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読書ノート No.86   G. ガルシア=マルケス『エレンディラ』

根本 利通(ねもととしみち)

 G. ガルシア=マルケス著、鼓直・木村榮一訳『エレンディラ』(ちくま文庫、1988年刊、初刊サンリオ、1983年) 

📷  本書は7つの作品からなる短編集である。

  ・大きな翼のある、ひどく年取った男   ・失われた時の海   ・この世でいちばん美しい水死人   ・愛の彼方の変わることなき死   ・幽霊船の最後の航海   ・奇跡の行商人、善人のブラカマン   ・無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語

 最初の短編「大きな翼のある、ひどく年取った男」からちょっとびっくりした。翼のある男=天使が実在人物として登場するのだ。舞い降りた天使が鶏小屋に閉じ込められ、見世物になる。その家の夫婦はその収入で屋敷を新築する。そして春になって新しい羽毛が生えた天使は、よたよたと飛び去っていく。

 「失われた時の海」も幻想的である。3月にバラの香りのする夜がある。貧しく死にかけている村にハーバート氏という大金持ちのアメリカ人がやってきて、村人に仕事をさせてお金をばらまく。そして村人と一緒に海に飛び込み、海底都市を見る。海底に眠っていた海亀を連れて村に戻り、その海亀を料理する。

 「この世でいちばん美しい水死人」は、これまでに見かけたどの男よりも背が高くて堂々たる体躯をしており、見るからに凛々しくて逞しい水死体の話。村の女たちは大騒ぎしてエステーバンと名づけ、そして再び海へ返す。

 「愛の彼方の変わることなき死」は、まだ42歳だが6か月と11日後に死を宣告されている上院議員オネシモ・サンチェスが主人公。妻を殺した殺人犯で脱獄囚で、身分証明書の偽造を上院議員に頼んでいる男の絶世の美人の娘が訪れる。

 「幽霊船の最後の航海」は毎年3月に巨大な幽霊船が湾に入って来るのを見る少年の語り。母も少年の話を信じないで死ぬ。数年後の3月、少年は盗んだ小舟に乗り、カンテラで幽霊船を導き、村に激突させる。

 「奇跡の行商人、善人のブラカマン」には最初は港町で、強力な解毒剤を売る行商人ブラカマンの起こした奇跡(蘇生)が描かれる。それを見ていた「間抜け面をしたぼく」を、行商人は少年の父親から買い取り、行商遍歴に出る。少年は行商人にひどい取扱をされるが、ある日奇跡が起こり逆転する。

 そして表題の「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」である。砂漠のなかの隠れ家に住む少女エレンディラとその祖母の話。伝説の密輸商人の祖父アマディスの遺産で優雅に暮らしているが、ある強風の晩に、エレンディラが消し忘れたろうそくのため家が全焼してしまう。祖母はその損を取り戻すために、エレンディラを連れて生娘には金をはずむという評判の食料品店の主人のところへ連れて行く。そこからエレンディラと祖母の遍歴が始まる。行く先々でエレンディラを求める男たちの行列ができ、市が生まれる。密輸商人、郵便集配人、兵隊、修道僧、オランダ人とインディオの息子であるウリセス、そして上院議員オネシモ・サンチェスや行商人ブラカマンもちらっと登場する。

📷  最初の短編でびっくりしたが、総じて夢と現の境がなく、夢とか寝言のなかで回想されたりしながら物語が進行していく。神や悪魔、霊という存在が語られ、奇跡によって話が展開する。写実的リアリズムとはかなり距離がある。「幻想的」なんてありきたりの表現ではなくて、「訳者あとがき」に書かれているように「魔術的リアリズム」という表現があたっているのかもしれない。この解説は非常に説得力があるのだが、実際の作品にもう少し当たってみないといけないと思わせる。

 ガルシア=マルケスは1928年コロンビア生まれ(2014年メキシコで没)。1982年ノーベル文学賞を受賞している。まだ日本に住んでいたころだから、それで代表作である長編小説『百年の孤独』の書名は知ったのだと思うが、読んだことはなかった。アフリカとラテンアメリカが遠いということはないはずなのだが、私の意識がついていっていなかった。それを今回藤原章生の本『世界はフラットにもの悲しくて』から触発されて、短編集を読んでみたのだ。

 この短編集は1972年の刊行である。代表作である長編『百年の孤独』が1967年、その次の長編『族長の秋』が1975年で、この短編集はその間をつなぐ位置にあるというのが、「訳者あとがき」にある解説である。ガルシア=マルケスがノーベル文学賞をもらったのが1982年だから、この短編集の日本語版の出版が1983年なのだろうというのは蛇足だ。

 さて、藤原章生はこう書いている。「エレンディラが暮らした砂漠は、アフリカのサハラのような紅、あるいは、かなり鮮やかな黄色に違いない。最初にこの作品を読んだとき、そう思った。‥‥だが、舞台となったグアヒーラに原色はなかった。むしろ、草原と砂漠が重なるサヘル地帯を思わせる中間色の世界だった」(前掲藤原著、P.206~7)。私もサハラとカラハリの砂漠を旅したことがあるが、原色の世界という思い出はない。また見果てぬラテンアメリカ(私の知っているのはメキシコのみ)の風景は、インディオたちがまとう衣服以外はなんとなく茶色がかったイメージが先入観としてある。藤原が見たラテンアメリカ、アフリカは違うのだろうか。あるいは同じ風景を見ても、感じられる色は違うのかもしれない。

 藤原は『エレンディラ』の話を「お伽話と評されるのは、物語が原色にまぶされているから、という気がする。原色は現実感をぼやかす」という。藤原はグアヒーラでは伝統治療師を訪ね、守護霊のことを告げられている。さらに「グアヒーラでは一度ならず不思議なことがあった。頭のなかで思い描いた光景が突然、目の前に現れた」。そして岬に砂漠の丘を見出し、そこでエレンディラが一瞬姿を現し、風に翻る蝶のようにどこかに消えるのを見るのである(前掲書、P.214~6)。実証的リアリズムの権化であるはずの新聞記者である藤原が魔術の世界に舞っている。

 アフリカとラテンアメリカは近いはずで、キューバとかブラジルを見ればその痕跡は明らかなのだろうけど、自分の意識の視野には入ってこず、タンザニアにいるとチェ・ゲバラ以外の情報はめったにない気がする。ラテンアメリカの風土、それもブラジルとかアルゼンチンではなく、ペルー、ボリビア、コロンビアといったアンデス山系のインディオの文化が色濃く残っている地域を旅したいという思いはある。この次は『百年の孤独』か『族長の秋』に挑戦しようかなと思うのだが、その魔術的リアリズムの長編に興味が持続して読みとおせるかどうか。

☆参照文献:  ・藤原章生『世界はフラットにもの悲しくて』(テン・ブックス、2014年)

(2015年6月15日)

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