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Habari za Dar es Salaam No.75   African Issue in Japanese Mass-Media ― 日本のメディアによるアフリカ報道雑感 ―

根本 利通(ねもととしみち)

 6月下旬で乾季に入ったとはいえ、今年の大雨季にはかなり雨が降ったから、草丈はかなり高く、まだ生きがいい。ややもすると自分の身長より高い草をかきわけ、むっとする草いきれの中を歩く。とげがあったり、触るとひりひりする植物も多いから、長袖長ズボン、そしてブーツのような靴が必要だ。うっかりすると上着にツェツェバエがとりついている。草丈が高いとライオンが昼間寝そべっていても気づきにくいし、サバンナから疎林に入るともっと見通しは利きにくい。先頭を行く銃を持ったレンジャーが突然立ち止まり、腰をかがめて遠くを覗き込む。はるか遠くにゾウが2頭見える。しばらく動きを見て、枯れ草を舞わせて、風下であることを確認して、また歩き出す。

📷 サバンナを歩く  ウォーキングサファリは動物と同じ大地を踏みしめて歩き、動物と同じ目線になる‥う~ん‥キリンとイボイノシシは同じ目線なわけはないから言葉の綾になってしまうが、少なくともゲームドライブをしている時よりはるかに、大小新旧さまざまな糞の匂い、鳥のさえずり、咲いている花、実をつけている樹、風の流れる音、乾いた川などに敏感になる。 

 近年、車に乗って周るゲームドライブだけでなく、ボートに乗って川を遡るボートサファリ、さらにはレンジャーに連れられて歩くウォーキングサファリも少しずつ盛んになってきた。タンザニアでも、従来は公園が狭く、大型肉食獣がほとんどいないアルーシャ国立公園でしか出来なかったが、ここ数年でウズングワ山塊国立公園、セルー動物保護区、タランギーレ国立公園、ンゴロンゴロ自然保護区、ミクミ国立公園などで行われるようになってきた。銃を持ったレンジャーと、動植物の専門知識教育を受けたガイドがついて2~3時間、早朝もしくは夕方歩くのが普通だ。

 今回私が歩いたのはガイドがついた純粋なウォーキングサファリではなくて、ある動物の巣穴を探して、サバンナから開放的な疎林の地域をレンジャーに連れられて歩いたのである。日ごろ自動車にばかり乗っているから、なまった脚にはつらかった。その過程で、密猟者に殺されたゾウの骨に出くわした。レンジャーによると1ヶ月くらい前のことで、頭蓋骨はじめほとんど(もちろん象牙はないけど)の骨が残っていて、かつ象皮も完全には乾ききらないで残っていた。この公園は比較的小さいから、北部の境界から人間が入り込んでくるらしい。

 実は午前中のウォーキングを終えて、昼食を摂るため、車で戻っている最中に、ゴムぞうりの片っ方と紙コップ2つが道端に転がっているのを見つけた。車の音に驚いてあわてて密猟者が草薮に逃げ込んだのだろうと言うことだった。私たちはその姿を見なかったが、間違いなく身近に存在しているのを実感した。レンジャーに言わせると、象牙の市場は存続しており、ザンジバル経由で象牙の輸出が認められている南部アフリカに流れているのだろう。ボツワナ、ジンバブウェ、南アは野生生物のコントロールがうまくいき、ゾウの個体数が増加し、農作物に被害が出るので、間引きしたゾウの象牙を公式に輸出することが出来るようになった。それに反対したタンザニアやケニアのゾウが依然として密猟され、南部アフリカ産として輸出されているのだ。 

 野生動物の保護、自然環境の保護は大切だが、まったくの無人の場所は少なく、環境に対する最大の脅威(?)である人間の居住区は広がっている。今まで散々鯨やゾウなどを、自分たちの実用や遊びのために殺してきた先進国の人間が、開発途上国の貧しい人たちに自然保護の重要さを説くことは、下手すると戯画となってしまう。 土地の人間と野生動物との共生というテーマは、生易しいものではない。

📷 密猟者に殺されたゾウ  今年に入って、隣のケニア情勢が不安定なせいか、日本のマスコミによるタンザニア取材が増えている。半年間で私たちが受けた仕事だけで、テレビ局8本、新聞社1本、雑誌社1本、その他(広報映画)1本という盛況振りである。7月になっても2本来るし、8月、9月、11月の問い合わせ、予定もある。これ以外にお断りしたのもあるから、「遠いアフリカ」が身近になってきているのだろう。 

 これは5月に横浜で開かれたTICAD-Ⅳ(アフリカ開発会議)と、7月に洞爺湖で開かれるサミット(G8)で焦点がアフリカの貧困・開発であるのに影響を受けているだろう。「元気なアフリカを生み出す」お手伝いをするほど、今の日本の社会が元気だろうか?というのは揶揄にしかならないかもしれないが、またマスコミの関心は一過性のものに過ぎないだろうと思われるが、それでも一時的にでもアフリカの露出が増えることはいいことだろう。 

 問題は、その関心のあり方、露出の仕方であろう。私たちが受けたテレビ8本の内訳は、バラエティー3本、文化(音楽)1本、報道4本になるだろうか。自然系がないのはたまたまだろう。7月以降にある予定、問い合わせは全て自然・環境系である。報道番組といっても、元サッカー選手を主人公にした番組を含め、「環境」がメインのものが2本、さらにTICAD、洞爺湖サミットに絡んだ日本のODA、投資を取材したものが2本で、その中では貧困対策とともに、環境問題が重要なテーマとなっていた。

 昨年から、「地球温暖化に関わる環境問題」という問い合わせが増えてきた。タンザニアで象徴的に見えるのは「キリマンジャロの雪が消えてしまう!」ということがあるし、他にも温暖化によってマラリア蚊の棲息地域が広がり、人々特に子どもたちの命に影響を及ぼすとか、化石燃料に代わり生物燃料を探せ(植えろ)という話、はては生態系の変化も温暖化の結果であるとする憶測など、枚挙に暇がない。地球温暖化が果たしてCO2排出増加のせいなのか、私が分かる由もないが、一種の流行のように感じられる。あるテレビ局関係者に言わせると「地球温暖化絡みの企画は通りやすい」とか。日本の視聴者は食傷していないのか、遠くから心配してしまう。

 実は今年前半タンザニアで取材した日本のマスコミ(新聞、雑誌を含む)11本の内、5本はアルーシャにあるS化学のオリセット蚊帳工場を取材している。5本というのは私たちが関わったものだけだから、実はもっと多いと思う。アメリカのブッシュ大統領も訪問したし、日本だけではなく世界的に見ても注目されているのだろうと思う。企業のCSRとしては非常に成功している例だと思う。テレビ番組で報道されると、その蚊帳を買いたい、蚊帳工場を見学したいというメールが入ってくる。取材を手配する側としては「またか‥」と思わないでもないが、マラリア対策の重要さを考えるといいことなのだろう。マラリアのことに関して情報を受ける視聴者、読者はともかく、取材する側のマスコミ、ジャーナリストが他の問題にあまり関心を払わないことが問題かもしれない。 

   マラリアと並んで一種の流行のように感じられるのがバイオ燃料である。これもブッシュの政策に振り回されているように感じるが、CO2排出→地球温暖化→バイオ燃料→食料品の価格高騰→貧富の格差増大というストーリーである。 タンザニアでのバイオ燃料はまだ端緒についたばかりだが、日本を含む海外およびタンザニア国内の企業、NGO、研究機関によって、栽培、抽出、実用化への実験が行われている。サトウキビ、ヒマワリもあるが、主役はジャトロファ(ヤトロファ)のようである。ただ、タンザニアという市場から言って、地産地消型で考えないと難しいのではないかと思ってしまう。少なくともバイオ燃料のための栽培による食料の高騰はまだ先のようである。

📷 サッカースターを使った蚊帳の宣伝  さて、テレビの関心は措いて、新聞による報道を見てみたい。私の世代では、ジャーナリズムの王道は新聞という思い込みが強い。 もっともタンザニアではインターネットでしか見ていないし、実際の新聞を手にするのは日本から見えた知人のお土産でしかないので、断続的な情報でしかないので、総体的な判断では誤る可能性があるのだが。

 今回対象としたのは、5月12日付読売新聞夕刊。5月27日付朝日新聞。5月31日付朝日新聞「アフリカ特集」である。読売新聞の記事は「旅」のコーナーで、キリマンジャロ登山ツアーの記事。「キリマンジャロの雪(氷河)が数十年後には消えてなくなるかもしれない」と書いている。

 5月27日付け朝日新聞はTICAD絡みの記事で、ネリカ米や有機農法、化学肥料によるアフリカでの「緑の革命」の可能性に触れている。その裏面には上記のS化学の全面広告。S化学の本業と言うか、かつてアフリカで売っていた化学肥料のことは触れられていない。記事本文よりもその下段にある朝日新聞による「今なぜアフリカなのか」という広告に、朝日新聞のアフリカに対する意識が見える。 そのまま引用しよう。

    『アフリカは、温室効果ガス排出が世界で最も少ないにもかかわらず、洪水や砂漠化、干ばつといった気候変動の悪影響を受けています。気候変動がアフリカの貧困問題の重要な要因といわれています。アフリカは、世界の政治や経済状況、そして環境問題を映しだす鏡だといえるでしょう。‥(中略)‥年初に始まったシリーズ連載「環境元年」では、気候変動が引き起こしたアフリカの紛争を取り上げました。‥(中略)‥これまでの貧困や紛争といったイメージで伝えられてきたアフリカを、最近の経済成長や資源競争、自発的な開発の取り組みなど、多角的な視点から伝えています、‥(後略)』 

 こういう朝日新聞の視点から出された、5月31日付「アフリカ特集」を見てみよう。期待を裏切ってわずか8ページ、アフリカに絡む広告はNGO、ロックバンド、食品会社の3ページ(3分の1面)。やはりアフリカは企業にとってはCSRの対象であっても、商売のそれではないのだろうか?せめてアフリカを対象としたツアーの宣伝でもあればと思う。あるいは朝日新聞の営業の怠慢か。 

 A面に数字。保健、教育、鉱物資源、世界遺産など。B面には子どもたちの写真。C~E面に政治家、企業家、俳優・歌手など15人からのメッセージ。マラリア、エイズ、栄養失調、妊産婦などの保健問題が半分。ついで初等教育、食糧危機、ダルフール紛争。総じて貧困を何とかしないといけないという姿勢だが、伝統的な文化や豊かさ、生きる力といったアフリカの明るさに触れたものも少数。G面はロック歌手ボノと朝日新聞主筆との対談。市民活動、NGO。日常生活メモ(身近なアフリカ)。H面になってやっとアフリカからの発信。企業家、ネリカ米、識字教育、エイズ孤児、女性の自立など、未来へつながる明るい面に触れられている。 

📷 朝日新聞のアフリカ特集  総じてアフリカの抱える貧困からの脱出というテーマになるから、政治家はともかく、一般の俳優・音楽家・スポーツ選手の発言もそれに傾かざるを得ない。ただ、それが極端化されると、首を傾げるような表現が頻出する。たとえばG面にある東アフリカの(?)オリックスの写真(杉本博司氏)についたキャプション。『アフリカの大地で暮らす僕たちは飢えていない。この大地で飢えているのは、人間たちだけだ。』写真家がこんなキャプションをつけるとは思えないから(つけたのかな?)、つけた記者のセンスを疑う。またボノとの対談での主筆の言。『アフリカの不幸な人たちを助けたいと熱望している人たちに、どんな助言があるか。』。さらにこれは朝日新聞の文章ではないが、「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」による広告。『アフリカの子供たちのために出来ること。①無視する ②支援する どちらも簡単です。どちらがいいですか?』。キャッチコピーなんだから単純化して見せたのだろうが、アフリカの子どもたちは支援する対象でしかないのだろうか?このNGOの性格を疑わせる広告になっている。もし、これで日本人が多く支援金を出すのだったら、日本人のアフリカに対する関心はその程度のものでしかないということだ。 

 このアフリカ特集を読んで感じるのは、1970年代初めののサヘルの飢饉の支援キャンペーン、80年代半ばのアフリカ飢餓キャンペーン(黒柳徹子が主役だった)のころと比べ、エイズ、マラリア、母子保健など幅は広くなってきたものの、可哀想なアフリカに手を差し伸べるというスタンスは変わっていない。ダルフールやソマリア、エリトリア・エチオピア国境、コートジボワールの紛争には触れられているが、コンゴ、ブルンジなどはもう平和が定着してしまったかのようだ。 「アフリカは21世紀の大陸」というトーンは控えめだ。それだけアフリカの貧困、苦悩は深刻だという認識なのだろう。

 1970年~80年代、朝日新聞には伊藤正孝、毎日新聞には篠田豊というアフリカに関するスター記者がいた。彼らはアフリカに自分の存在を賭けた野心家だったのだろうが、アフリカ内部のことをよく勉強していたと思う。 グローバル経済の枠組みの中でアフリカを捉えることは必要だが、アフリカの内在的なもの、例えばジンバブウェのムガベ大統領のような解放闘争の英雄が権力の亡者に変わっていくこと、各国に蔓延しているであろう汚職の構造を、いかにアフリカの人びとが自らが断ち切っていくかを考えたいと思う。そのために「いかに海外が援助しないか」ということも視野に入れていくべきではないかと思う。 

 朝日新聞の記事の一連の流れを読んだわけではなく、たった2日間の記事を読んだだけなので、「内在的な発展に対する関心がない」と批判するのは的を得ていない可能性がある。ただ、アフリカに対する関心の質の低下を感じたという感想にとどめたい。 

(2008年7月1日)

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