根本 利通(ねもととしみち)
高野秀行『謎の独立国家ソマリランド-そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』(本の雑誌社、2013年2月刊、2,200円)
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本書の目次は以下のようになっている。
プロローグ 地上に実在する「ラピュタ」へ
第1章 謎の未承認国家ソマリランド
第2章 奇跡の平和国家の秘密
第3章 大飢饉フィーバーの裏側
第4章 バック・トゥ・ザ・ソマリランド
第5章 謎の海賊国家プントランド
第6章 リアル北斗の拳 戦国モガディショ
第7章 ハイパー民主主義国家ソマリランドの謎
エピローグ 「ディアスポラ」になった私
ソマリランドのことには興味があったのだけど、なかなかそれに関する本(日本語)が見つからない。研究者では遠藤貢が少し触れているが、ソマリアに関するついでのような感じで読んでいて欲求不満になった。それじゃぁ自分で行けばいいじゃないかとなるのは本書の著者の発想で、私はせいぜいソマリランド行きの飛行機のルートと時刻表を調べたところまでだった。早稲田の探検部にはかなわない。
プロローグのソマリランドが「地上のラピュタか」というのはちょっと大げさだが、ビザを取る方法やソマリランドの要人の名前を聞き出し、探検部の後輩のカメラマンをそそのかして出かけてしまう。この第1章は謎の未確認国家ソマリランドを確認する。エチオピアから陸路で入った国境から「傲慢で、いい加減で、約束を守らず、荒っぽい」ソマリ人に囲まれてしまう。しかし、何とか首都のハルゲイサに到着し、日本で紹介された要人の名前を出すと、元ジャーナリストの凄腕の通訳が見つかる。その通訳ワイヤッブとハルゲイサ、主要港であるベルべラを取材して回る。海賊に誘拐されたドイツ人夫妻、刑務所にいる海賊容疑者とのインタビューにも成功する。順調な出だしだ。
第2章ではそのソマリランドがなぜ平和なのかという秘密に迫る。観光案内から始まり、砂漠の豪雨、覚醒植物カート、ソマリランド最高峰登頂、日本の女王の墓などお気楽なことを述べながら、なぜ平和なのかを考える。そして、ソマリ民族のなかにある強固な氏族社会に注目する。ソマリランドの主要氏族であるイサック氏族と少数派であるダロッド氏族の間に紛争を収拾したのは、氏族の長老同士のヘール(掟)に基づくヘサーブ(精算)だったという。つまり原因を問わず、被害を受けた分だけ賠償するという方式で収めたというのだ。ソマリランドは旧英国領で間接統治で長老制度が維持され、旧ソマリア南部はイタリアの植民地になったから伝統社会が破壊され、伝統的な紛争解決の方法が失われた。さらにソマリランドの方はほとんど砂漠でより遊牧民的な略奪社会だから、戦争の手打ちにも慣れているのだ。また農業などが可能な南部と違い、北部は資源も限られていたから奪い合うものも少なかったという。ソマリランドは旧ソマリア南部と離婚したのだから、もう元の鞘には収まらないという。
第1章~第2章は、著者のいう「地上のラピュタ」を求めての2009年の旅の記録だ。奇跡の平和国家は、氏族社会の長老たちの「へサーブ」で生み出されたことを発見する。日本に戻ってソマリアの歴史、現在を勉強したのだろう、ソマリアの現状を三国志になぞらえる。ソマリランド、プントランド、南部ソマリアと分裂割拠している。そしてそこで支配的な氏族に日本の氏族名をかぶせて、それぞれイサック奥州藤原氏、ダロッド平氏、ハウィエ源氏と呼ぶ。本気なのか、しゃれなのかはわからない。
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第3章は、2011年の再度の旅である。ソマリランドの意味をはっきり提示するために、南部ソマリアへ旅立つ。まずはケニアのナイロビのソマリ人街イスリから国境のソマリ難民ダダーブのキャンプを目指す。当時はソマリアは大飢饉で国外への避難民が多いと言われていた。ソマリ人の中の被差別民、少数氏族、アルシャバーブの影の話も面白いが、ネタばらしはほどほどにしておこう。
第4章では再びソマリランドに入る。今回はナイロビから空路である。凄腕通訳との再会、しかし彼は民主的選挙の結果としての政権交代のため、7割の公務員が首切られるという状況で失業者であった。ソマリの超速離婚の話では、離婚・再婚を繰りかえせば姻戚がどんどん増え、ビジネスやふだんの生活に便利だという。それはつまり氏族社会が強固なためだが、「血の代償」を要求する血の結社のようなものだという。
第5章では海賊国家プントランドに入る。凄腕通訳は職(ホーン・ケーブルTV)が見つかって同行せず、人脈(ジャーナリストたち)を頼っての伝言ゲームに乗って旅する。ソマリランドと違い、プントランドはソマリアの一部だと称しているから、通貨は20年以上前のソマリア・シリングが使われ、安定した通貨でインフレも抑えられているという。そして海賊による身代金が入ると、ドルのレートは下落するという、ほんまかいな。
著者がプントランドのなかを移動するときは、常にケーブルTV記者、情報省の役人と4人の兵士を乗せた2台の車で動く。もちろん自由行動はない(あいにくラマダン中だった)。著者は自分のことを「籠の中のカモネギ」と評する。完全護衛付きなのはいいが、羽根が生えたように準備した大金が飛んでいく。これを取り戻すためには本を1冊書いて入ってくるであろう印税では到底追いつかない。そこで「史上最大の作戦」を考え出す。つまり海賊実行のドキュメンタリー映像を撮り、体験ノンフィクションを書こうというのだ。同行ソマリ人は反対せず「海賊を雇えばいい」と言う。現実的な方法、具体的なコスト計算が出来上がる。果たして…?
第6章ではいよいよ戦国争乱の都モガディショに乗り込む。プントランドと南部ソマリアの境界線に分断された都市ガルカイヨから空路である。「絶対に行けない」町モガディショ空港で待ち受けていたのは、20代の若者3人組、その一人が剛腕女子支局長だった。その支局長に引き連れられて、5日前にアル・シャバーブが撤退し、戦闘の止んだモガディショの街を回る。都らしく粋で繁華な地区、廃墟と化した地区、復興に向けた地区。氏族毎の支配地区があり、電気・水道・学校・病院などの本来政府が賄うべきサービスも氏族の経営で行われ、「完全民営化社会」になっていると評価する。政府の不在が外国、国際社会の援助を呼び込み、生きている首都。農村に広がるイスラーム復興主義のアル・シャバーブ。
第6章のなかの「現場に来て初めてわかること」では、難民キャンプで撮る写真が「別に悲惨ではない」という。笑顔を見せている難民が多いということ。「なぜ難民や重傷者の家族が笑顔を見せるのか。…それはきっとホッとしているのだと思う。…難民キャンプにしても病院にしても、やっとたどりついた「安全地帯」なのだ。そいて、私たちのようにカメラを構える外国人は「自分たちを助けてくれる人」と無意識に認識するのだろう。…仲良くしたいという意思表示で微笑むのだろう」(P.359) 。
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第7章で再びソマリランドに戻る。プントランドヤモガディショから帰った著者はソマリランドの人たちが「平和ボケ」しているように感じてしまう。しかし、それはずっと続いてきたわけではない。1991年からのソマリランドの戦国時代は有力三分家による輪番制だった。それを現在の状況に持ち込んだ氏族の長老による和平会議の全貌解明に立ち向かう。ずっとグルティ(長老院)の書記を務めてきた人を紹介される。
そこで現れてきたのは、氏族の長とか長老の伝統的な権力・権威ではなく、中立な仲介者による調停、契約の概念だった。グルティがいったん制度化されてしまい中立でなくなったら、第二次内戦ではディアスポラ(海外在住者)が仲介役を果たしたという。権威を認めないソマリ社会の徹底した平等主義も発見する。そういった「下からの民主主義」が、国連や西欧のいうまずソマリアという国ありきで大統領の選任から始めて国づくりをしようという「上からの民主主義」に勝って機能しているのがソマリランドの、著者いうところの「ハイパー民主主義」なのだ。氏族本位社会のように見えて、その氏族も核心は「血」ではなくて「契約」なのだという。
著者は日本に帰ってきたが、2012年またソマリランドに2回も行っているという。よくお金が続くなぁ…。ソマリ人化してしまったのなら(自称ディアスポラ)、最大の行動原理はカネだろうから、カートの密貿易でもやっているのかしらん。西欧(日本を含む)の民主主義を超えたソマリランドのシステムを称揚する。そして国際社会がソマリランドの独立を認め、あるいは最低「安全な場所」として認めてくれたら、援助や投資がソマリランドに入ってくるだろう。となるとカネが最大原理のソマリ社会は、プントランドの海賊行為も南部ソマリアの戦国状態も、より儲かる方を選択するだろう。それがソマリ社会に対する明確なメッセージで支援になるという。
著者の高野はけったいな真面目な人なのだろう。講談社文庫の『西南シルクロードは密林に消える』を読んだことがある。いかにも早稲田の探検部らしく、大げさで呆れるほどノーテンキでおもしろい本だった。したがってこの本の紹介をウェブで見た時に、きっとおもしろい本だろうと思い、読みたくてたまらず、日本からやってくる友人に頼んでしまった。受け取ってみたら500ページを超える重たい本で、申し訳なかったが。
本書もやたらおもしろかった。「きちんとしたジャーナリスト」にも、学者にも書けないルポルタージュ文学の傑作だろう。せっかく分厚い本なのに早く読み終わってしまうと、損をした気分になる。それなのにトイレにまで何回も持ち込んで読了してしまった。これは早稲田の探検部らしき大風呂敷、妄想ゆえの面白さと言ったら偏見になるだろうか。著者の先輩のナイルの源流をルワンダで1969年に「発見」した隊も、功名を英国・ニュージーランド隊に奪われてしまったようだし、脇の甘さ、人の善さを感じてしまうのである。
参考までに「きちんとしたジャーナリスト」はソマリランドのことをどう描いたか見てみよう。松本仁一の『カラシニコフ』である。松本は2003年南部(モガディシオ)、そしてソマリランド(ハルゲイザ)に行っている。最低7人の護衛を連れないと歩けないモガディシオと、平和なハルゲイサの対比を描写している。ソマリランドの氏族(松本は「部族」と表記)の長老が話し合いで、民兵たちの銃を回収し、平和を実現する。民衆は貧しいが、指導者たちもそれを共有し、人びとは明日に希望を抱いていると松本は伝えた。
しかし、松本にとって興味あるのはソマリランドで進行中の下からの民主主義ではないようだ。「国家と武力という問題」を考える際に、「失敗した国家」と見なされる多くのアフリカ諸国の代表であるソマリアの現状である。西欧植民地勢力の力関係で決まった国境線にはそこの住民には意味がなく、国民という意識に乏しく国家に無関心になる。そこで「部族対立」が起こり、権力者が暴力で資源を独占しているという論理である。これも外側、特に西欧社会の観点からしたジャーナリスト的な分析である。高野のようにずぶずぶに入っては行かない。
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また、第2章に述べられている「ソマリランドは旧英国領、南部ソマリアは旧イタリア領で、植民地統治政策が違った」という点について。同じ東アフリカの角に位置し、イタリアと英国の支配を経験したエリトリアと比較してみる。
イタリアによるエリトリア植民地支配は1890~1941年であった(イタリア領ソマリランドは1889~1941年、1950~60年)。エリトリアでは兵士の徴募が盛んで、1935年には人口の1割にも達したという。この植民地兵士がエチオピア、ソマリア、リビアへの侵略に動員された。エチオピア侵略の際はイタリア軍に反旗を翻す兵も多く出たという。また、イタリアが行なった教育は、植民地運営のために必要な人材育成も最小限で、1930年代のイタリア語の識字率は1%程度であったという。英国に比べてイタリアの植民政策が不十分、不徹底、いい加減であったことが窺われる。
「ディアスポラ」が旧ソマリア国内にいるソマリ人を経済的に支える大きな役割をしているという指摘は随所に出てくる(P.197、282など)。著者自身も最後はディアスポラ・ソマリ人としてアイデンティティを確立してしまったように見える。本書がその証である。
正直言うと私はソマリ人があまり好きではなかった。それはタンザニアで見ているソマリ人から得た根拠のない感触だ。1991年に打倒されたバーレ独裁政権の旧閣僚が、タンザニア各地で立派なホテルやレストランを営業しているのを見ると、何となく反感を覚えている。「自分の国を亡くして何をしている。皆ソマリ民衆から吸い上げたものだろう。そういう連中を放っておいて、延々と戦争を続けているソマリ人は民族としてのプライドがないのか!せっかくソマリ語で全国民に話が通じる国なのに」と思ったりする。自分が国家主義者でも民族主義者でもないのは自覚しているのにである。「日本=単一民族国家」信仰を持って育ってきたせいだろう。
ユダヤ人はもちろんのこと、インド人や中国人のように異国に住みつく精神力はなかなかふつうの日本人にはない。「ディアスポラ」という感覚はなかなか理解できないだろう。自身を振り返ってもタンザニアの29年住んできても、日本人というこだわりが強いせいか違和感が消えない。日本は常に「帰るべき故国」としてある。しかし3・11以降の日本を見ていると民主主義信仰はかなり揺らいでしまった。
国家とそれが保証する民主主義を待っていてもいつまで経っても実現しないだろう。また下からの民主主義の結果、よりましな国家が登場するというのも骨の折れる夢だ。共同幻想かもしれない。ソマリ人の現実主義が生み出したソマリランドが理想の民主主義とは到底思えないが、そういう発想もあるということは視野に入れてもいいのかもしれない。西欧型の民主主義が万能ではないのは明らかだし、フランスやアメリカ合州国の民主主義の化けの皮ははがれつつある。あなどるなかれ、ソマリ人か。しかし、ソマリランドが国際社会で孤立しているから、このような実験が許されているのかもしれないと思う。もし承認する国家が現れ、「援助」などな流れこんだら氏族共同体が生み出した民主主義が生き残れるのかははなはだ心もとない。
おまけである。高野はカート宴会を繰り返している。アルコールが禁止されたイスラーム社会であるから、男の付き合いのあり方なのかもしれない。わたしはミラという呼び方で、ダルエスサラーム、モンバサ、ラムで接した。覚醒作用のある葉っぱで、いわば麻薬の一種で常習性もあるのだろう。常習性がいけないとはいわないが、黄金のトライアングルのような存在はよかったのだろうか?7月英国でミラの輸入禁止をしたというニュースを読んだが、ソマリ人社会が広がっているということなのだろうか。
☆参照文献:遠藤貢「崩壊国家と国際社会」(川端正久・落合雄彦編『アフリカ国家を再考する』(晃洋書房、2006年)
・眞城百華「民族の分断と地域再編」(小倉充夫編『現代アフリカ社会と国際関係』(有信堂高文社、2012年)
・松本仁一『カラシニコフ(上)』(朝日文庫、2006年)
(2013年8月15日)
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