top of page
検索
  • 相澤

Habari za Dar es Salaam No.31   "Selous Game Reserve" ― セルー動物保護区(1)―

根本 利通(ねもととしみち)

 今回はタンザニアのみならず、アフリカ最大の自然保護区であるセルー動物保護区を紹介したい。セルーはルアハ、ミクミと並ぶ南部タンザニアを代表する保護区であり、セレンゲティ、ンゴロンゴロなど有名な北部サーキットと比べ、知名度はかなり劣るが、その分ワイルドなことは大幅に上回っている。タンザニア政府もこれからは南部の観光を売り出したいという意向が強い。

 近年はタンザニアへの観光客も順調に増えているが、そのお陰でセレンゲティやンゴロンゴロでは、野生動物を多くのサファリカーが何台も取り囲むという状況が起きている。ケニアの状況に近づいているといえるだろう。さすがに南部のルアハ、セルーではそういうことはないが、アクセスやロッジの料金の高さが、気軽に訪れることを躊躇わせる理由になっている。 

📷  セルーの面積は50,000平方キロほどで、タンザニアの面積の6%を占める。日本と比較すると、九州と四国を合わせたよりやや小さいという感じの、広大な保護区である。ただ観光客に開かれているのは47に分かれたブロックの内のわずかに4ブロックだけで、残りの43ブロックはハンティング(狩猟)に充てられている。つまりセルーはハンティングが許された最大の保護区で、ここがセレンゲティなどの国立公園とは違う。管轄もTANAPA(タンザニア国立公園)ではなく、タンザニア政府天然資源観光省の狩猟局に属し、収入の7~8割は観光ではなく、ハンティングによるものといわれる。

 ただタンザニアの常というか、最新の正確な統計と言うのは望みがたいので、以下に引用する数字はガイドブック「Selous」(R.D.BALUDAS & L.SIEGE著、2002年刊)に準拠している。最新の数字は現在調査中であるが、次回に訂正させていただく。

 セルー保護区の歴史は、ドイツの植民地時代の1905年に遡る。1905年といえば、ドイツ植民地当局に反旗を翻し、タンガニーカ南部を席巻したマジマジの反乱の起こった年である。明らかにその結果の人口移動、再定住、安全保障対策として設立された小さな4つの保護区から、セルーは始まる。1922年イギリスの植民地(委任統治領)に移行してから、4つの保護区は統合され、さらに1974年ウジャマー政策の再定住化の過程で、ルフィジ川南岸が加えられ、現在のような現在のような広大な保護区となった。

📷  セルーというのは人名である。F.C.セルー(Frederick Coutney Selous)は、1851年ロンドン生まれのイギリス人である。彼の少年時代の英雄は、大探検家リビングストンであり、大英帝国の少年はまっしぐらに探検家を目指した。1871年からセシル・ローズのローデシア建設に活躍したセルーは、1915年の第一次大戦勃発時は、既に64歳、高名な探検家、狩猟家であった。ナイロビの第25ロイヤル・フュージャリー連隊に参加したセルーはタンガニーカのドイツ軍と対決する。南部にドイツ軍を追い詰めたイギリス軍と、1917年1月4日現在のセルー保護区北部で戦闘が起こり、流れ弾に当たったセルーは戦死する。 現在セルーの墓は、ベホベホ・キャンプの近くにある。探検家という時代の寵児の評価は置くとしても、アフリカ最大の保護区にその名を残したセルーは、探検家としての本懐を遂げたといっていいのではないか。

   セルー保護区は当初からゾウの保護を意図して作られた。そして今も世界最大のゾウの人口を誇っている。1998年の数字で6万頭を超えるとされる。ただこれも往時と比べるとだいぶ少ない。1976年の統計では11万頭とされている。1973年にタンザニア政府は野生動物の狩猟を禁止した。プロのハンターたちは職を失い、その空白期間に密猟者たちが暗躍することになる。更に悪いことに、保護区内のルフィジ川が最も狭くなっているスティーグラー峡谷にダムを作る計画があり(日本も関与していた)、その調査のためにブルドーザーで道路が切り拓かれ、これが密猟者に結果として利便を与えることになった。 ゾウの数は1991年には3万頭まで激減し、またより少数のクロサイも殆ど姿を消してしまった。

 1982年にセルーが「世界遺産」に指定され、またタンザニア政府が商業的狩猟を再解禁し、1987年からはフランクフルト動物協会を始めとする海外の援助を受け、反密猟対策を始め、保護区の管理体制が少しずつ整うに連れ、野生動物の数も緩やかに回復を示している。現在聞き取りの数字だが、ゾウは8万頭、バッファローは11万頭、ライオンは4千頭であるという。ゾウに関して言えば、単一のエコシステムとしては最大の人口を誇り、このまま密猟対策が維持できれば、安定した人口といえるらしい。ただクロサイの詳細な数字は不明で、200頭以下といわれる。またやはり絶滅が危惧されているハンティングドッグ(リカオン)も1,500~2,000頭という数字で、はっきりしていない。 

📷

 ともあれ、セルーが世界遺産として指定されているのは、人間が住んでいない最大の保護区で、その人の手を加えられていない大自然、セレンゲティなどとは違う自然を何処まで維持していけるかということだろうか。

 セルーへのアクセスはなかなか難しい。陸路は2通りあり、ダルエスサラームからキルワロードを南下して、ルフィジ川沿いに入るルートが約240km、7時間。もう1つはモロゴロ経由で北から入る330km、これも約7時間。この時間は乾季に四輪駆動車で行った場合で、雨季になるともっと時間がかかり、大雨季には通行不能になる悪路である。

 通常は、小型機の定期便で飛ぶ。約30分。そのためにどうしてもセルーのサファリは割高になってしまうのだが、最近は鉄道で入るやり方も注目を浴びている。保護区の北部、観光に開放されている部分をタンザン鉄道が通過しているのだが、保護区内のフガ駅まで約4時間で、車窓からキリンやゾウが眺められる。また定期列車だけでなく、最近は観光用の特別列車も週3便走るようになった。 アクセスが大変な分、手付かずの大自然が残されているわけなので、便利になったらどうかという疑問は残るが、よりワイルドな大自然という面からのお勧めである。

(2004年11月1日)

閲覧数:2回0件のコメント
記事: Blog2_Post
bottom of page