根本 利通(ねもととしみち)
家島彦一『海域から見た歴史ーインド洋と地中海を結ぶ交流史』(名古屋大学出版会、2006年2月刊、9,500円)
本書の目次は以下のようになっている。
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序章 インド洋と地中海を結ぶ大海域世界
第Ⅰ部 海域世界の成り立ち
第1章 船の文化
第2章 港市
第3章 島の機能
第Ⅱ部 陸上ルートと海上ルートの連関
第1章 メッカ巡礼の道
第2章 ナイル峡谷と紅海を結ぶ国際交易ルート
第3章 イラン高原とペルシャ湾を結ぶ国際交易ルート
第4章 スリランカ王の外交使節団がたどった道
第Ⅲ部 国家・港市・海域世界
第1章 ムスリム勢力の地中海進出とその影響
第2章 海峡をめぐる攻防
第3章 国家による海域支配の構図-イエメン・ラスール朝の事例
第4章 紅海の国際交易港アイザーブの廃港年次
第Ⅳ部 国際間に生きる海上商人の活動
第1章 海域世界を股にかける海上商人たち
第2章 カ-リミー商人による海上交易
第3章 イエメン・ラスール朝商人の一類型
第Ⅴ部 海域世界における物品の流通
第1章 地中海産ベニサンゴの流通ネットワーク
第2章 沈香・白檀の産地とイラン系商人の活動
第3章 チベット産麝香の流通ネットワーク
第4章 インド洋を渡る馬の交易
第Ⅵ部 海域世界における文化・情報の交流
第1章 チュニジア・ガ-べス湾の漁撈文化
第2章 インド洋と地中海を結ぶ海の守護聖者ヒズル
第3章 ランプ文様の装飾レリーフと文化交流
第Ⅶ部 海域交流史に関する新史料
第1章 『インドの驚異譚』に関する新史料
第2章 イエメン・ラスール朝史に関する新史料
第3章 マルディヴ諸島のアラビア語年代記
本邦におけるインド洋海域世界史の第一人者の研究の集大成である。著者はイブン・バットゥータの『大旅行記』の詳細な校訂本の作成、翻訳・註釈を出していることでも知られている。
著者は『イスラム世界の成立と国際商業』(1991年)で、イスラーム成立以前の西アジアの国際商業の実態から始まり、イスラームの誕生、ウマイア朝を経て、アッバース朝の帝国下の国際商業ネットワークの発展を概観する。11世紀以降については変容を展望する。イスラームの旅行記、地理書、歴史史料を詳細に点検している。
その次の著書『海が創る文明』(1993年)では、海域世界に大きく踏み込む。つまり20世紀の後半でも現役で活躍していたダウ船に注目し、そのインド洋西海域世界の現地調査に頻繁に赴いた成果である。私はこの2冊目の著書に大きく刺激を受けた。
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イスラーム世界をつなぐ交流ネットワーク
そして本書はその延長線上にある。最初の著書に載せられていたイスラーム世界のネットワーク構造の模式図は三書とも共通している。本書には既発表の論文も多いが、大幅に加筆され、また新たなものも多い。実証的な本格的な学術書であり、厳密な定義とか論証を評論する能力は私には到底ない。また、註釈まで含めると1,000ページ近い大著なので、すべてに触れることは無理だ。本書の内容は上述の目次で想像していただくこととして、私自身の関心のある部分、特に著者が「現地学」と称しているものについての感想を述べたいと思う。
序章では著者の持論である「陸域世界=領土国家」に捉われていた従来の歴史観から転換し、「海域世界」へのまなざしを述べる。海域世界を結ぶ「交流のネットワーク」は、「差異」を求めて拡大するのであり、任意性、相互性、双方向性、相互補完性をもつ柔軟でゆるやかな関係であるという。多様で異質の文化を多く内包するインド洋海域世界と、比較的均質な文化を持つ地中海世界との結節点として西アジアがあり、そこに成立した陸域国家がイスラームの伸張とともに、二つの海域世界を支配しようとした歴史を理解しようとする。
第Ⅰ部が私にとっては親しい、関心の高い分野である。「海は隔てるものではなくてつなぐもの」というテーマを、ラクダとダウ船の輸送力で比較する。100トンほどのダウ船の輸送力は、1,200頭のラクダ・キャラバンに匹敵するという。その重くかさばる荷物を、大量に、速く、確実に輸送する手段としてダウ船を見る。モンスーンを利用した1年のサイクルでの人・モノの移動の距離感。著者は1978年モンバサ港でダウ船の出入港記録の調査を行ったが、その記録に船の国籍が記入されるようになったのは1976年からだという。インド洋西海域世界が、陸域の国家に捉われずに動いてきた証左ともいえるだろう。
港市の性格の分析についても、あくまでも海域の視点に立って行う。港市は陸域に所属するよりも、独立した海域と陸域とをつないだり、隔てたり、インター(中間)機能をはたしていたとする。港市の立地条件に注目し、インド洋海域世界においては、島、ラグーン、半島・岬、砂漠や険しい山岳によって内陸と隔てられている場所が多いことを指摘する。つまり陸域における僻地、陸の孤島が多いわけで、港市は海域世界のなかにおける機能が重要であるとする。
スワヒリ海岸の都市国家のような前近代の港市が存在していたことの多い島の機能の分析にも、海域世界の視点が重視される。島といっても、その立地、大きさなど多様であるが、島を辺境、孤立、閉鎖的といった「陰」の視点で見ない。憧れの異世界への出口、多元文化との出会い・共生の場、開放的という「陽」の視点で見る。島が「陰」を帯びるようになったのは西ヨーロッパの近代国民国家の領域の観念が広まり、陸域世界のなかに島が取り込まれていったからだ。南沙諸島や、竹島、尖閣諸島をめぐる対立もそう見える。
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カタール・ドーハのダウ船
第Ⅲ部では、著者の本拠地とでもいうべきイエメンのラスール朝(1229~1454年)をメインに、港市・海域国家を分析する。ラスール朝と同時期、中国には元朝、西アジアにはイル・ハーン朝、エジプトにはマムルーク朝が存在し、海上・陸上の交易が盛んになった。ラスール朝は首都は内陸のタイッズ(あるいはザビード)であるが、国際港アデンを押さえ、通過する交易船を管理し、高額な関税を徴収して繁栄した。収入源である積荷は、乳香、象牙、馬、奴隷、香辛料、宝石、織物であったという。現在のオマーン南部に当たるズファール地方に遠征して支配し、インド洋西海域のネットワークの要地を押さえて強盛となった。宗主国であるマムルーク朝との対立をカ-リミー商人による外交・調停でしのごうとする。陸域従属型港市国家という風に分類する。
第Ⅳ部では、定着型商業が主体の地中海世界と対比して、国家という枠を離れて利を求めて広大な海域を自由に移動する商人が主体のインド洋世界の商人像を生き生きと描き出す。インド洋世界の持つ自然・文化・宗教などの多様性がそれを可能にしたのだろう。もちろん、移動する商人たちも本拠地はある。しかし、自らあるいはパートナーが船に乗り込み、各港市を訪れ、各地の商人の客商となり、契約を基にワキール(代理人)を使ったり、居留地を建設したりする。
その代表例として、11~15Cの間に活躍したカ-リミー商人を取り上げる。8C半ば~10C半ばのバグダード繁栄期のペルシア湾ルートが中心だった時代に活躍したスィーラーフ商人は、同郷の紐帯をもち、中国や東アフリカにも出かけて居留地を作って交易し、かなり国家の統制から自由であった。しかし、エジプト=紅海ルート中心になって台頭してきたカ-リミー商人は、少し違っていたようだ。
カ-リミー商人の語源は諸説に分かれるようだが、「輸送船団」のような意味ではなかったかとされるようだ。カイロに成立したファーティマ朝、その後のアイユーブ朝、マムルーク朝と紅海中軸の交易ルートを押さえた。そして最初から国家の保護・管理をある程度前提として、またそれを利用した大商人団ということらしい。アデン港を収入源とするラスール朝、メッカ、メディナへの巡礼を握るシャリーフ政権とカイロにいるスルタン政権との間に入って、利権を求めて立ち回り、それぞれの政権の利害の調整を行う。
特にアデンでは港の総督、貿易長官のような役職を務め、大商人のなかでは歴代重職に就く家系も現れてくる。さらにメッカやカイロの政権との外交交渉の主役に立つような商人よりも外交官の比重が高いと思われる人物も15Cには現れる。必然的にラスール朝の盛衰と自分たちの運命を共にすることになる。
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オマーン・スールのダウ船
第Ⅴ部では、各地の特産品の流通ルートを追う。そのなかでアラブ馬のインドへの輸出が興味深い。12世紀後半ゴール朝の北インドへの侵攻、イスラーム王朝の成立に伴い、インドではそれまでのゾウ隊に代わり、騎馬隊の編成の機運が高まった。ハドラマウト、オマーンなどの港から盛んにアラブ馬が高価でインド洋を渡っていったという。陸域国家の支配の道具であった馬が主に海を通して渡ったというのが、考えたら当たり前なのだろうが新鮮だった。オマーン南部のミルバートはこの馬の輸出で有名だったようだが、今は漁港である。
そのほかに取り上げられているのは地中海産のベニサンゴ(海産物)、インド・東南アジア産の沈香・白檀(植物性香料)、チベット産の麝香(動物性香料)である。法隆寺宝物だった白檀に刻印された文字から、8世紀に広がっていたソグド人をはじめとするイラン系人の南海貿易の様子を描きだす。希少な高級嗜好品を求めて遠くまで出かける商人たちの姿が、現在の貿易の原点なのだろう。
第Ⅱ部では、メッカ巡礼の道という切り口から入り、インド洋と地中海という二つの海域世界を結ぶ紅海とペルシア湾の二つのネットワークを構成するルートを実際に調査する。つまり紅海軸とペルシア湾軸といっても、それぞれ時代によって変遷・盛衰はあり、それはその当時の国際情勢に対応している。一カ国のあるいは狭い境域の歴史ではなく、広い世界の変化の流れで観ようとする。そして圧巻なのは、第Ⅱ部の第2章、第3章で行われた現地調査である。文献史料とそれまでの考古学的成果を踏まえた上で、実際に現地でルート調査を行う。その結果、古い文献史料の地名が現存しているのを確認したり、新たなキャラバンサライ、寺院跡などを発見したりして、ルートを確定していく。著者のいう「現地学」である。
その4章では1282~3年にスリランカ王がカイロのマムルーク朝に送った外交使節団のたどったルートを見る。スリランカからペルシア湾のホルムズに着き、ティグリス川を遡上しバグダード経由してカイロまで。その背景として、南インド勢力のスリランカ侵攻、イエメンのラスール朝の海上覇権とマムルーク朝の対立。ペルシア湾の交易支配をめぐるホルムズとキーシュとの対立と、それに影響を与えたモンゴル勢力(イル・ハーン朝)の南進を読み取る。
第Ⅵ部第1章はチュニジアのガベス湾の漁撈文化に関する考察である。タコ壺から始まり、漁具・漁法の調査、帆船の盛衰、多彩な魚食文化、安全・豊漁を祈る聖者信仰など。そしてその中から著者は、「漁民・船人たちが新しい宗教・思想体系の伝達者として、歴史上重要な役割を果たした」という仮説を出す。そして、このチュニジアのあるイフリーキヤ地方の地理的条件を人間移動、物資の交換、情報・技術の伝達の要衝とみなし、境域地域の一つとする。この章の基になった論文は比較的早い時期だが、著者はその仮説を実証すべく、海域の歴史を追ってこられたのだろう。
「民族・言語・宗教の多重性と異質性を一つの大きな特徴とする海域世界と港市について、「負の側面」ではなく、むしろ多様・異質・重層であることを「正の条件」として最大限に生かすことで、活発な異文化交流と接触の機会が生まれた。…異質なものを異質なものとして認め合い、相互に尊重し合うなかで生まれる補完関係によって、より一層の社会的・文化的活力を期待しようとするコスモポリタンな社会環境…」(P.625~6)という。インド洋と地中海の海域世界で、イスラーム、キリスト教、ユダヤ教やヒンドゥー教などの異なる宗教をもった人びとの間でヒズルと呼ばれる海(水)の守護聖者が共通の信仰対象とされた跡をたどる。
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ザンジバルの海を走るジャハージ
第Ⅶ部第3章ではマルディヴ諸島のアラビア語年代記について触れられている。60年間失われていた『年代記』を再発見し、マルディヴの島民たちが、インド洋の東と西をつなぐ重要な中継拠点であったことを発掘している。
マルディヴはインド洋世界の島々を探訪していた1992年に訪れたことがある。しかしそのころは、インド洋西海域のモンスーン貿易のネットワークにマルディヴをうまく位置づけられなかったし、マダガスカルも域外のように思っていて、インドネシア・マレー系の人びとの移住は視野に入っていなかった。
最後に著者が否定的に評価する「海のシルクロード」という言葉についてである。著者は「海(海域)をいわば陸域の「付属物」「脇役」として捉える研究は、きわめて多い。その代表例の一つは、従来の南海史を「海のシルクロード史」という奇妙な名称に置き換えて、一般読者にアピールしようとする研究である」(註P.91)という風に記す。あまりきちんと考えたことがなかったが、言われれば納得してしまう。
歴史少年であった私が日本史とか中国史とかいった各国史ではなく、地域交流史をやりたいと思った時はシルクロード史が魅力的だった。それはステップルートを含めた陸のシルクロードであり、海のシルクロードはあくまでも付属物の感覚であった。著者は1970年にイラクのバスラを訪れた時に初めて「海域世界」の構想を抱いたという。私自身の思い出でいえば、シルクロード史からアフリカ史に志向を転じて1976年に訪れたタンザニアのキルワ・キシワニ遺跡からダウ船の浮かぶインド洋を眺めた時に、海の向こうとつながる世界を見たように思ったのだ。その後「隔てるものではなくつなぐものとしての海の歴史」を学んできたつもりだが、歩みは遅々として遅い。
余談である。たまたま早瀬晋三氏の本書に関する書評を目にした。早瀬氏はフィリピンを中心とした東南アジア海域の歴史を研究されている方のようである。その方の2007年4月24日付の書評の末尾に次の文章がある。
「本書では、最近はやりの「地域研究」や「空間」ということばは使わず、「歴史的世界」や「現地学」ということばが使われている。「地域研究」とはなにか、「空間」とはなにかが、具体的な研究成果を充分に示すことなく議論されて久しいが、議論よりこのような優れた「地域研究」書や「空間」論の書を出すことを先であろう。あるいは、具体的な成果を出すための議論をすべきだろう。「ニセ科学」が横行した結果、情報番組の捏造がおこった。「陸域に残る断片的な情報の糸をつなぎ合わせ、一枚の布を織り上げるように、一つの歴史現象としての姿を海域世界のなかに浮かび上がらせる」海域世界の歴史は、勝手な空想に基づく生半可な研究による「ニセ海域史」が横行する危険性がある。著者の研究は、「断片的な情報」をひとつひとつ基本から考察し、専門書を出版し、資料集を編纂するなど研究工具を充実させて、はじめて新たな研究に挑戦できることを如実に示している。」
私はまだ「ニセ海域史」を捏造するだけの蓄積もない歴史学徒に過ぎないが、重い叱責を感じる。まだまだ道は遼遠である。しかし…と思ってしまう。急速に揺れ動く現代世界の、「歴史認識」を弄ぶ政治家が跳梁跋扈する世界で、現在と近い将来と対話するために歴史学は何ができるのだろうか。とりあえず、早瀬氏の著作を読んでみよう。
☆参照文献:上岡弘二、家島彦一『インド洋西海域における地域間交流の構造と機能』(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、1979年)
・家島彦一『イスラム世界の成立と国際商業』(岩波書店、1991年)
・家島彦一『海が創る文明ーインド洋海域世界の歴史』(朝日新聞社、1993年)
・栗山保之『海と共にある歴史-イエメン海上交流史の研究』(中央大学出版部、2012年)
・早瀬晋三『海域から見た歴史』(KINOKUNIYA書評空間、2007年4月24日)
・Abdul Sheriff "Dhow Cultures of the Indian Ocean"(C.Hurst & Co.,2010)
(2014年2月1日)
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