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Habari za Dar es Salaam No.54   "Datoga Ethonology" ― 紹介『ダトーガ民族誌』 ―

更新日:2020年7月2日

根本 利通(ねもととしみち)

 今回は富川盛道著『ダトーガ民族誌ー東アフリカ牧畜社会の地域人類学的研究』(弘文堂2005)の紹介をしたい。富川先生の没(1997年)後、お弟子さんである日野舜也さんや富田浩造さんたちが、生前発表された論文や草稿のまま残っていた遺稿を精選されて出された著書である。

 富川先生は、日本のアフリカ研究の草創期の大人である。私から見るとはるか彼方の大先輩なのだが、ナイロビでお会い出来たことがあり、ちょうどその時(1990年)、妊娠中の妻の検査のためにダルエスサラームからナイロビに行っていたのだが、「そうか奥さんに栄養をつけてもらおう」と言われ、今はなき赤坂でご馳走になった懐かしい記憶がある。暑いダルエスサラームを避け、ナイロビからアルーシャ経由で調査に入られていたから、恩返しをすることは出来なかった。日本のアフリカ研究の聖地であるマンゴーラに腰を据えて、人類学の研究をされ、大勢のお弟子さんを育てた方だ。


 本書はマンゴーラの主人公の一つで、富川先生が調査の対象とされたダトーガの民族誌である。ダトーガはマサイなどと同じナイロート系の牧畜民で、ケニアのエルゴン山の付近から南下してきたとされる。同じ草原の牧畜民であったマサイとはライバルで、ウシの争奪戦をたびたび戦い、敗北し、テリトリーであったンゴロンゴロやセレンゲティを奪われ、南下して現在の地域に落ち着いた。現在、アルーシャ州のカラツ県(マンゴーラはここ)、マニヤラ州のムブルー県、ハナン県に多く住み、それ以外にシンギダ州、シニャンガ州、タボラ州、マラ州などに少数が分散して住む。タンザニアは民族別の統計を取らなくなってから久しく、最新(1969年!)の統計では約3万人とされている。この間(1967~2002年)の人口増加率(2.9倍)を単純に掛けると、現在86,000人くらいいる計算になるのだが、そう単純にはいかないだろう。

 富川先生の調査の年代は、1962年に始まる。京都大学が故今西錦司さんを隊長として組織したアフリカ学術調査隊の人類班の班長としてマンゴーラに富田さんを連れて住み込んだのが初めである。ちなみに類人猿班の班長は故伊谷純一郎さんで、当時はマハレではなくタンガニーカ湖畔のカボゴ岬に基地を作った、いわば日本のアフリカ研究創世記の時代である。この時代のことは書物で読むか、あるいはワゼーたちの思い出話(ある時はホラ話)で聞くのだが、この本の中では生き生きと浮かび上がってくる。この本の中に描かれているダトーガの社会はほとんどが1960年代のことである。

 第1章が「部族社会」の概説、第2~6章がダトーガ社会に関する論文・記述である。ダトーガがいくつか(9)の支族(エモジカ)に分かれており、その中でも呪術医のダレムガジェーガ氏族を抱えた中心支族であったバジュータが、ンゴロンゴロを中心にセレンゲティを含んだテリトリーを持っていた。19世紀後半ケニアより南下したマサイとの7日7夜の戦闘の結果、敗北し、ンゴロンゴロを失い、マラ、ムワンザ、タボラといった地域を移動・放浪しすることになる。ムブルーの周辺に定着し、クシュ系の半農半牧民イラクとの緩やかな地域共同体連合のようなものを作って一時期安定した後、1940年代から狩猟民であるハツァピのテリトリーである現在のマンゴーラに移動する流れを描いている。その間、ドイツの植民地時代、マジマジの乱などで呪術医の力を恐れたか、植民地当局がダレムガジェーガ氏族の当主など中心人物を絞首刑に処したり、ダルエスサラームに連れていって禁固するなどの大弾圧を加えている。


 降水量の少ないサバンナに生きる牧畜民の移動の要因として、自然的要因(旱魃や害虫、疫病の発生)、部族間(特にマサイとの)闘争、植民地支配・国家体制の強制が挙げられ、19世紀にあったような「部族本位制社会」が次第に変容し、他部族との緩やかな連合から、混住、地域共同体の形成などに至る様子が描かれている。また第6章は論文ではなく、一般読者を意図して書かれた読み物の草稿(一部紛失)で、読みやすく、ダトーガの日常生活がよく分かる。ダトーガやマサイの伝統的な衣装と思われている一枚布(ゴロレ)が、実は19世紀末にインド人商人が持ち込んだもので、歴史は精々100年程度ということは、言われれば当然だし、タンザニアの民族的衣装といわれるカンガの歴史と将来を重ねてみても面白い。

 第7章は富田さんとの共著で、マンゴーラという「開拓部落」の形成史である。放牧民の多かったサバンナに、白人農民が入植するようになって、農園の賃金労働者としてバントゥー系農耕民が流入し、従来の牧畜民ダトーガ、狩猟民ハツァピ、半農半牧民イラクという緩やかな地域共同体が変容してゆく。一軒の雑貨屋から商店街が、ソマリア人、インド人などにより形成され、そこに植民地統治上の役所が乗っかることによって、オルデアニ、カラツといった町が成立していく過程がよく分かる。故国を捨て(?)一旗挙げようと思った各国のヨーロッパ人、また故郷を離れ自立の野心を持ったバントゥー系農耕民が流入していく中で、ハツァピのブッシュだったマンゴーラが農村に変わって行き、アルーシャへ近郊野菜(玉ねぎ)を出荷する巨大な村になる前奏曲までが描かれている。(2002年の国勢調査ではマンゴーラ村の人口は16,000人あまりである)


 しかし、本著の中で魅力的なのは、実は論文ではなくエッセイである。第8章「サバンナの木」第9章「1まいのスカート」の2章である。「サバンナの木」はダトーガの葬送にまつわる儀礼、生と死の象徴を描いているが、冒頭の文章が印象深い。


 marondoschi gijega ne   

 山と山とはめぐりあわないが

 buneda gwarondeschi   

 人と人とはめぐりあう


 東アフリカでよく人口に膾炙した言葉のダトーガ語である。私はこれをスワヒリ語で学び、時々引用してきたが、これは元々は何語だったのか、ということを恥ずかしいことに考えたことはなかった。ダトーガ語が語源なのか、あるいは他のサバンナの牧畜民の言葉なのかも知らないのだが、考えてみると「海の民」から生まれたスワヒリ語が語源であるわけはないのだ。サバンナの中で人が出会うことと、そのサバンナの中に屹立している山の情景を考えれば、その自然の中に身を置く牧畜民の言葉であり、その人間観、社会観であるのだろう。

 「1まいのスカート」はダトーガの女たちが、伝統的なハナグウェンダというスカートを、「後進的」とみなす独立タンザニア国家によって禁止されそうになって立ち上がる姿、一方でそれを捨てて「部族社会」から飛び出していく若い女の姿を淡々と描いている。ハナグウェンダを禁止しようという近代国家は、歴史の流れの中で仕方ないと思うのか、あるいは強制によらない文化の選択は、やはり創造の一種であるというという観点を保つのかは大きく違う。 

 特に印象深いのは、ハナグウェンダを捨てて飛び出していったバッピアイという女性に関するエピソードである。ダトーガの娘として生まれ、その文化を体現した誇り高き娘が、恋し、結婚し、子どもを生み、夫と別れ、実家を捨て、ダトーガの文化の象徴であるハナグウェンダを脱ぎ捨てて遠い世界に旅立った話は香り高きダトーガへの挽歌である。


 私は人類学者ではなく、また人類学にあまり興味を持ってこなかったので、「部族」という表現は使わない。もっぱら歴史学、政治学の観点から意図的に「マサイ族」とか「部族対立」という言葉を避けてきた。部族という言葉の代わりに「民族」という言葉を使い、マサイ人、チャガ人、ゴゴ人と表記する。ルワンダで大虐殺を引き起こしたのはフトゥ人とトゥチ人との対立である。さて、果たしてそういう表記が正しいのか、部族というのは誤った古い認識で、現在は存在しないのか?部族という言葉を使うと、現代アフリカ社会を見誤るのか?

 「部族(tribe)」に対応するスワヒリ語は「kabila」だろう。Kabilaと言った場合、日本人もマサイ人もkabilaである。しかしタンザニア人はkabilaではなく、uraia(国籍)である。日本人と言った場合、それは民族名であるのか、国籍名であるのか…どんなに歴史を学ばない政治家が強弁しようと、民族=国家ではない。ヨーロッパの19世紀に出来た民族国家=国民国家の思想に囚われると、アフリカの新興国家(と言ってももうほとんどは40年以上を経過している)は中途半端な途上国家に過ぎない。その原因を「部族」の存在に求めるのはおかしい。

 ただ本著を読むと、そういう小理屈より前に、40年前には「部族本位制社会」が存在していたことが分かる。その部族社会が、タンザニアという国家が誕生することによってどう変わっていったのか。私は現代のダルエスサラームという、完全な民族混合というか、脱民族の志向をもった社会に身を置いている。また、興味があるのはスワヒリ都市国家という、いわば歴史の中の脱「部族」社会であった。アフリカのサバンナの民のひこばえたちが、どう変わり、どう変わらなかったかを眺めていくのだろう。

   ☆追記☆ 富川夫人(愛子さん)による私家版「タンザニアの思い出他」(丸善出版サービスセンター2005)に、マンゴーラ研究の富川先生の姿が描かれている。

(2006年10月1日)


ダルエスサラーム物価情報(2006年10月)US$1=Tsh1,275シリング

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