰金を100万シリングもらったが、彼女の日々の商売(露天商)につぎ込まざるを得ないという。

 ダルエスサラーム大学の地質専門家リチャード・ワンブーラによれば、震源地はカゲラ州ミセンニ県ミンジロ(Minziro)村ムルング(Murungu)集落のデオグラシアス・キャクワンバーラさんの2エーカーほどのバナナ畑から始まったという。この村で地下150mの土壌は掘り進み調査を終えたが、海外からの専門家の到着を待ち、地下10㎞といわれる震源地まで調査をしたいという。集落の長によれば、50軒の家が被災し、140人が影響を受けたとのことだ。また、同じダルエスサラーム大学の心理学専門家やキリスト教(ルーテル派)牧師は、被災者の人びと、特に子どもたちのトラウマへの心理的援助、癒しの必要を説いている。将来への不安で閉じこもりがちになり、生業活動が衰えるのが不安だという。

📷 テント外で炊事する被災者 『Mwananchi』2016年10月11日号  "kufa kufaana"という言葉が引用されていた。「死んだ時は助け合う時」とでも訳すのだろうか。この災害で利益を上げるであろう人たちのこと、まず建材屋ーセメント、トタン板、釘、板、鉄柱、レンガ、砂利などの業界だが、義援の建材が多く入り、まだ価格は高騰していないようだ。ほかではホテル・ゲストハウスのオーナーはお客が増えていることは確実。また不動産業も繁盛している。借料1部屋当たり15,000~20,000シリングだったのが、35,000~50,000シリングへ高騰しているので、仲介する不動産屋は収入アップだそうだ。また個人の家の修理のために、ムワンザの職人が出張してきて、忙しいらしい。また災害発生時は泥棒たちも稼いだらしいが、今は地方自治体の組織したパトロールが有効だという。国税(TRA)は歳入減が間違いないだろう。カゲラ州の稼ぎ頭トップのインスタントコーヒー製造会社(TANICA)の操業が10日間停まったのが打撃という。家賃からの税収も10%程度減収になる見込みという。

 義援物資が被災者に十分に届かないという記事もあった。ジュリア・バシャンゲさん(80歳)は「今までもらったのは2kgの米と砂糖、1本の石鹸と2本の飲み水だけ。マグフリ大統領に会って訴えたい」と語る。妻子を亡くしたアレックス・フェリックスさん(33歳)も同じだけの食料しかもらっていないが、妻子の葬儀費用380万シリングを、政府から100万、携帯電話会社Halotelから85万シリングなど援助してもらったことを感謝しているという。7人の死亡者を出したオムキシェンイ(Omukishenyi)町内会長は、政府が義援物資を地方自治体(州・県)経由にしたのでなかなか届かないことを嘆いていた。県知事は「食料が足りないから、孤児とか老人とか弱者優先で配布している」と説明している。この県知事は自分の家族の安否を案じながら不眠不休で働いた。州病院の医薬品が不足したので、民間の薬局から無償で薬品を供出させたと述べている。

 「カゲラ州を襲った災害」という記事では、1978~9年のイディ・アミンの統治下のウガンダ軍の襲来(カゲラ戦争)とその後遺症ともいえる80年代のエイズの流行がまず挙げられていた。さらに1996年の600人以上の死者を出した汽船ブコバ号の沈没事件と、70年代から90年代、そして現在に至るまで断続的に続くルワンダ、ブルンディ、コンゴ(DRC)の難民の流入と地元民の負担、土地争いが並べられている。

 その後も、ときどき義援金・物資のニュースが新聞に載るが、現段階でいくらの義援金が集まっているのは報道がないなぁと思っていたら、10月27日の記事に載った。国会での委員会での議論で、委員長が述べた数字である。まず、地震による死者は17名から23名に増えた。50億シリングが集まったが、まだ8億シリングしかインフラの復旧に使われていないという。理由は明らかにされていない。また復旧には3年ほどかかると言っている。東日本大震災や今年の熊本の地震などでややもすると地震慣れしていて、今回のカゲラ地震を「大したことはないな」と思った自分を反省しつつ、復旧が順調に進むことを祈りたい。

☆参照文献☆  ・『The Citizen』2016年9月11~25日、28日、30日、10月1日、10日、13~16日、24日、27日号  ・『Mwananchi』2016年9月11~14日、18~20日、22日、26日、28~30日、10月1日、11日、15~16日号  ・『The Daily News』2016年9月11日

(2016年11月1日)

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