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Habari za Dar es Salaam No.82   "Leaders" ― 指導者たち ―

根本 利通(ねもととしみち)

 2008年も11月ころになって、大型の金銭スキャンダルに関する裁判が新聞紙上をにぎわすようになった。一つは中央銀行(タンザニア銀行)を巡るEPAスキャンダルであり、もう一つはムカパ第3代大統領時代に、大蔵大臣とエネルギー鉱山大臣を務めた二人の元大臣と、大蔵次官の計3人に対する汚職訴訟である。2月にロワッサ首相と2人の閣僚を辞職に追い込んだRichmond事件も収束したわけではなく、大物が訴追される事件が続き、キクウェッテ政権を揺るがしていた。

📷  EPA事件というのは、私が理解できた限りでは、タンザニアの外国企業に対する債務の買取なのだと思う。タンザニア銀行から外貨を引き出し、その債務を買い取る。この過程でいくつかの外国企業の名前が出たが、伊藤忠、丸紅、松下電器の名前も出てきた。結局タンザニア銀行の幹部とインド系を中心としたビジネスマンの合計20人が、1,330億シリング(この円換算は難しい。現在のレートなら90億円くらいだろうが、事件の起きた2005年当時のレートなら140億円くらいか)の詐取の容疑で起訴された。

 このスキャンダルは2004~5年に起こった事件だが、2007年9月に野党(CHADEMA)議員が「公金の横領が跋扈している」と提起し、外国の会社の監査が中央銀行に入り、2008年1月に中央銀行総裁は解雇され、大統領特命のチームが調査していた。大統領は10月末に「横領された金の76%は返金された」と幕引きを図ったが、「泥棒が返金したからといってご赦免なのか?」という世論に押され、起訴、裁判となった次第である。野党はこのEPA事件に関与したある会社は、与党CCM によって設立され、キクウェッテ大統領を当選させた2005年の総選挙の資金源になったと主張している。

 金額的な大きさはともかく、元大臣二人、そしてその内一人は国会議員としては現役であるから、その訴追事件の方が、政治的にも大きく注目を浴びた。バジル・ムランバ元蔵相とダニエル・ヨナ元エネルギー鉱山相およびグレイ・ムゴンジャ大蔵次官に対する訴追である。3人の容疑は、2002~07年の間、大臣及び次官としての権限を利用し、TRA(タンザニア国税局)の勧告を無視して、ある英国系の企業に免税特権を与え、117億シリング(当時のレートで12億円程度)の損害を国庫に与えたというものである。彼らへ見返りの金額は表面には出ていない。

 二人の元大臣は結局保釈されるのだが、裁判所の課したその金額の大きさと、二人が揃えられるかにも注目が集まった。最初裁判所が課した条件は、一人39億シリングの現金その他(パスポートの提出、ダルエスサラーム市外への移動は裁判所の許可が必要など)であった。結局は29億シリングの現金もしくはそれに相当する有価証券(=土地の権利証)になるのだが、ヨナ元大臣が単独で3枚で、30.6億シリングの土地権利証を提出したとき、裁判所はどよめいたという。その内、最も価値が高かったのはダルエスサラームの郊外にある中学校の権利証で、それだけで22億シリングという。一方、ムランバ元大臣は、個人としては1枚5.5億シリングの権利証を提出できただけで、残りは3人の友人の協力で合計31.4億シリングに達し、晴れて2人は7日間の拘留を終えて、保釈されたという。さすがに現金ではなく権利証だったが、それでも1億シリングを超える物を出せる大臣たちの財力が巷のうわさのネタを提供していた。ちなみに、新聞にはあまり出なかったが、元次官の保釈金はなんと62億シリングだったという。

📷 この二人(次官を含めると3人)の裁判の過程で、噂はその上司=任命権者である元大統領にも集まった。果たして司直の手が元国家元首に届くのか?12月24日政府系の『Daily News』の第一面トップに否定する記事が載った。「PCCB、ムカパの調査を否定」。PCCBというのは汚職対策局で、その広報担当官が声明を発表し、PCCBが元大統領の調査をしているという噂を根拠がないものと決め付けた。更に1977年憲法の第46章第3節を引用し、「引退した大統領は政権時の行為について査問されることはない」とした。更に、PCCBは法の範囲内で活動しており、元大統領を調査することは許されていない。PCCBのみならず、他の機関も法の掣肘を受ける、としている。これは元大統領の行為の正否にはもちろん一切触れていないので、これをどういうメッセージとしてとるかは、人それぞれであろう。

 元旦の『Daily News』は大統領の新年のメッセージを載せるわけだが、「キクウェッテは横領者に断固とした態度」とならざるをえなかった。これは国際社会、あるいは援助諸国に対するポーズであるとともに、国民に対する態度表明であろう。2005年には80%を超える支持率で当選し、期待を一身に集めてきた。安定した経済成長率に支えられているとはいえ、世界の経済不安の中、成長してきた観光業も停滞し、綿花やコーヒーの国際価格の下落気味で、国民の中には格差拡大に対する不満が広がっている。2010年12月の総選挙で再選を図るためには、「大物たちが国を食いものにしている」という庶民の実感に対して、戦う姿勢が求められているのだろう。どこかの元首のように「この国は俺のものだ」というような傲慢さはない。その後、大統領府次官により、検察組織の中にFBIのような特別捜査機関、特に経済組織犯罪に対する機関の設立も発表された。

 その昔、ニエレレ人脈で、司法長官からムウィニ第2代大統領の政権下、一時ではあるが首相を務めた、ジョセフ・ワリオバという人がいる。清廉な性格で権力欲も強くなかったのか、選挙にも弱かった記憶がある。あっさり国会議員も引退し、その後公職としては「汚職対策局」の長など、あまり他の政治家がやりたがらないポストで、汚職に警鐘を鳴らす役割をしていた。一種のガス抜きというか、体裁なのかなと思ってみていたが、11月には「最近の汚職、指導者の倫理の低下は目に余る。指導者と庶民の間の収入の格差も広がる一方だ。1967年のアルーシャ宣言では、指導者の国民への奉仕、倫理が定められているが、第二のアルーシャ宣言が必要だ」と強い口調で語っていた。ワリオバは過去の人のように思われているが、ニエレレ時代の理想主義、倫理観を知る人にとっては最近の風潮は耐えられないかもしれない。

📷  1月20日のバラック・オバマ新大統領の就任式は、タンザニアでも生放映された。タンザニアでは20時であったから、ちょうど見やすい時間ではあった。 寒風の中、大勢の人々が集まり、感動し、涙を流しているのにはびっくりした。オバマは演説がうまいのだろう。私の英語力ではちゃんと把握できないのだが、イスラーム、ヒンドゥー、ユダヤ人などに触れたのは耳に残った、またこれは翌日の日本のマスコミ(朝日)による翻訳の引用だが、「そしてなぜ、60年足らず前だったら地元のレストランで食事をさせてもらえなかったかもしれない父を持つ男が、(大統領就任の)神聖な宣誓のためにあなたたちの前に立つことができるのか‥」という台詞は彼でしか言えなかっただろう。

 正直に言うと、民主党の大統領候補がオバマとヒラリー・クリントンの熾烈な一騎打ちになった時にも、さほどどきどきハラハラはしなかった。どっちが勝っても、ブッシュ共和党の不人気振りから、アメリカ合州国史上、初の黒人大統領か女性大統領かという歴史的な事件になるのだが、「黒人男性と白人女性のどちらが、保守的な白人男性の反発が少ないだろうか?」という程度の関心だった。ケニアのルオ人の村では大騒ぎであったようだし、オバマが11月に選挙で勝利を収めた翌日に、タンザニアの新聞に「オバマ、アフリカの真の息子」と題する祝賀広告を載せたインド系の大会社の態度にも、ややしらけた思いだった。オバマはアメリカ人であって、アフリカ人ではないのは明らかなのだ。

  でも就任演説を生で聴き、その後11月シカゴでの当選した際のオバマの演説を聴くと、演説がうまいなというだけでなく、何か惹きつけるもの、魅力があるのが分かるような気がした。演説の原稿にライターはいるのだろうが、やはりオバマ本人の言葉で語っていると感じさせるもの。官僚の作文をそのまま読み上げ、漫画のように振りカナがないと読み間違えてしまうようなマンガチックな首相とは違う何かがあるような気になる。故ニエレレ大統領も演説はうまかったと思う。

 1月21日付け『Guardian』に載ったタンザニア人の感想を列挙してみよう。大学教授などインテリ層が多い。   「オバマはアフリカ人の子孫である民主主義者で、アフリカ人への恩恵となりうるだろう。しかしアフリカ大陸は、まずアフリカ連合を通して重要なことを彼と話し合う準備をしないといけない」   「オバマはアメリカ市民であってその第一の責任はアメリカ合州国にあり、アフリカ人や世界にはない。‥が、オバマが最初の黒人の世界の軍司令官になったという歴史的事実は、人種的起源や信条に関わりなく誰でも偉大な指導者になれるということを示したことは否定できない」   「オバマ大統領に過大な期待は持てない。彼は選挙運動中に、アフリカ大陸に関わることは積極的には発言していない。軍事的にはジミー・カーターのように軍の派遣を減らすだろう」    「黒いアメリカ人であるオバマが、世界の軍司令官になったということは成功だ。たとえ彼が世界に何も貢献しなくても、その心理的インパクトは世界中の人に広がるだろう。が、世界中の人に受け入れられるということと、彼がアメリカの利益のために働くということは別物である」   「この世界の経済危機のさなかに大統領になったオバマは、まず自分の国のために働き、他を援助することは難しい。我われは海外の援助に依存しないでもいい地点まで働かないといけない」   「オバマが環境保護を支援するのは嬉しい」    「オバマは理想を持った偉大な人間だ。彼のために祈ろう」

📷 政治の指導者は、甘い言葉で語っていればいい訳ではない。スワヒリ語で「Maneno tu」と言うと、「口先だけ」という意味だが、政治家の公約の虚ろさは世界共通だろうし、実践を伴わないといけない。オバマが本当に評価されるのは後世だろうが、それでも夢とか自己の哲学を語れない政治家は悲しい。オバマが黒人初の大統領になったことを素直に喜びたい。そして、父親がケニア人であり、祖母がケニアの村に健在であることの「近さ」も貴重だろう。300年前に西アフリカのどこかの村から連れ去られた無名の人の遠い子孫ではないから。タンザニアでもオバマの顔とアフリカ大陸(諸国)をデザインしたカンガが売れている。

 ブッシュ政権が残した負の遺産、経済の建て直しが最優先だろうが、アフガニスタン、イラク、そしてガザでの終わりのない泥沼の戦争状態が重くのしかかる。「テロとの戦争」と先進国は言っても、アフリカ大陸では圧倒的に不人気だろう。罪もない子どもたちが爆弾の犠牲になっていく日常。「イラクに民主主義を実現するために」というが、「民主主義」が極めて懐疑的に見られているのも現実だろう。大虐殺を経験したルワンダは西欧的な民主主義をはっきりと疑っている。

 オバマを生み出したのもアメリカの民主主義であるが、怪しい選挙でブッシュ・ジュニアを大統領に選出し、さらに「イラク開戦の嘘」が明らかになりつつあったにもかかわらず、再選させたのもアメリカの民主主義である。アメリカはベトナム戦争の間違いを公式に認めただろうか?それは共産主義に対する偉大な犠牲だったし、「ベトナム戦争の英雄」は大統領選挙での+のポイントになっている。イギリス、フランス、オランダといった連合国は、植民地支配の功罪ではなく、功しか語らないのではないか?ナチズムの誤りを認めたドイツや、植民地支配、大陸での戦争を謝罪する日本を「自虐史観」と揶揄する人たちがいる。その人たちとははっきりと距離を置きつつも、外交というのは国益の衝突、利害の調整でしかないのだとういう諦観はある。 オバマが理想主義者であったとしても、現実の政治の中でそれがどこまで実現できるか。「イスラエル問題」を解決できるとは期待しない方がいいだろうし、アフリカにささやかに利益をもたらしてくれれば御の字だろう。 

 アフリカの解放戦争の英雄が、いったん権力を握るとそれにしがみつき、周りが利権を巡ってむらがり、老醜を晒すことはジンバブウェの例は極端としても、枚挙に暇がない。ネルソン・マンデラやジュリアス・ニエレレは幸福な例外だったのか?ニエレレの衣鉢を継いだタンザニアの指導者たちの英知を祈るばかりである。

(2009年2月1日)

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