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Habari za Dar es Salaam No.110   "Ujanja" ― 紹介 『都市を生きぬくための狡知』 ―

根本 利通(ねもととしみち)

 今回は、小川さやか著『都市を生きぬくための狡知ータンザニアの零細商人マチンガの民族誌』(世界思想社、2011年3月)を紹介したい。「Ujanja」と表紙カバーに大書されているのが目を引く。「Ujanja」を「狡知」と訳すとややきついというか、悪いニュアンスが出てしまうのではないか。著者はもっと積極的な意味で、「Ujanja」を使っているのではないか、また果たして「民族誌」といえるような内容なのかなと思って読み出した。

 著者とは、彼女がタンザニアで調査を始めたころからの知り合いである。大胆不敵、エネルギッシュな調査をしている都会派フィールドワーカーである。いわゆる書斎派ではない(しかし、本書を読むと、膨大な先行研究を読みこなしている)。童女のような顔をして、Mjanjaを体現しているような女性である。

📷  本書は次のような構成になっている。  序論   序章 マチンガと都市を生きぬくための狡知   第1章 ムワンザ市の古着商人と調査方法   第2章 マチンガの商世界―流動性・多様性・匿名性  第Ⅰ部    第3章 都市を航海する―商慣行を支える実践論理と共同性   第4章 ウジャンジャ―都市を生きぬくための狡知   第5章 仲間のあいだで稼ぐ      ―狡知に対する信頼と親密性の操作    第Ⅱ部   第6章 「ネズミの道」から「連携の道」へ      ―古着流通の歴史とマチンガの誕生   第7章 商慣行の変化にみる自律性と対等性  第Ⅲ部   第8章 弾圧と暴動―市場へ移動する条件   第9章 「あいだ」で生きる―路上という舞台  結論   終章 ウジャンジャ・エコノミー

 まず、序論で、この本の主人公であるマチンガを紹介する。著者は「タンザニアの都市零細商人の総称」とする。具体的には路上を店舗とする露天商、路上小売商、行商人をメインとし、最近は市場の中の簡易店舗で営業する小売商も含む。著者はタンザニア第二の都市、ヴィクトリア湖地方の経済の中心地であるムワンザのマチンガの実態を10年間にわたってフィールド調査した。

 その調査方法たるや、驚きである。静かなる参与観察という伝統的な人類学の手法とは程遠い。マチンガの主たる商売である古着(ミトゥンバ)商売に参入し、自ら小売商、中間卸売商を体験し、ムワンザではマチンガールと名を馳せることになる。調査許可を取って在留しながら、公然と商売に参入することでどうなったかは、問わないことにしよう。

📷 ムワンザの街  第2章で、著者が付き合ったマチンガの背景(生活史)を説明する。アフリカ諸国での都市への出稼ぎは、血縁、同郷という紐帯を基本としているというのが、漠然とした思い込みである。しかし、現在のムワンザのマチンガたちの結びつきは、その辺はないとはいえないが、薄いようである。もっと別の論理で結びついた「仲間」だという。

 第3章では、マチンガたちの商慣行の中心をなす「マリ・カウリ取引」を説明する。マリ・カウリ取引とは、口約束に基づく信用取引・委託販売なのだが、それを行う中間卸商と小売商との間に、果たして信頼関係があるのか?サボタージュ、商品の売り上げのごまかし、生活補助の要求、果ては商品の持ち逃げが頻発する実態を明らかにする。日本人の感覚だったら、到底付き合い切れないようなことが連続して起こっても、商取引の仲間関係は継続する。それを支える論理が「ウジャンジャ」だという。

 第4~5章では、その「ウジャンジャ」という論理を詳細に解説する。このウジャンジャという言葉が、本書を貫くキーワードになっている。ウジャンジャは、「ずる賢い都会の知恵」ということなのだが、その実践は微妙なバランスで行われ、教科書ではなくストリートで学ぶものなのだ。「泣き虫ジュリアス」や「演技するカチャーチャ」のように少年たちは実践でウジャンジャを学ぶ。ウジャンジャは「約束」というのではなく、瞬時の「賭け」の部分があることを学んでいく。

 そして一人前になったマチンガたちは、「リジキ」を判断しながら商売するという。リジキというのは「生活を維持するための最低限のもの」ということだが、これを判断して、小売商は消費者をぼったくることも、あるいは逆に赤字販売することもある。ウジャンジャは「嘘、騙し」を含む才能なのだが、その反対語は「誠実さ」ではなく、「愚かさ、鈍くささ」であるという。また小売商と中間卸売商との間の交渉でも、それは作用する。この判断に失敗するとお互いの商売がうまく進まないわけで、彼らが信頼しているのは「人間性」ではなく、お互いのウジャンジャに基づく「人間力」だという。

📷 ムワンザのマチンガ©小川さやか  第Ⅱ部の第6章~第7章では、古着商売とマチンガの歴史をたどっている。ウジャマー社会主義時代の、物資の不足の中、隣国から古着を密輸入する連中は、危険を冒しながら大儲けする。「ネズミの道」と呼ばれる。1980年代後半になり、社会主義からの転換、経済自由化の流れの中で、古着商売が儲かる商売として盛んになる。しかし、1990年代に入ると、参入障碍の低さからくる競争の激化が起こる。さらに、政府がインフォーマルセクターの統制を狙って、ムランゴモジャ古着市場という公設市場への移動を強制しようとすると、当局と小売商との間に小競り合いが続くようになり、ムワンザでもマチンガという呼称はこのころ生まれたとする。

 1996年からムランゴモジャ古着市場への移動の後、路上に戻った小売商と、市場に残った中間卸売商との間で、前述のマリ・カウリ取引が始まるが、それにも変遷がある。タンザニア政府のVAT(付加価値税)導入、さらに2000年代に入って、主としてタイ、中国などから安価な新品の衣料品が大量に流入してきたことによる。(栗田和明さんの調査でも、タンザニア人の交易人が主として新品衣料品を求めて、東アジア諸国に出かけだすのは、2000年代に入ってからである。)その結果、中間卸売商の中で大規模と零細の分化が起こり、零細中間卸売商と小売商との間で、マリ・カウリ取引と現金取引が併用される状態になる。しかし、小売商は被雇用関係には入らず、独立した存在であり続けている。

   第Ⅲ部の第8~9章では、2006年3月に起こったマチンガの暴動の背景を描く。ムワンザ市当局が用意した郊外の公設市場にマチンガが移動しないのに業を煮やした市当局が、路上からマチンガを一斉排除しようとして暴動になった。著者はマチンガたちが、なぜ公設市場に移動しないかという理由を、「あいだで生きる」という表現で説明しようとする。つまりマチンガと商店主、消費者、他の都市雑業層、警官・ムガンボという4つのグループとの関係性の中から説明する。著者はそれぞれの関係を、「蝿と蜜蜂」、「詐欺師と情け深い人」、「共感と共存」、「天敵と共犯者」と喩えている。マチンガたちは、それぞれのアクターから微妙なバランスで支援を引き出してきた、いわば隙間商売をしているとする。

 終章で、「人間相互のかかわりあいに賭けつづける人びとが、都市世界の不確実性、自己の過剰性、他者の異質性、それら自体を生きぬくための資源とし、活用していくことで成立している商世界」(P.331)を「ウジャンジャ・エコノミー」と名づける。

 著者は、本書を締めくくるのにあたり、「アナザーワールド」という言葉を用意している。実は、冒頭にもその言葉があるから、その世界を提示したかったのかもしれない。つまり、日本人あるいはいわゆる先進国の人間は、ウジャンジャに頼らず、社会関係や制度、ルール、規範を築こうとしているように見えるが、実際にはウジャンジャを駆使していることがある。ウジャンジャ・エコノミーを見ないふりをしているだけなのだ、という。

📷 ムワンザの路上販売商©小川さやか  本書を学問的に分析するのは私の任ではないので、タンザニアの現代社会あるいは歴史という観点から見てみよう。果たして、このムワンザ市のマチンガのミクロの世界が、タンザニアあるいはアフリカ、ひいては現代世界の指標として、どれだけ有効なのだろうか?ということである。

 ムワンザ市では国会議員の選挙区は2つあるのだが、昨年(2010年10月)の総選挙で、2選挙区とも野党(CHADEMA)が取った。同時に行われた市議会議員選挙でも、CHADEAMAが多数派になり、市議会議員の互選によるムワンザ市長も取った。ムワンザではCHADEMAの呼びかけによる反政府集会・デモが2月大規模に行われ、政権与党(CCM)はぴりぴりしている。

 これは著者の描いたマチンガたちの世界が、ムワンザ市の中で大きな勢力を占めていることの証左だろうか?2月の反政府デモに参加した人びとの中には、路上商人、野菜売りなどが多くいたようだ。彼らは今まで街中で商売する時に、市当局のムガンボに何回も商品を没収されたことを訴えている。さて、野党が握ったムワンザ市当局の警官、ムガンボと、マチンガたちとの関係は変わるのだろうか?

 ダルエスサラームでも、3月に大きな事件が起こった。マンゼセ地区にある古着街を、ダルエスサラームの役所が一夜にして破壊したのである。モロゴロ・ロードという、いわば国道1号線にあたる幹線道路は、街中からマゴメニ地区、マンゼセ地区、ウブンゴ地区を抜けて、郊外につながっている。北部のタンガ、モシ、アルーシャ、中央部のドドマへも、南西部のイリンガ、ムベヤ、さらには隣国のザンビア、マラウィへもこの幹線道路を通って、道は分岐する。そのダルエスサラームで最も交通量の多い幹線道路に、「バス優先レーン」をつくり、通勤者の交通渋滞の緩和を図ろうという都市計画が以前からあった。片側二車線を、三車線に拡張しようという計画である。

 今回のマンゼセ地区の古着市場(通称Big Brother)はその拡張計画地域に当たっていた。3月1日の晩、キノンドーニ市役所の役人が武装警官隊に守られながら、ブルドーザーで約3,000軒の簡易店舗を破壊した。抗議するマチンガたちには、催涙ガス、実弾も発射され、多くの怪我人がでた模様。市役所当局は、事前警告は出していたというし、マチンガたちは聞いていないと主張する。マチンガたちの組合は、銀行あるいはマイクロファイナンスのNGOなどから5,000万から8億シリングの範囲の各種ローンを受けていたという。こういう「お上」の理不尽な暴力に対し、暴動というかたちでない抵抗・抗議申し立ての方法はないものか。

📷 破壊されたダルエスサラームの古着マーケット©Citizen  マンゼセ地区の古着(ミトゥンバ)販売の話は、ピエトラ・リボリ著『あなたのTシャツはどこから来たのか?』にも載っている。アメリカ合州国の綿花農園から始まり、作られたTシャツの最終目的地が、古着としてダルエスサラームのマンゼセ地区という設定である。タンザニアを「ミトゥンバの国」と呼び、「タンザニアでは、貧しさとは天気のようなものだ。ただ、そこにあるもの。」と書くような、アメリカ人らしいノーテンキさで、その観察は表面的だが、記録資料としては役に立つだろう。

 リボリがダルエスサラームの調査をしたのは、2002~3年だったのだろう。現在、やり手(ということは悪徳という冠もときどき付く)実業家として名高い、モハメッド・エンタープライズのグラム・デウジが、ミトゥンバ・ビジネスでのし上がってきたことは興味深い。そして今は、ミトゥンバ・ビジネスから手を引いていることも。つまり古着商売は、誰でも参入できるので、競争者が増えたことと、その一方で勝ち抜くためには、細心の注意力とエネルギーを要求されるので、大企業の経営には向かないということだ。

 リボリの調べたTシャツの旅は、アメリカ合州国のテキサスの農園から、中国の上海の繊維工場、さらにアメリカのさまざまな関税障壁に守られた繊維産業の残る市場に戻り、最後はタンザニアの古着市場に行き着く。いわばマクロな視点とはいえるが、ニューヨークで古着を分類し梱包するアメリカ人と、ダルエスサラームのマンゼセで梱をあけ、掘り出し物を探すタンザニア人との結びつきを描き出している。リボリはいわば、アメリカ中心のグローバリズム追認派であるから、タンザニアの庶民の暮らしの中には入り込まない。マチンガの成功者と知り合うだけである。

 さて、はたして著者(小川さん)が描いたマチンガたちの世界が、タンザニアの将来につながるのだろうか?たまたま読んだケニア在住の日本人専門家の「アフリカに生きる」というエッセイの一部分を引用してみよう。  「私は買い物をする時は、現地人が買うのを待って、値段を確認してから買っています。そうしないと彼らはよく、吹っかけるからです。…(中略)…そういう「違法な」販売を許してはいけないのです。…(中略)…そういう店はじきに潰れてゆく。やはり商売でも何でも「正直」が一番なのです。」

 この筆者は、長年「援助」という形で、アフリカあるいはアフリカ人と関わって来られたようだ。そういう意味では立場性が出てしまっているかもしれない。しかし、おそらく日本人の大多数が共有する倫理観のように思える。「ウジャンジャ」とは、ある意味で真っ向から対立する価値観になる。マチンガたちが生きていく場所の状況を勘案しても、折り合いをつけていくのは難しいかもしれない。価値観の多様性、共存を認めるとして、このウジャンジャ・エコノミーが切り拓く将来を見通すのは、難しいことだろうと感じている。著者といまはまだ若いマチンガたちに、次なる展開を期待したいところである。

☆参照文献:栗田和明『アジアで出会ったアフリカ人』(昭和堂、2011年)  ピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(原著:2005年、邦訳:東洋経済新報社、2007年)  おぎぜんた「アフリカに生きる」(季刊『アフリカ』2011年1・2・3月号、アフリカ協会)

(2011年6月1日)

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