根本 利通(ねもととしみち)
Habari za Mwaka Mpya
皆様方、2003年を無事に平和に迎えられたことと思います。本年も宜しくお願いします。
21世紀がニューヨークでの同時多発テロとアフガン攻撃で始まって以来、きな臭い状況は変わらない。2002年も後半に入るとアフガンの報道は減って、イラク攻撃の時期に照準が絞られ、その次は北朝鮮という雰囲気すらある。ことの是非は問われず、世界の保安官のなすがまま、21世紀の西部劇よろしく、世界村の各地区のチーフたちは保安官の名指しするならず者狩りに熱中するという構図になっている。
昨年11月に起こったモンバサでのテロ事件、12月27日に投票され、混乱が予想された総選挙(野党統一候補であるキバキ副大統領の当選が確定した)とお隣のケニアの不安定な状況をよそに、タンザニアは平和な状態が続いており、日本からの旅行者も幸い減らない。タンザニアの財産である平和がいつまで続くのか…
ケニア(ナイロビ)在住の外国人(日本人を含む)の多くが、クリスマスを契機に国外脱出し、ザンジバルのホテルは軒並み満室という状況である。クリスマスでで帰省したタンザニア人が多く、やや空いてきたダルエスサラームの道路に、ちらほらケニア・ナンバーの車が走っている。インド系、アラブ系のケニア人が親戚を頼って来ているのだという。暴動が起これば真っ先に狙われる人たちだからだろうか…。24年間続いた独裁政権が、平和のうちに選挙で政権交代を許すのか、その後旧独裁者に対する訴追は起こらないのか…。バンダ(マラウィ)、モブツ(ザイール)に続く最後の独裁者の終焉が間近い。独立後40年を経過したアフリカの諸国に多く誕生した独裁政権が過渡的なもので新たな時代に入ることを祈っている。
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ひるがえってタンザニアはとみると、独立の父ニエレレという偉大な人材に恵まれ、独裁とは言えない理想主義的、人道主義的な時代を過ごした。ニエレレは63歳で大統領の職を譲り、「院政」と言われはしたが、まず平和裡に交替した。しかしその間も経済的には破綻し、援助抜きには動かない国家経済となり、その援助の金をめぐって腐敗構造は蔓延している。それがどこまで抜きがたいものなのか、あるいは修正可能で自力更生への道はいくらかでも残されているのか?ニエレレが表舞台から去り、タンザニアがアフリカの、あるいは世界の政治の中で脚光を浴びることはめっきり少なくなったが、まだまだ注目していきたい国であると思う。
ただ自力更生の余地が残されているかどうかということだが、基幹産業である農業が牽引力となれるかどうかは現状では疑問だろう。最近生産が増えてきた金の生産も、状況は「山師」的なもので、国民経済に広く寄与できるかどうかは不明だ。却ってナイジェリアの石油やコンゴやアンゴラのように「金のなる木」を持った人々が外国の利権争いにまみれることがないようにと心配する。観光業というのはその豊かな資源と共に期待されるところだが、観光というのはある程度土地の文化や生活を脅かしながら進行するわけだし(ムスリムの町ザンジバルの変貌、横行する裸に近いイタリア人旅行者が象徴的であるが)、また現在のように外国資本がいいところを握って、「サービス」を提供していくと、果たしてタンザニアに落ちたお金が再投資されるかどうか、はなはだ心もとない部分もある。
グロ-バリズムという名の一元的な価値の押し付けを避け、多元的な文化の共存を望みたい。そのためにも独善的なアメリカのイラク攻撃が起こらないことを祈りつつ、そのためにタンザニアからの発信を続けていきたいと思っている。
(2003年1月1日)
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