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Habari za Dar es Salaam No.42   "JATA World Travel Fair 2005" ― 世界旅行博 2005年 ―

根本 利通(ねもととしみち)

 9月22日から24日の間に東京の有明のビッグサイトで開かれた世界旅行博に参加した。JATAツアーズとしては創立の翌年、日本にいる知人に頼んで参加したことがあるが、私自身は初めてであった。謳い文句は「世界110の国と地域の感動の旅」であるが、勝手が分からず、おっかなびっくりの参加であった。

📷 前日の21日に会場の下見と搬入のためにビッグサイトに行ってみた。私は1984年に日本を離れているから、この地域は全く知らない。「お台場」と言われても埋立地かと思うような世代である。9時過ぎに到着すると、会場設営は進行中である。が、タンザニアと指定されたブースはあるが、スペースと電源があるだけで他は何もなく人影もない。隣のケニア、エジプト、ボツワナなどのブースでは人が動き、椅子やデスクもあるのに…。タンザニア出発前にTTB(タンザニア観光局)に念を押したが、それからもう1週間経っているので少し不安になり、旅行博の事務局に「タンザニアはキャンセルですか?」と訊きにいく。「いやぁ、何も聞いていません。ブースに関しては頼まれているのはあれだけです」という答えだった。自分はDVDの映像を流そうとしていたから、300Wの電源3つで足りるのか、他の参加者はどれだけ電源を使うのか、照明は要らないのか、というのが不安になる。しかし、訊く相手がいないものは仕方ないので、午後に出直すことにする。

 午後2時半に、パートナーとして参加しているマルチチョイス・サファリのヒラリー氏と待ち合わせていたので、会場に再度行ってみた。まだタンザニアのブースには人影もなく、何の変化も見られない。ヒラリー氏は21日朝成田に到着したのだが、「一緒に何人か着いた」と言うので、キャンセルはないし、待つしかないと言うことになった。待つことしばし、3時半ころ車が到着し、日本人女性2人が机、椅子その他を運び込みだす。訊くと駐日タンザニア大使館勤務の女性だという。「TTBから何も連絡がないので、しびれをきらして大使館にある机、椅子を持ち込んだ」と言われる。

 さて翌日22日からが本番。22日は旅行業界、プレス対象の日で、23日24日が一般公開。22日10時前に、新しいJATAツアーズや各ホテル、ロッジのパンフ、DVDを持ち込んで準備を整える。タンザニア大使館が準備したのはVHSテープで古いものだったので、TBSビジョンにお願いして「世界遺産」のタンザニア分6ヶ所のDVDをいただく。実は最後のセルー動物保護区の映像は、放映予定日の9月11日に総選挙が入ったため放映が遅れたので、完成品を流すことが出来ず、TBSのご好意で編集途上のものをお借りして流すことが出来た。

 22日になってもなかなかタンザニアの人は登場しない。パンフも揃わない。タンザニア政府の天然資源観光省、TANAPA(タンザニア国立公園)、NCAA(ンゴロンゴロ保護区当局)の方々は登場したが、肝心のTTBの人が登場しないから、どう展示していいものやら分からないまま開場した。また政府ではない民間のいわゆる業者は私とヒラリー氏だけだった(もう一社参加予定だったが最後まで登場しなかった)から、熱心にお客さんを獲得しようとする人は少なかった。タンザニア大使館勤務の日本人女性は一所懸命されていたが、いかんせんタンザニアに見えたことがないのが弱点だった。結局最後までTTBの人は来なかった。

📷 私自身がサービス精神があまりないので、客引きのようなことをせず、訊かれたら答えるというやり方をしていたら、お客さんは閑散としてしまった。隣のチュニジアのブースはタンザニアのブースの半分の広さだが、一所懸命客引きをする方や抽選で景品が当たることもあり、時折大入り満員だった。スペースを半分にして、その予算でティンガティンガの小物などを配布してもいいのではないかと、大使館の方の意見もあった。やはりタンザニアを知っている日本人が、もう少しいて細かい情報を説明できるように出来たらいいと感じた。

 他に困ったことは、タンザニア政府の用意した日本語のパンフに大きな間違いが散見されたことである。まず決定的にひどかったのはTANAPAのパンフ。マハレとタランギ゙ーレのタイトルと文章が逆になっていたし、それ以外のキリマンジャロやセレンゲティの説明にも間違いが目立った。おそらく英語は出来ても、タンザニアのことを知らない人が翻訳したのだろうと思われる。校正もされてないし、国際博覧会に出すには恥ずかしい代物だった。

 TTBのパンフも褒められたものではない。裏の事情では、予算がなくて北京で印刷したという話だったが、写真が不鮮明で、それは写真の問題ではなく、印刷技術の問題だろうと思われた。レイアウト、校正の不足もTANAPAのパンフと同じ。さらに、明らかにタンザニアのことを知らない翻訳、日本語としての不完全、またおそらく英語の元の文章にあったと思われる誤りなどが数十ヶ所見られた。

 実は今年の1月にNCAAのパンフの日本語訳を頼まれたことがある。かなり細かい作業で、版下まで作らないといけないので、でもこの旅行博に参加するつもりだったので、大幅に安い翻訳料を提示した。しかし、それでも高いと思ったのか、結局日本語訳はなされないまま、今回は英語版のパンフが展示・配布された。TANAPAといい、NCAAといい、観光収入の豊かな公社が予算をけちらずに、しっかりとした日本語版を作れば、もっと日本人観光客を惹きつけられるだろうと思うのだが、一民間業者としては歯がゆいばかりである。

📷 日本語パンフの類は、旅行博に参加した他国、特にヨーロッパ諸国のそれと比べると、はっきりと劣るのが見られる。それはおそらく予算上の制約ということもあるだろうが、校正の不足など、ちょっと気をつければいいこともあり、やはり政府主導のお役人体質が見え隠れする。もっとも、アフリカ諸国で参加していたのは、エジプト、チュニジア、エチオピア、ケニア、ボツワナ、南アの7カ国に限られ、西アフリカ諸国は全くなく、参加予定だったジンバブウェも空のスペースになっていた。エチオピアはもっぱらレストランで、日本語パンフの作り方をタンザニアに相談に来たくらいだったから、タンザニアもまだ努力しているとは言える。日本からタンザニアへの観光客が4,500人(2004年統計)という現実では、さほど投資できないのも仕方ないと感じる。

 最終日(24日)は台風の接近が伝えられ、客足が心配されたが、さほど強い雨とはならず、そこそこの入場者だった。タンザニアのブースではティンガティンガ派の長老ムクラ(Mkura)氏が実演で1枚絵を仕上げていて、観衆を集めていた。

 私自身、初めての参加だったので、予想外のことが多く、反省点は多かった。旅行業者との商談、細かい情報交換を想定していたが、博覧会の席上では簡単な挨拶、情報交換にとどまってしまった。個人の興味ある方々には、丁寧に情報を提供したが、やはり時間的に限りはある。

 いかに効果的にタンザニアの魅力を伝えることが出来るか、なかなか検討課題の多い旅行博だったが、タンザニアのブースを訪れてくださった方々の中から、少しでもタンザニアを訪れてくれる方が出れば、この上なく幸せである。

(2005年10月1日)

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