根本 利通(ねもととしみち)
モロゴロ(Morogoro)はダルエスサラームから西へ190kmほど幹線道路を走った所にあるモロゴロ州の州都である。ウルグル山地(最高峰2,646m)の山裾に広がった都市で、人口は約15万、ダルエスサラーム向けの近郊野菜、タバコ、サイザル麻、米などの農産物の集散地である。
その町の中心からさほど離れない所に、ソコイネ農業大学がある。70年代にはタンザニアに大学は国立ダルエスサラーム大学しかなく、そのモロゴロ分校(農学部)としてスタートし、獣医学部を併設、80年代に独立した大学となり、現在にいたっている。農学部としてはタンザ二アの最高学府である。ソコイネという冠は83年にモロゴロ、ドドマ間の国道で交通事故死した当時の首相(ニエレレ大統領の後継者と目されて国民に人気の高かったマサイ人)の名に由来している。
その大学内にSCSRDというセンターがある。日本語に直せば「村落開発センター」とでもいうのだろうか。JICA(国際協力事業団)との研究協力を経て、今5年計画のプロジェクトが進行中である。フィールドとしてはルヴマ州ムビンガ(Mbinga)県とモロゴロ州のウルグル山地にあるのだが、計画4年目に入った今、成果を見せてもらおうと村に案内してもらった。
📷モロゴロから西へ出てウルグル山地に西斜面から入っていく。雨季が明けたばかりで未だ修復もされていない悪路を行く。私たちは四輪駆動車のランクル2台で走るが、地元の人たちを乗せたマイクロバスが行き交う。途中からムゲタ川の渓流に沿った道を登っていく。岩がちの道をあえぐように登る。途中から車の通行量は大幅に減り、伸びた草の中にかろうじて2本の轍が見える。ヤギが多く、つないでいる綱を私たちの車が断ち切る。時々突然視界が開けると、山の斜面にトウモロコシ、イネが植えられているのどかな田園風景が見える。雨季明けのイネの収穫期で、小刀で穂刈りをしている人々が見える。
ブンドゥキ(Bunduki)という渓流沿いに教会と小学校がある村までは店も見られたが、それから先は完全に森の中に入る。ブンドゥキ川を渡河する。現在は10mほどの川幅だが、大雨季の最中は20mほどに広がり、車でも渡れないと言う。私たちの2台のランクルのうち、1台はここまで煙を吐きながら登ってきたが、どうもディーゼルを入れた時に、水かガソリンが混入したらしくパワーが出ないので、この川で引き返すことにする。総勢12名(内子供4名)とテント寝袋などを満載してきたのだが、1台に荷物を積み替え、人数もできるだけ乗せ出発。余った5名は登り1時間くらいと励まされ歩き出す。森林の中で涼しく、日本の山歩きとあまり変わらない…と歩き出して10分もしないうちに前方で大きなエンジン音とその止まる音。急ぎ足で登ると、先発したランクルが湿った曲がり角でエンコしている。後輪がかなり沈んでいる。車1台になったので引っ張ることも出来ず、近くの農家にスコップを借りに行くことにし、他の人間は歩き出す。ウルグル山地の西斜面を登りきって、東斜面に下りだした時に、泥まみれのランクルが脱出してやってきた。目的地の村に着いたのは午後5時半。予定よりだいぶ遅れてしまった。
そのニャチロ(Nyachiro)村は、ウルグル山地の東斜面の一番高い部分を占めている人口3,000人ほどの村である。私たちはそのコミュニティセンターに泊めてもらったが(一部はテント)、その地点は標高は1,350mほどだそうだ。到着したのが夕方だったので、チャイをいただいているうちに、夕もやがかかり、日が暮れる。しばらくすると瞬くものが動き出す。蛍だ。闇が深くなるにつれ、その数は増す。次第に乱舞という状態になり、子供たちは蛍狩りに興じだす。これが簡単に採れるんだなぁ。小柄な蛍。
8時頃、やっと出来上がったご飯と鶏とカボチャの葉の夕飯を詰め込んでいると全天に星が瞬きだす。山村でもちろん電気はなく、近くにも全くないから、本当に真っ暗(野焼きの明かりが唯一あった)、で星が降りそうだ。南十字はものすごく鮮明で、銀河は数が多い。私がタンザニアの農村に行きだした85年頃はルカニ村にもキンゴルウィラ村にも(農村滞在のページ参照)電気はなく、満天の星を満喫したが、久しぶりの星降る里だった。寒さを感じながら、お酒を呑んで早めの就寝。
📷翌朝、コミュニティセンターの近くに設けられた、養蜂箱とシイタケ栽培地をみせてもらう。養蜂箱は10個置かれていたが、未だ蜂は入っていない。この村でも昔は養蜂も行われていたらしいが、若者には伝わっていない。蜂はいるようだが、伝統技術の断絶が気になる。シイタケの材木には、明らかに違うキノコが生えていた。これもこれからか。村の生業は農業。トウモロコシ、キャッサバ、マハラグェ(豆)、米など。新しい試みが根付くかどうか…。
コミュニティセンターは村の最上部にあり、村の中心へ下る。1時間で標高700mほど下るから、かなり急な下りだ。私のダラシナイ脚はすぐに膝が笑い出す。村人は女も子供も頭に荷を載せながら登ってくる。荷は米、キャッサバ、マンゴーなどで、自家消費ではなく、翌日の日曜日ブンドゥキの村で開かれる市場に向けて運んでいる。夜を明かして、あるいは徹して、山を登って降りて、西斜面にない東斜面の作物を運ぶ。
斜面にへばりつくように民家があり、そこにはリンゴや桃の木があったりする。人々が笑顔で挨拶を交わす。一気に下り、ニャチロ小学校を過ぎると、川を2回渡河することになる。5mほどの川で、靴を脱いで渡るが、冷たさが心地良い。結構大きい滝となっている地点があり、涼やかだ。
📷川を渡ると隣のキボグワ(Kibogwa)村に入る。標高が下がっているので、歩くと汗が噴出す。作物もニャチロは温帯性だったのに対し、熱帯性になる。森の中には小粒のマンゴーが実っている。開けた斜面には陸稲が稔っている。ココヤシが点在し、採ってもらってひんやりしたコーラでのどを潤す。バナナ、ジャックフルーツ、パンの木。歩いていてパッとは気が付かないのだが、胡椒、クローブ(丁子)、シナモン、カルダモン、バニラという香辛料が植えられている。スパイス・アイランドと言えば、ザンジバルの別称だが、この山奥の村からザンジバルへ出稼ぎに行った人たちが多かったのか、70年代から導入されたという。年間降水量2,500ミリと恵まれた気候で、これから先有望な商品作物かもしれない。
問題は輸送手段。これを何とかしなければ、買い叩かれるだろうが、生産さえ伸びれば、商人が買い付けにやってくる。キボグワからモロゴロへは悪路をたっぷり2時間半。車は痛む。雨季は大変だろう。電気もない。でも水はふんだんで緑はたっぷり。人間は穏やかで、ほっとする。こういう山村に「開発」というのはどういうルートがありうるのか?
Karibu Uluguru
(2002年7月1日)
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