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Habari za Dar es Salaam No.48   "Awamu Mpya" ― 新政権 ―

根本 利通(ねもととしみち)

 3月1日にダルエスサラームでは大雨が降った。その後、重苦しい空の色が続き、大雨季に突入した。例年、1週間くらい大雨季の予兆の雨が続き、いったん途絶えて、また3月下旬ころから本格的に大雨季になるのだが、今年は早かった。その後もあまり途絶えることなく雨は降り、道路事情は順調に悪化している。3月7日にはダルエスサラームとアルーシャを結ぶ幹線道路の橋が増水で流されて、2日間不通になった。

📷 大雨季に入ったのは早かったと書いたが、実は雨そのものは非常に遅かった。昨年11~12月のいわゆる小雨季の時期にほとんど降らなかったのだ。そのため、水源地のムテラ・ダムの水位は大幅に下がり、計画停電に入った。タンザニアの電力事情は、水力発電に90%ほど依存しているのだ。11月にダルエスサラームのイララの変電所でトランスが2機飛んでしまうという事故、ウブンゴのガス発電所のトランスも2機いかれるという事故も追い討ちをかけ、住宅地は週7日、つまり毎日12~18時間停電で、我が家も電気が戻るのが夜の10~11時、2日は一晩中電気は戻らなかった。かつて1990年代や2000年の計画停電もひどかったが、我が家の体験としては最悪の経験だった。

 雨が降らないことは、電気が足りなくなるだけではない。当然水不足になる。ダルエスサラームでも水道管の水圧が大幅に下がり、ちょろちょろとしか出なくなったり、断水状態が繰り返される。困るのは、一帯が断水なのか、我が家だけが断水なのか、いちいち調べないといけないことである。つまり、水道の本管にはちゃんと水が流れているのもかかわらず、我が家への管が切られて、他の管につなげられて水が出ないということが頻発した。これは水を盗まれているのだ。我が家の水が止まると、我が家の庭師と水道管を共有している隣の家のママとで、水道管を本管までたどり、どこで切られているかを発見して、つなぎなおすという作業を何回かやった。「仁義なき」水争いである。DAWASCO(ダルエスサラーム水道公社)は、こういう時役に立たないどころか、水道の検針をろくにせず、推定で普段より高い請求書を平然と送りつけてきたり、領収書をその場で提示しないと水道を平然と切ったりするから腹が立つ。

 しかし、雨が降らないことは、電気、水だけではなく、もちろん食糧生産に大きな打撃である。灌漑に頼る部分が少なく、天水に左右される農業が圧倒的である。例年1~3月は端境期で、食料は値上がりするのだが、今年は高くなった。コメは1kg800シリングから1,200シリングへ、ウガリの材料であるウンガ(トウモロコシの粉)は1kg300シリングから500シリングへと上がっている。国民としては生活の困難を、期待されている新大統領に何とかしてもらいたいと思うわけで、そのスタートから「雨乞い」の呪術師としての能力が期待されてしまった。1月には旱魃警報が出、2月には370万人に飢餓の可能性と言うことで、食糧援助を要請した。その援助食糧の管理(横流しを防ぐ)ことにも注意を払いつつ、産業界に寄付を要請したら、なんと30億シリング(約3億円)の寄付が集まり、最大の寄付者は5億シリング出したという報道だった。あるところにはあるものだ。

 昨年12月の総選挙で圧勝して、国民の大多数の期待を担って船出したキクウェテ新政権である。キクウェテに対する国民の期待は非常に大きい。「キクウェテなら、何とかしてくれる」という漠然とした期待がある。1~2月に私が周ったキゴマ、ムワンザという地方でもそうである。キゴマ市は2期10年間野党の議員の地盤だった(2005年にはCCMが奪回)し、市議会での選挙による市長選出でも、同数になったので、与党と野党が2年半ずつ市長をやるという、タンザニアに中では野党が強い地盤だが、そこでも「今回はキクウェテにやらせてみよう」と言う人びとがいた。キクウェテ新大統領はこの3ヶ月間に精力的に動き、次々と新味を示そうとした。3月29日には「キクウェテ政権100日」と言う特集号が出ていた。以下、日付順にキクウェテ政権発足の主な事項をまとめた。

📷  2005年12月14日 総選挙     12月19日 キクウェテ大統領に当選     12月21日 キクウェテ大統領就任     12月28日 国会議長に、サムエル・シッタ選出     12月29日 首相にエドワード・ロワッサ指名  2006年 1月 5日 新内閣発足      1月 9日 大使の任期を2期8年に限る。      1月11日 EUとの水産協定を拒否      1月27日 材木輸出の禁止      3月10日 インドの会社Ritesにタンザニア鉄道公社(TRC)の25年間の租借権を与える

 キクウェテ政権の第一次内閣であるが、大統領、アリ・シェイン副大統領、アマニ・カルメ・ザンジバル大統領、ロワッサ首相の下に、29人の大臣、31人の副大臣が任命された。総勢64人という大所帯である。ムカパ第二次内閣は、大臣27人、副大臣18人の合計45人だったから15人も増えた勘定になる。これは「仕事の効率化、スピードアップ」という名目だが、選挙の論功行賞ではないかという風聞もある。大蔵大臣、外務大臣という重要ポストに女性が登用された。蔵相にはザキア・メフジ前天然資源観光相、外相にはアーシャ・ミギロ前副大臣である。この2人とも選挙区選出ではなく、大統領指名もしくは女性特別議員である。キクウェッテ大統領は、外相、その前に蔵相を歴任しているから、この2省は把握していると言われる。

 今回はザンジバルから大統領が出る順番だったのに、本土のキクウェテがなったので、ザンジバルに気を使ってザンジバル人の大臣が増えるという下馬評があった。蓋を開けるとザンジバル人の比重は増えるどころか、目立たなくなっていた。

📷 女性大臣が多いのも特色で、正大臣5名、副大臣8名もいる。女性議員は選挙区選出議員は13名に過ぎないが、女性枠特別議員75名が確保されており、さらに大統領指名枠で3名女性が選ばれたから合計91名いる。この国会議員に占める女性の比率29%は、世界でも高い方だろう。SADCの目標(30%)に少し欠けるだけである。ただ女性特別議員75名枠がかなりものを言っている感はあるが。

 省庁の改編で、従来の公共事業省と運輸通信省が合併して、インフラストラクチャー開発省が作られ、ムランバ前蔵相が移った。タンザニア政府の予算の最も大きい部分、もっというと外国援助(ドナー諸国)との折衝に当たることになる。

 新大統領は1月は各省庁訪問を繰り返し、新たな努力目標を提示して、官僚を鼓舞した。また公用車の利用の厳格化、職権乱用、汚職役人の解雇の警告も繰り返した。

 これは「全ての国民によい生活を」という選挙公約で、国民向けのポーズといえないこともない。12月30日の就任初演説では、「汚職、公金、公財産の濫用」に強い警告を発し、野党からも評価されていた。

 この3ヶ月で印象的だったのは、警察の刷新だろう。警察は非能率で、犯罪の急増に対応できず、また犯罪者との裏側での結びつきが噂されている。1月に3人の宝石強盗とその乗っていたタクシーの運転手が警官隊に射殺されるという事件があった。しかし、その射殺された3人が宝石小売人で、また銃を持っていて抵抗したわけではないことが判明し、世論の激しい非難を浴びた。そこで関係の15人の警官が逮捕命令が出され、8人が裁判所に訴えられたシーンが新聞に載った。一方、6人の警官は逃亡したらしく、また残り1人は最高責任者で州の警察長官に栄転したのを止められたようだが、逮捕はされていない。この事件の最中に、街の郊外の銀行に武装強盗が入り、1億1700万シリングが強奪された。そこで警察庁長官が警官の士気を高める演説をしたのだが、その中で組織的な強盗の影には、野党(CUF)が社会不安を煽っている影響を指摘し、野党の反発を買い、キクウェテは長官を退職させざるをえなくなった。そして新長官が任命されたのだが、その就任の直後に、今度は街中の外資系銀行に強盗が押し入り3億シリングの現金を強奪する事件が起こった。かなり武装強盗が頻発するようになったと言っていい。

   甘い公約はいいが、実際の財源が急に増えるとは思えない。新国会議員たちは給与の大幅アップを要求し、「仕事する前になんだ!」と世論の指弾を浴びた。また、急増した大臣たちの公邸の建設が急ピッチで進んでいるが間に合わない。ダルエスサラームの大臣用の公邸は1軒8700万シリングかかるという。

 新政権になって目立つのは、土木工事が続いていることである。昨年の総選挙前の土木工事は、与党CCMによる一種の選挙運動であったわけで、予算を使い尽くすとそこでしばらく公共工事は止まるのだが、道路の改修、信号の修理、建築工事は続いている。ダルエスサラーム市内の古い、あるいは10年以上も放置されてきたようなビルが取り壊され、更地となり、新たな工事が始まっている場所がいくつもある。何処に財源があるのだろう。

 今月はおまけがあります。

(2006年4月1日)

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